「ギャラリー酔いどれ」から抜粋転載。(引用1)(引用2)とも。
(引用1)は、偽装自衛隊によって日航機123便の生存者たちが大量虐殺された、という話。その理由は日航機123便は実は米軍の誤射によって墜落したのだという事実の隠蔽のためだという恐ろしい話である。しかも、これは当時の中曽根総理の了承のもとに行われたそうである。まあ、「陰謀論」が嫌いな人はこれを妄想だと考えてもいいが、幾つかの事実は、これが妄想ではないことを裏付けているようだ。
(引用2)は、ロシアは「西側」の制裁によって、むしろ国力が高まるという面白い分析だ。つまり、「西側」との経済相互依存によって富を奪われることがなくなるために、ロシアは西側との経済的国交断絶によって利益を得るだけだ、ということだ。これは日本中国その他の国にとっても面白い分析ではないか。
なお、「徽宗皇帝のブログ」に書いたとおり、私のパソコンの寿命が終わりかかっているようなので、このブログの更新が途絶えた場合は、そういう事情だと思っていただきたい。
(引用1)
今日は日航機事故から29年ですね、当ブログでも何度か取り上げておりますが、
本家がお休み中なのが残念です。 ☆http://blog.goo.ne.jp/adoi
今回は、
◆http://m.webry.info/at/nikusiminorensa/201202/article_3.htm;jsessionid=
A93DD8EF35D22860F868D21C3C70DB71..32791bblog?i=&p=&c=m&page=2&guid=on
2012/02/07
◎日航機123便墜落事故・・・・・・これには身も凍るような物語がある
最近、オウムに関して二度ほど記事にしましたが、ここでもう少し付け加えると、
オウムのことに関して書いた前回や前々回では、自衛官が関わっていたと言いましたが、
これには警察も関わっていたのが濃厚だと言いたいのです。
おかしなことは多々あるのです。
1995年3月20日午前8時、事件は起きました。
後に「地下鉄サリン事件」と呼ばれる出来事でした。
この時、薬物がサリンだと特定されるのに要した時間は約3時間、
「松本サリン事件」(1994年)では、薬物判定に5日を要しました。
この時間差はいったいなんでしょう?
9.11では、あっという間にビン・ラディン率いるアルカイダと特定されました。
このようなバカ丸出しの手法を使って人を殺す歴史を作るのですね。。。
「日航機123便墜落事故」もそうです。不可解なことが多すぎです。
この事件では520人もの人が亡くなったと言います。
当時、地元の人たちは墜落現場をほぼ特定できていたと言います。
にも関わらず自衛隊はそれを無視し、違う場所を捜索していたようなのです。
これは、タイタニック号に他船が無線で氷山の場所を知らせていた状況と同じではないですか!
そうやって現場に辿り着くのをわざと遅らせてなんか謀略でも働いていたのでしょうか。。。
そしてこの事故(?)が起きたのが1985年8月12日、
ベンさん(古歩道)は以前「日本を「プラザ合意」参加させるために仕組んだ謀略だ!」的な発言をし、
アメリカ軍が脅しとして日航機123便を撃墜したんだ!という発言をしていました。
ベンさんの本から引用して以前私は記事を書いたので、まずはそちらを一読願います↓
☆http://nikusiminorensa.at.webry.info/201106/article_20.html
◎日本は常に脅される
そして、この謀略事故(?)の内容をWebサイトなどでいろいろと読んでいた時、
ホントに人間の悪魔的部分を感じました。
ただただ悲しく、ただただ人間の尊厳というものを考えました。
公式には、生存者数は4人となっており全て女性です
(落合由美さん、川上慶子さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの親子の4人)。
でも誤魔化せない事実が証拠として残っています。それは次の新聞記事のタイトル↓
▼http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/022/895/09/N000/000/003/132862436822713125590.jpg
7人・・・・・・この生存者4人という奇妙な情報は、
運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書によります。
しかし、昭和60年8月13日の日経新聞(夕刊)では、捜索隊が
男1人女3人の生存を確認と記載しています。
そしてさらに、その後3人の重体者を発見したと言うのです。
<まず、川上慶子さん(十二歳・女性)、落合由美さん(二十六歳・女性)、
吉崎博子さん(三十四歳・女性)、吉崎美紀子さん(八歳・女性)はいずれも、
