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暴力と威嚇による部活統治

「レジデント初期研修用資料」という、新米医者あるいは医学生向けのブログから転載。
このブログ主は、発想が非常に柔軟で、思いがけない視点から物事を切り取ってみせることが多いが、また分析力にも優れている。
下記記事は、事実に基づくというよりは、ほとんどは推定による考察だと思うが、「暴力による統治のメカニズム」を実に鋭く分析していると思う。
私のように頭の粗雑な人間は、体罰による部活統治をただ「生徒は体罰が怖くて指導者の意思に従うのだろう」程度にしか考えないのだが、下の文章は、それをさらに「暴力による統治が最も実効的であるための方法」まで考察していて、おそらく桜宮高校での事件はまさしくこのような形での「暴力による統治」が「逃げ場の無い生徒」を自殺にまで追い込んだのだろうと想像できる。
その「逃げ場の無い人間」を「見せしめ」の対象にすること、そして「逃げ場の無い人間とはキャプテン(や副キャプテンなど)である」という指摘は、まさしく目から鱗である。
なるほど、統治する側の人間とは、まさしく統治のプロなのであり、効果的な統治方法を意識的であれ無意識的であれ選んでいることが多いのだなあ、と思う。そして、その方法がしばしば非人間的なものであることは、企業研修では定番の「新入社員辱め行事」などにも見られるところだ。いわば、従う側の自主的思考力や主体性を奪ってロボット化させることこそが、こうした統治の最高の目的なのだろう。そして、そうしたロボット集団は、しばしば短期間で効率的に「優秀な戦闘集団」にもなるが、自発的思考はできないから、ある程度以上のレベルには決して行けないのである。

下の文章は、なぜ多くの運動部部活で「暴力統治」がはびこるのか、という根本原因を示していると思う。
それは、まさしくそれこそが「効果的」だからである。

なぜ「非人間的であっても効果的な方法」を取るかと言えば、結局はそこに何らかの「報酬」があるからだ。
したがって、運動部部活での暴力が起こらないようにするには、「勝って得られる報酬」を無くすのが一番だ、という事になる。

勝っても何も得られないなら、指導者も、何も暴力行為の危険を冒す必要は無いわけである。もちろん、その報酬とは金銭的なものばかりでもない。また生徒たちが得られる報酬(マスコミによる栄誉や学校の表彰など)も、最小限にすればよいのである。
さらにもう一つの問題として、これも本当は大問題なのだが、部活指導を無報酬でさせている学校が多すぎる。相手から奪った時間や相手の費やした労力に対しては正当に賃金を払い、しかし、「勝利報酬」や「成功報酬」はまったく与えなくてもいい、と私は思う。それこそが正しい部活指導の在り方だろう。もちろん、それでは強いチームなどまず作れないことは言うまでもない。したがって、私の提案を聞き入れるスポーツ強豪校は、まず出てこないことは賭けてもいい。(笑)



(以下引用)


2013.01.10

暴力の工学的な側面

顧問の体罰が集中して、キャプテンの学生が亡くなった事例は、あれは「暴力を用いた統治」というものを考えると、ひどい事例とはいえ、工学として理にかなっているようにも思えた。
暴力は疲れる。暴力を行使する側は、「統治」という目標を達成するために投じる暴力量は、できることなら減らしたいだろうから、そこには「効率」の考えかたが入ってくる。説得みたいなやりかたは、暴力を好む人には甘すぎるように見えるだろうから、たぶん最初から選択肢に入らない。

選択肢を持たない人を探す

生徒を死に追いやった顧問の先生は、キャプテンに対して体罰を集中したらしい。
暴力を統治の道具として行使するときには、「選択肢を持たない」人間を選ばないと意味が無い。暴力というのは不快なやりかただから、その人に付き従う以外の道を選べる人に暴力を振るったところで統治は達成できない。たとえばチームで一番体力のない生徒に体罰を集中しても、何の効果も得られない。その生徒はたぶんクラブ活動を諦めて、もしかしたら親御さんは学校や警察に通報して、統治は崩壊してしまう。
チームにあって唯一、やめるという選択肢を持たないのはキャプテンになる。キャプテンがクラブ活動をやめるということは、チーム全員に対して迷惑がかかってしまうから、キャプテンの生徒には、やめるという選択が事実上与えられていない。
キャプテンに顧問の暴力が集中したのは必然なのだと思う。顧問が暴力を通じて「いいチーム」を目指そうと考えた時には、暴力を行使する意味のある生徒は、クラブの中にはキャプテン以外に存在しないから。
キャプテンに暴力を行使した後で、「お前には期待しているんだ」とか、「お前の能力ならばもっと成果が出るはずなんだ」とか、顧問がそうした暴力に前向きな理由付けを行うと、キャプテンの選択肢は断たれる。逃げ場を潰してしまえば、暴力の効果は増していく。

被害者は一人でいい

暴力は公平に配分する必要がない。選択肢を枯らした誰かを徹底的に追い詰めて、残りのメンバーに「ああはなりたくない」と思わせれば、それで統治は達成できる。
暴力を道具として用いる人はたいてい、チームのメンバーから「舐められる」ことを快く思わない。
キャプテンに対する暴力を通じて、チームに抑止が配分された結果として、顧問はたぶん、キャプテンには極めて厳しく当たる一方で、他の選手にはむしろ、公平で優しい統治者であったのだろうと思う。

連帯責任ルールの効果

連帯責任を上手に使うと、統治の効率はさらに向上する。
フルメタルジャケットの映画では、ほほえみデブの失敗を、他の新兵全員が肩代わりさせられていた。失敗した個人を罰するよりも、ああいうやりかたはよほど厳しい。
同じようなルールが、恐らくは顧問が率いるチームで施行されていて、他の生徒の失敗は、おそらくはすべて「キャプテンのせい」になり、失敗した生徒は事実上免罪され、失敗は全て、キャプテンが殴られることで贖われたのではないかと思う。
「自分が殴られなくてよかった」と思うような生徒はそもそも厳しい体育会のクラブ活動には入らないだろうから、こうしたルールで統治されたチームでは、失敗に対するプレッシャーは、失敗した個人が殴られるチームよりも、むしろ強かったのではないかと思う。

暴力の工学的な側面について

人が亡くなっていて、顧問が行ったことはまず犯罪と言っていいのだろうけれど、暴力を用いて統治を達成するやりかたとして、この人がチームに投じた総暴力量は、その日の気分で無作為に暴力を振るうような顧問よりもむしろ少なく、この顧問はこの人なりに、「工夫」を行なっていたのだと思う。
暴力の工学的な側面を考えるのは不謹慎だけれど、顧問のやりかたは工学としてよく考えられたものでもあって、こうした事例を「頭のおかしな顧問が招いた犯罪」であると切断処理してしまうと、再発は防止できない。




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