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安藤昌益のこと

年をとって頭がボケてくると、最初に忘れるのが人名だと聞いたことがあるが、この前は、ジブリの映画音楽で有名な久石譲(被災史上ではない)の名前がなかなか出てこず、今朝は、寝床のなかで、江戸時代の日本の共産主義者、あるいはアナーキストともいうべき、ある偉人のことを考えながら、その名前がまるっきり出てこず、とうとう俺もボケてきたか、とがっかりした。幸い、先ほどその名前を思い出したので、忘れないうちにメモとしてこの文章を書いているわけだ。ついでに、ネット上から、その人物、「安藤昌益」について書かれたものを転載しておく。ウィキペディアなどの方が詳しいだろうが、あまり長い紹介文よりも、下のような短い文章の方が読むほうにとっては簡便だろう。
なお、私が安藤昌益の思想の中で一番好きなのは、「聖人ほどの悪党はいない」という思想である。なぜなら、聖人(堯舜など、古代の聖人・聖王や、孔子など)こそが、庶民から収奪して、王侯貴族が遊び暮らす社会システムを作り、それを強化するための思想を作ったからである、というわけだ。





(以下引用)赤字部分は夢人による強調。武士=官僚・支配階級、百姓町人=一般国民と言い換えれば、これは現在でもまったく同じ。







 「今の世の中は間違いだらけだ。少しも働かない武士が、働く百姓や町人から年貢や金をしぼりとって暮らしている。こんな世の中ではなく、みんな働き、みんなが助け合う世の中にしたいものだ。
 江戸の町の中で、こう書き続ける一人の町医者がいました。机のそばには、それまで書いたものがうず高く積み上げられています。
 この町医者こそ、30歳を過ぎた孫左衛門でした。彼は今では、安藤昌益と名乗る学者でした。
 
 --わしが今書いているものを読んだら、将軍や大名どもは、驚いて腰を抜かすだろて。次には、わしの首でも切れとでも言うかな--

 身分が高いもの、低いものなどという考えは間違っている。将軍も、武士も、百姓も、みんな同じ人間ではないか。わしは、人間に上も下もなく、みんなが額に汗して働く新しい世の中をつくりたい」(「おはなし歴史風土記」歴史教育者協議会編より抜粋)

 安藤昌益の研究は、秋田県出身の思想家・狩野亨吉(こうきち)により始められ、主著「自然真営道」の研究が世に出て、江戸中期における特異な思想家として注目された。(右の写真は、安藤昌益の墓。大館市仁井田の温泉寺に建つ)
 狩野亨吉と安藤昌益については、「秋田県散歩」(司馬遼太郎著、朝日新聞社)に詳しく記されている。その一部を抜粋してみる。

 「ともかくも大館の町を歩きつつ思うのは、狩野亨吉のことである。
 彼が、明治30年代、官を辞し、古本の山にうずもれつつ、幾人かの知られざる思想家を発見したことは、明治期の偉業のひとつである。
 そのなかでも、もっとも数奇だったのは、江戸中期の安藤昌益(1703-62)の発見といわねばならない。

 昌益は、在世中も無名の人だった。
 明治32年、狩野亨吉の手もとに筆写本の膨大な著作がやってくるまで、この名を知るものはだれひとりいなかった。
 いまでは、内外に昌益の研究者が多く、それに安藤昌益全集が2種類も出たりしている。また中・高校の教科書にも出ているらしく、日本史上の人物としては知名度が高い。・・・

 昌益はこの大館市でうまれたのである。仁井田という在所に生まれ、晩年、八戸から生家に戻って、病死した。墓は、仁井田の温泉寺にある。・・・

 昌益の著述は、すべて漢文で書かれている。
 それも悪文だった。用語なども典拠を踏まえない自家製のことばが多く、さらには漢文の初歩的な文法まで無視して書くという、いわば言語表現の上での無茶者だった。
 --これは、バカだ。
 と、魚屋(自然真営道の本を持っていた)の息子は思ったにちがいない。また古書籍商の朝倉屋も、この悪文を見て商品価値がないとみたに相違ない。・・・

 安藤昌益は、狩野亨吉ほどの人の眼力をくぐらねば、評価されなかったであろう。すでに評価されてしまった後世で、昌益はえらいというのは、コロンブスの卵と同様、簡単なことだが、はじめてナマの稿本を見、悪文と戦った人は、えらい。悪文の中からその思想を汲み上げ、評価するというのは、容易なことではない。・・・

 昌益の思想ははちきれるほどにふくらんで、噴火をつづけている。それを表現するのに、自分の言語的な陶冶(とうや)を待つなど、こういう天才にとっては無意味で、じれったく、どうでもよかったはずである。地殻を破って爆発しているのに、表層の整理整頓などかまっていられないという気持ちがあったのに相違なく、ここに徹底的な独創者としての爆発的なばかりの粗野さがある。・・・

 亨吉は昌益について
「不文なる昌益」とか「破格的人物」とかいう。さらには、
 安藤昌益は狂人ではなかったか。
 とも設問している。・・・

 昌益は「自然真営道」のなかで
 「百年のちの人に読んでもらう」
 という意味のことを何度も書いている。これも、計算と胆力から出た気配りに相違ない。そうなれば、昌益としてもはや憚るところがない。・・・

 いずれにしても、秋田県で「県北」といわれるやや僻地視されているこの山間の小盆地が安藤昌益と狩野亨吉という二つの大きな精神を生んだということに驚くのである。」




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