担架で救出されている。(中略)ところが、
このいずれも担架で救出された四人の女性
(女性四人は、自衛隊のヘリコプターで吊り上げられ、多野総合病院に搬送された)
とは明らかに別に、もう一人の女の子が
「担架に乗らないでも良いくらいに元気で、救助隊員に抱かれて」救出されている。
明確にここで、墜落のダメージをそれほど受けていない「女の子が一名」生存していた。
次に、担架で救出された他の二名は「毛布をかけられ、性別や年齢が判断できない」が、
ここでもあきらかにすぐさま名前が確認され、
担架に乗せられたが、毛布を顔まで隠されていなかった川上慶子さん、落合由美さん、
吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの四名以外に、生存者がいたことは確かである。
ところが生存とされ、担架に乗せられた二名は、
顔まで毛布を被せられ、性別や年齢がわからなかった。
もっと言えば、生死も判別できなかった。
しかし機体後部が墜落した、スゲノ沢からあがってくるのが「三人」だった。
うち一人は女の子で、担架にも乗らずに救助隊員に抱かれていた。
とすれば担架に乗せられて、
毛布を顔から被せられていた二名も生存していたと判断するのが、妥当である。(中略)
さらに驚愕すべきことに、この合計七名の生存者以外に、男の子の生存が確認されている。
当初、報道機関が生存者七名に加えて、もう一名の生存者である「男の子」がいた
と報道したのは、正しかった。(中略)
しかしこの「男の子」に関する情報は、ここで完全に爾後、プッツリと途切れてしまっている。>
(『完全犯罪―JAL123便撃墜事件』池田昌昭:
☆http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-category-29.htmlより)
そして、次の内容を読んだ時、心が張り裂ける思いでした。。。
さらに詳しい内容は次に示します。
<1985年8月12日午後6時12分に羽田を離陸した日航機123便は、その後、
相模湾上空に差し掛かったところで、海上で演習をしていた米軍の追撃ミサイルに誤射され、
垂直尾翼が破損してしまう。
そのため、横田基地への緊急着陸を当初は米軍も誘導したが、
東京の市街地に墜落して大惨事になることを恐れ、さらには、墜落事故が起きたことだけでも、
日米同盟に、世論が猛反発することを恐れた中曽根政権は、
自衛隊機を飛ばし、群馬県に123便を誘導、御巣鷹山に午後6時56分に墜落。
アントヌッチ証言にもあるとおり、当初からアメリカ軍は、その墜落場所を正確に把握していて、
日本側に救援も申し出た。また、日本側も、かなり早い段階から、墜落場所を特定していた。
加藤紘一防衛長官自身、その日、上空から墜落場所を視察している。
しかし、米軍の誤射が日航機の墜落につながった、ということを恐れた中曽根政権は、
時間稼ぎのために、当日の捜索を行わなかった。
それどころか、義憤にかられ、捜索をしようとした自衛隊員を射殺した、という情報さえある。
墜落当日は、生存者の落合由美さんの証言にもあるとおり、多くの人の命がまだ助かっていた。
(中略)
日航機の墜落直後に、救出に向かおうとした自衛隊員が射殺された、
これは事実ではないだろうかと思っている。
この話は、NHKが20:00に速報で流している。
「20:00 上野村三岐待機自衛隊一群到着。
待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺」(NHK)
その後、放送で、
**************
NHKアナ
「ただいま長野県警から入った情報です。現地に救助に向かった自衛隊員数名が、
何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。続報が入り次第お伝えします」
その後
NHKアナ
「先ほど自衛隊員が何者かに襲撃され死者が数名出たとお伝えしましたが、誤報だった模様です。」
**************
と流れた。
この放送については、多くの方がブログにも書いている。
たしかに自分も言われてみれば、そういう話が墜落直後、錯綜していたような記憶がある。
☆http://daidaikonn.blog27.fc2.com/blog-entry-17.html より
◎日航機墜落事故の真相、そして普天間と機密費と。~平和ボケ国家 日本~
そして亡くなった人々の魂を慰める慰霊碑には、身も凍るような形が施されているのです。。。
▼http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/022/895/09/N000/000/003/132862491997113125636.jpg
↑
ナカソネ、加藤紘一、真実を語って くたばれ!
このままでは地獄で閻魔様の邏卒どもから無間の仕置を受けるぞ!
追: 1:00PM
いろいろ各説集めておる、
◆http://ameblo.jp/64152966/entry-11908306695.html
wantonのブログ 2014-08-11
◎何故か? 明日8月12日、
日航機123便墜落事故を特集するそうです。
より抜粋、
管理人
私は今回のテレビの内容よりも、寧ろ、
「何故、特集してドキュメンタリータッチのドラマを製作したのか?」
こちらの方に関心があります。
恐らく、やらされていると思ってますから・・・
しかも、今年3月8日、
マレーシア航空370便、南シナ海上空で消息を絶つ。
7月17日、
ウクライナ上空でマレーシア航空便撃墜事件
・・・といったような事件が続いている時に、一体何故か?
と考えるのは、不自然ではないと思います。
私には、決して忘れるなという警告のように見えます。
皆さんは、どのようにお感じになられたでしょうか?
そして、ただの警告だけではなく、言う事を聞かなければ、
また同じ悲劇が起こりますよっていう恫喝にも取れます。
さて、今回、テレビが特集した内容といったものは、
幾つかの新情報も出て来ると思われますが、
本当の真相に迫るもので無いのは仕方ありません。
真相を知る張本人が検閲して編集されたものに違いないからです。
問題の8月12日なんですが・・・
数字を逆に置き換えると、12月8になります。
この日は、日本軍が真珠湾攻撃をした日付です。
反攻⇒リメンバー、パール・ハーバーって意味にもとれます。
逆襲、復讐した???
つまり、日本が攻撃した相手から、逆に反撃したのだと解読することも出来る訳です。
さしずめ、アメリカ流の作法からすると、
「リメンバー、パール・ハーバー作戦」とでも名付けたのでしょうか!?
ところで、真相に迫る秀逸な記事を御紹介します。
(但し、例によって、出回っている撹乱情報も一部アリ)
原発問題さんのサイトより
☆http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a1a847e042b50e4899e8cc57750e87d1
原発問題 2013-08-19
◎【JAL123便墜落事故】彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、
火炎放射器で生きたまま焼かれた
<一部引用>
『疑惑/JAL123便墜落事故』
(早稲田出版刊)の著者、角田四郎氏は、御巣鷹山の現場登山に行ったさい、
ある金属片(添 付ファイル)をひろって持ち帰り、事前説明なしで、
友人の航空機の整備士(米国人)に 鑑定を依頼しています。
結果はどうだったのでしょうか。
結果について書かれた部分を ご紹介します。
----------------------------------
彼の答えは、私のド肝を抜いた。「たぶん」と疑問視を付けて
慎重に、しかし、はっきりとこう言った。
「ミサイル」(This is missile.)
「まさか!」(Not Really !)
「たぶん、ミサイル」(Maybe missile.)
――角田四郎著、『疑惑/JAL123便墜落事故』より
----------------------------------
尋常ならざる遺体の状況 参考ウェブサイト:
☆http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0809.html
ジェット燃料は高くて1400℃に到達するというが、
それは灯油の1100℃とたいして変らない。
実体はほとんど灯油と同じと考えてよい。
▼http://livedoor.blogimg.jp/ijn9266/imgs/f/5/f58852b1.jpg
写真の子供は頭部の輪郭が崩れる程激しく燃えており、
ジェット燃料(灯油)が原因ならば、まとまった燃料が本人にかかり燃えた、
あるいは近くで激しく燃えていたことになる。
しかし、子供の遺体に寄り添うように生えた木立にはほとんど焦げ跡がない。
しかも雑誌の文面には「紙幣や書類が周囲に散乱していた」(写真誌フォーカス)
と記載されている。
ジェット燃料はこの子だけをめがけ飛び散り、
この子だけを燃やして火は収まったというのだろうか?
この不自然な状況を説明する理由を私はこう考える、
「この子はごく間近から火炎放射器で焼かれたのだ」と。
元記事
当時、遺体の歯形で本人確認を行った
大國勉氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)に、
青山さん(元日航客室乗務員、青山透子氏)は何度もインタビューを試みている。
「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、
それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、
骨もそこまで燃えていない。
なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。
… 二度焼きしたような状況だ」。
周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、
遺体だけが骨の芯まで焼かれているのはなぜか。
群馬県の検視報告書において担当医が
「二度焼き」という言葉を使ったことは、ただごとではない。
<引用終わり>
*****************************
管理人
一番最初に墜落現場に到着した日本人の顔をした自衛隊は、
大型アーミーナイフを携帯していました。
このナイフは高価で、当時、自衛隊には装備されていません。
在日米軍にしか装備されていません。
後から到着した自衛隊員とは別物だと考えても良いと思います。(既報ですが韓国人でしょう?)
火炎放射器・・・
「二度焼き」・・・
これは、確認出来た事実を元にしています。
しかし、この事実が、何故起こったのか?
或いは、起こされたのかという点について、
検証作業を行なった記事を私はまだ目にしていません。
もし行なわれたのだとすると、
その目的とは一体如何なるものだったのか?
以下、ご参照あれ!
(引用2)
西側による制裁のお陰で、ロシアはついに汚職や官僚支配、エネルギー部門への依存、
また機械工業の未発達などの問題解決に取り組むことができるのだ。
またロシア国民が何よりも喜んでいるのは、
ロシア政府が欧州からの食品輸入に制限を導入したことだ。
これでやっと、現在すでにロシアを「養う」力のあるロシアの農業は、
最近まで西側の農業生産者にほぼ独占されていた
ロシアの消費者やロシア市場への道を見つけることができる!
(引用1)は、偽装自衛隊によって日航機123便の生存者たちが大量虐殺された、という話。その理由は日航機123便は実は米軍の誤射によって墜落したのだという事実の隠蔽のためだという恐ろしい話である。しかも、これは当時の中曽根総理の了承のもとに行われたそうである。まあ、「陰謀論」が嫌いな人はこれを妄想だと考えてもいいが、幾つかの事実は、これが妄想ではないことを裏付けているようだ。
(引用2)は、ロシアは「西側」の制裁によって、むしろ国力が高まるという面白い分析だ。つまり、「西側」との経済相互依存によって富を奪われることがなくなるために、ロシアは西側との経済的国交断絶によって利益を得るだけだ、ということだ。これは日本中国その他の国にとっても面白い分析ではないか。
なお、「徽宗皇帝のブログ」に書いたとおり、私のパソコンの寿命が終わりかかっているようなので、このブログの更新が途絶えた場合は、そういう事情だと思っていただきたい。
(引用1)
今日は日航機事故から29年ですね、当ブログでも何度か取り上げておりますが、
本家がお休み中なのが残念です。 ☆http://blog.goo.ne.jp/adoi
今回は、
◆http://m.webry.info/at/nikusiminorensa/201202/article_3.htm;jsessionid=
A93DD8EF35D22860F868D21C3C70DB71..32791bblog?i=&p=&c=m&page=2&guid=on
2012/02/07
◎日航機123便墜落事故・・・・・・これには身も凍るような物語がある
最近、オウムに関して二度ほど記事にしましたが、ここでもう少し付け加えると、
オウムのことに関して書いた前回や前々回では、自衛官が関わっていたと言いましたが、
これには警察も関わっていたのが濃厚だと言いたいのです。
おかしなことは多々あるのです。
1995年3月20日午前8時、事件は起きました。
後に「地下鉄サリン事件」と呼ばれる出来事でした。
この時、薬物がサリンだと特定されるのに要した時間は約3時間、
「松本サリン事件」(1994年)では、薬物判定に5日を要しました。
この時間差はいったいなんでしょう?
9.11では、あっという間にビン・ラディン率いるアルカイダと特定されました。
このようなバカ丸出しの手法を使って人を殺す歴史を作るのですね。。。
「日航機123便墜落事故」もそうです。不可解なことが多すぎです。
この事件では520人もの人が亡くなったと言います。
当時、地元の人たちは墜落現場をほぼ特定できていたと言います。
にも関わらず自衛隊はそれを無視し、違う場所を捜索していたようなのです。
これは、タイタニック号に他船が無線で氷山の場所を知らせていた状況と同じではないですか!
そうやって現場に辿り着くのをわざと遅らせてなんか謀略でも働いていたのでしょうか。。。
そしてこの事故(?)が起きたのが1985年8月12日、
ベンさん(古歩道)は以前「日本を「プラザ合意」参加させるために仕組んだ謀略だ!」的な発言をし、
アメリカ軍が脅しとして日航機123便を撃墜したんだ!という発言をしていました。
ベンさんの本から引用して以前私は記事を書いたので、まずはそちらを一読願います↓
☆http://nikusiminorensa.at.webry.info/201106/article_20.html
◎日本は常に脅される
そして、この謀略事故(?)の内容をWebサイトなどでいろいろと読んでいた時、
ホントに人間の悪魔的部分を感じました。
ただただ悲しく、ただただ人間の尊厳というものを考えました。
公式には、生存者数は4人となっており全て女性です
(落合由美さん、川上慶子さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの親子の4人)。
でも誤魔化せない事実が証拠として残っています。それは次の新聞記事のタイトル↓
▼http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/022/895/09/N000/000/003/132862436822713125590.jpg
7人・・・・・・この生存者4人という奇妙な情報は、
運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書によります。
しかし、昭和60年8月13日の日経新聞(夕刊)では、捜索隊が
男1人女3人の生存を確認と記載しています。
そしてさらに、その後3人の重体者を発見したと言うのです。
<まず、川上慶子さん(十二歳・女性)、落合由美さん(二十六歳・女性)、
吉崎博子さん(三十四歳・女性)、吉崎美紀子さん(八歳・女性)はいずれも、
担架で救出されている。(中略)ところが、
このいずれも担架で救出された四人の女性
(女性四人は、自衛隊のヘリコプターで吊り上げられ、多野総合病院に搬送された)
とは明らかに別に、もう一人の女の子が
「担架に乗らないでも良いくらいに元気で、救助隊員に抱かれて」救出されている。
明確にここで、墜落のダメージをそれほど受けていない「女の子が一名」生存していた。
次に、担架で救出された他の二名は「毛布をかけられ、性別や年齢が判断できない」が、
ここでもあきらかにすぐさま名前が確認され、
担架に乗せられたが、毛布を顔まで隠されていなかった川上慶子さん、落合由美さん、
吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの四名以外に、生存者がいたことは確かである。
ところが生存とされ、担架に乗せられた二名は、
顔まで毛布を被せられ、性別や年齢がわからなかった。
もっと言えば、生死も判別できなかった。
しかし機体後部が墜落した、スゲノ沢からあがってくるのが「三人」だった。
うち一人は女の子で、担架にも乗らずに救助隊員に抱かれていた。
とすれば担架に乗せられて、
毛布を顔から被せられていた二名も生存していたと判断するのが、妥当である。(中略)
さらに驚愕すべきことに、この合計七名の生存者以外に、男の子の生存が確認されている。
当初、報道機関が生存者七名に加えて、もう一名の生存者である「男の子」がいた
と報道したのは、正しかった。(中略)
しかしこの「男の子」に関する情報は、ここで完全に爾後、プッツリと途切れてしまっている。>
(『完全犯罪―JAL123便撃墜事件』池田昌昭:
☆http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-category-29.htmlより)
そして、次の内容を読んだ時、心が張り裂ける思いでした。。。
さらに詳しい内容は次に示します。
<1985年8月12日午後6時12分に羽田を離陸した日航機123便は、その後、
相模湾上空に差し掛かったところで、海上で演習をしていた米軍の追撃ミサイルに誤射され、
垂直尾翼が破損してしまう。
そのため、横田基地への緊急着陸を当初は米軍も誘導したが、
東京の市街地に墜落して大惨事になることを恐れ、さらには、墜落事故が起きたことだけでも、
日米同盟に、世論が猛反発することを恐れた中曽根政権は、
自衛隊機を飛ばし、群馬県に123便を誘導、御巣鷹山に午後6時56分に墜落。
アントヌッチ証言にもあるとおり、当初からアメリカ軍は、その墜落場所を正確に把握していて、
日本側に救援も申し出た。また、日本側も、かなり早い段階から、墜落場所を特定していた。
加藤紘一防衛長官自身、その日、上空から墜落場所を視察している。
しかし、米軍の誤射が日航機の墜落につながった、ということを恐れた中曽根政権は、
時間稼ぎのために、当日の捜索を行わなかった。
それどころか、義憤にかられ、捜索をしようとした自衛隊員を射殺した、という情報さえある。
墜落当日は、生存者の落合由美さんの証言にもあるとおり、多くの人の命がまだ助かっていた。
(中略)
日航機の墜落直後に、救出に向かおうとした自衛隊員が射殺された、
これは事実ではないだろうかと思っている。
この話は、NHKが20:00に速報で流している。
「20:00 上野村三岐待機自衛隊一群到着。
待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺」(NHK)
その後、放送で、
**************
NHKアナ
「ただいま長野県警から入った情報です。現地に救助に向かった自衛隊員数名が、
何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。続報が入り次第お伝えします」
その後
NHKアナ
「先ほど自衛隊員が何者かに襲撃され死者が数名出たとお伝えしましたが、誤報だった模様です。」
**************
と流れた。
この放送については、多くの方がブログにも書いている。
たしかに自分も言われてみれば、そういう話が墜落直後、錯綜していたような記憶がある。
☆http://daidaikonn.blog27.fc2.com/blog-entry-17.html より
◎日航機墜落事故の真相、そして普天間と機密費と。~平和ボケ国家 日本~
そして亡くなった人々の魂を慰める慰霊碑には、身も凍るような形が施されているのです。。。
▼http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/022/895/09/N000/000/003/132862491997113125636.jpg
↑
ナカソネ、加藤紘一、真実を語って くたばれ!
このままでは地獄で閻魔様の邏卒どもから無間の仕置を受けるぞ!
追: 1:00PM
いろいろ各説集めておる、
◆http://ameblo.jp/64152966/entry-11908306695.html
wantonのブログ 2014-08-11
◎何故か? 明日8月12日、
日航機123便墜落事故を特集するそうです。
より抜粋、
管理人
私は今回のテレビの内容よりも、寧ろ、
「何故、特集してドキュメンタリータッチのドラマを製作したのか?」
こちらの方に関心があります。
恐らく、やらされていると思ってますから・・・
しかも、今年3月8日、
マレーシア航空370便、南シナ海上空で消息を絶つ。
7月17日、
ウクライナ上空でマレーシア航空便撃墜事件
・・・といったような事件が続いている時に、一体何故か?
と考えるのは、不自然ではないと思います。
私には、決して忘れるなという警告のように見えます。
皆さんは、どのようにお感じになられたでしょうか?
そして、ただの警告だけではなく、言う事を聞かなければ、
また同じ悲劇が起こりますよっていう恫喝にも取れます。
さて、今回、テレビが特集した内容といったものは、
幾つかの新情報も出て来ると思われますが、
本当の真相に迫るもので無いのは仕方ありません。
真相を知る張本人が検閲して編集されたものに違いないからです。
問題の8月12日なんですが・・・
数字を逆に置き換えると、12月8になります。
この日は、日本軍が真珠湾攻撃をした日付です。
反攻⇒リメンバー、パール・ハーバーって意味にもとれます。
逆襲、復讐した???
つまり、日本が攻撃した相手から、逆に反撃したのだと解読することも出来る訳です。
さしずめ、アメリカ流の作法からすると、
「リメンバー、パール・ハーバー作戦」とでも名付けたのでしょうか!?
ところで、真相に迫る秀逸な記事を御紹介します。
(但し、例によって、出回っている撹乱情報も一部アリ)
原発問題さんのサイトより
☆http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a1a847e042b50e4899e8cc57750e87d1
原発問題 2013-08-19
◎【JAL123便墜落事故】彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、
火炎放射器で生きたまま焼かれた
<一部引用>
『疑惑/JAL123便墜落事故』
(早稲田出版刊)の著者、角田四郎氏は、御巣鷹山の現場登山に行ったさい、
ある金属片(添 付ファイル)をひろって持ち帰り、事前説明なしで、
友人の航空機の整備士(米国人)に 鑑定を依頼しています。
結果はどうだったのでしょうか。
結果について書かれた部分を ご紹介します。
----------------------------------
彼の答えは、私のド肝を抜いた。「たぶん」と疑問視を付けて
慎重に、しかし、はっきりとこう言った。
「ミサイル」(This is missile.)
「まさか!」(Not Really !)
「たぶん、ミサイル」(Maybe missile.)
――角田四郎著、『疑惑/JAL123便墜落事故』より
----------------------------------
尋常ならざる遺体の状況 参考ウェブサイト:
☆http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0809.html
ジェット燃料は高くて1400℃に到達するというが、
それは灯油の1100℃とたいして変らない。
実体はほとんど灯油と同じと考えてよい。
▼http://livedoor.blogimg.jp/ijn9266/imgs/f/5/f58852b1.jpg
写真の子供は頭部の輪郭が崩れる程激しく燃えており、
ジェット燃料(灯油)が原因ならば、まとまった燃料が本人にかかり燃えた、
あるいは近くで激しく燃えていたことになる。
しかし、子供の遺体に寄り添うように生えた木立にはほとんど焦げ跡がない。
しかも雑誌の文面には「紙幣や書類が周囲に散乱していた」(写真誌フォーカス)
と記載されている。
ジェット燃料はこの子だけをめがけ飛び散り、
この子だけを燃やして火は収まったというのだろうか?
この不自然な状況を説明する理由を私はこう考える、
「この子はごく間近から火炎放射器で焼かれたのだ」と。
元記事
当時、遺体の歯形で本人確認を行った
大國勉氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)に、
青山さん(元日航客室乗務員、青山透子氏)は何度もインタビューを試みている。
「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、
それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、
骨もそこまで燃えていない。
なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。
… 二度焼きしたような状況だ」。
周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、
遺体だけが骨の芯まで焼かれているのはなぜか。
群馬県の検視報告書において担当医が
「二度焼き」という言葉を使ったことは、ただごとではない。
<引用終わり>
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管理人
一番最初に墜落現場に到着した日本人の顔をした自衛隊は、
大型アーミーナイフを携帯していました。
このナイフは高価で、当時、自衛隊には装備されていません。
在日米軍にしか装備されていません。
後から到着した自衛隊員とは別物だと考えても良いと思います。(既報ですが韓国人でしょう?)
火炎放射器・・・
「二度焼き」・・・
これは、確認出来た事実を元にしています。
しかし、この事実が、何故起こったのか?
或いは、起こされたのかという点について、
検証作業を行なった記事を私はまだ目にしていません。
もし行なわれたのだとすると、
その目的とは一体如何なるものだったのか?
以下、ご参照あれ!
(引用2)
西側による制裁のお陰で、ロシアはついに汚職や官僚支配、エネルギー部門への依存、
また機械工業の未発達などの問題解決に取り組むことができるのだ。
またロシア国民が何よりも喜んでいるのは、
ロシア政府が欧州からの食品輸入に制限を導入したことだ。
これでやっと、現在すでにロシアを「養う」力のあるロシアの農業は、
最近まで西側の農業生産者にほぼ独占されていた
ロシアの消費者やロシア市場への道を見つけることができる!
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