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春風馬堤曲

「小さな資料室」から転載。
ようやく春になったこの頃の気候にふさわしいか、と思っての転載である。コピーの際に注の部分が見づらくなってしまったが、高校で古文を学んだ人なら原文で十分に理解できるだろう。
これは、俳句と散文と漢詩などをコラージュした詩(漱石の「猫」では、明治時代に流行した「新体詩」の先駆けのようなもの、としている。)であり、江戸時代にこのような作品を作った蕪村の独創性に驚かされる。最後の一句は蕪村の知人であった太祇のものであるが、他人の句で自分の「詩」の最後を飾るという、現代の詩人ではまず考えられない離れ業だ。(もっとも、西脇順三郎がキーツの詩の一節を自分の詩に引用した例はある。「『覆された宝石』のような朝」というフレーズがそうだという。)
長柄川に沿う、馬堤の上を春風に吹かれながら故郷に帰る若い娘の浮き浮きとした気分、故郷で自分を待つ母親の姿を見た喜びが、時間と風景の流れの中でさりげないドラマとなっていく。しかし、よく読むと、最後のクライマックスに至る布石が見事に敷かれているのである。「親鳥と雛」「たんぽぽの『乳』」そして、最後に待ち受ける


嬌首はじめて見る故園の家黄昏
 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を
 待春又春



その夜は、この薮入りの娘は老いた母と枕を並べて寝て、幼い頃に帰っただろう。





(以下引用)



資料335 与謝蕪村「春風馬堤曲」





 


        春風馬堤曲   
                
謝  蕪  邨





 


    余一日問耆老於故園。渡澱水
    過馬堤。偶逢女歸省郷者。先
    後行數里。相顧語。容姿嬋娟。
    癡情可憐。因製歌曲十八首。
    代女述意。題曰春風馬堤曲。


   
春 風 馬 堤 曲  十八首

○やぶ入や浪花を出て長柄川
○春風や堤長うして家遠し
○堤
ヨリ摘芳草  荊與蕀塞路
 荊蕀何妬情    裂裙且傷股
○溪流石點々   踏石撮香芹
 多謝水上石   敎儂不沾裙
○一軒の茶見世の柳老にけり
○茶店の老婆子儂を見て慇懃に
 無恙を賀し且儂が春衣を美ム
○店中有二客   能解江南語
 酒錢擲三緡   迎我讓榻去
○古驛三兩家猫兒妻を呼妻來らず
○呼雛籬外鷄   籬外草滿地
 雛飛欲越籬   籬高墮三四
○春艸路三叉中に捷徑あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に
 三々は白し記得す去年此路よりす
○憐みとる蒲公莖短して乳を浥
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 慈母の懷袍別に春あり
○春あり成長して浪花にあり
 梅は白し浪花橋邊財主の家
 春情まなび得たり浪花風流
○郷を辭し弟に負く身三春
 本をわすれ末を取接木の梅
○故郷春深し行々て又行々
 楊柳長堤道漸くくだれり
○嬌首はじめて見る故園の家黄昏
 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を
 待春又春
○君不見古人太祇が句
  藪入の寢るやひとりの親の側



 


 


 




(書き下し文・読み仮名付き本文)

   春 風 馬 堤 曲 

  余、一日
(いちじつ)、耆老(きらう)を故園に問ふ。
  澱水
(でんすい)を渡り馬堤(ばてい)を過ぐ。偶(たま
   たま)
(ぢよ)の郷(きやう)に歸省する者に逢ふ。
  先後して行
(ゆ)くこと數里、相(あひ)顧みて語る。
  容姿嬋娟
(せんけん)として、癡情(ちじやう)(あはれ)
   
むべし。因(よ)りて歌曲十八首を製し、女(ぢよ)
  に代はりて意を述ぶ。題して春風馬堤曲と曰
(い)
   
ふ。
  


   春 風 馬 堤 曲  十八首

○やぶ入
(いり)や浪花(なには)を出(いで)て長柄川(ながらがは)
○春風や堤長うして家遠し
○堤より下りて芳草を摘めば 荊
(けい)と蕀(きよく)と路を塞(ふさ)
 荊蕀何ぞ妬情
(とじやう)なる 裙(くん)を裂き且(か)つ股(こ)を傷つく
○溪流石點々 石を踏んで香芹
(こうきん)を撮(と)
 多謝す水上の石 儂
(われ)をして裙(くん)を沾(ぬ)らさざらしむ
○一軒の茶見世の柳老
(おい)にけり
○茶店の老婆子
(らうばす)(われ)を見て慇懃に
 無恙
(ぶやう)を賀し且(かつ)(わ)が春衣を美(ほ)
○店中二客有り 能
(よく)解す江南の語
 酒錢三緡
(さんびん)(なげう)ち 我を迎へ榻(たふ)を讓つて去る
○古驛三兩家
(さんりやうけ)猫兒(びやうじ)妻を呼ぶ妻來(きた)らず
○雛
(ひな)を呼ぶ籬外(りぐわい)の鷄(とり) 籬外草(くさ)地に滿つ
 雛飛びて籬
(かき)を越えんと欲す 籬高うして墮(おつること)三四
○春艸
(しゅんさう)(みち)三叉(さんさ)中に捷徑(せふけい)あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲
(さけ)り三々五々五々は黄に
 三々は白し記得
(きとく)す去年此路(このみち)よりす
○憐
(あはれ)みとる蒲公(たんぽぽ)莖短(みじかう)して乳を浥(あませり)
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 慈母の懷袍
(くわいはう)別に春あり
○春あり成長して浪花
(なには)にあり
 梅は白し浪花橋邊
(なにはきやうへん)財主の家
 春情まなび得たり浪花風流
(なにはぶり)
○郷
(きやう)を辭し弟(てい)に負(そむ)く身(み)三春(さんしゆん)
 本
(もと)をわすれ末を取(とる)接木(つぎき)の梅
○故郷春深し行々
(ゆきゆき)て又行々(ゆきゆく)
 楊柳
(やうりう)長堤道(みち)漸くくだれり
○嬌首
(けうしゆ)はじめて見る故園の家黄昏(くわうこん)
 戸に倚
(よ)る白髮(はくはつ)の人弟(おとうと)を抱(いだ)き我を
 待
(まつ)春又春
○君不見
(みずや)古人太祇(たいぎ)が句
  藪入の寢
(ぬ)るやひとりの親の側(そば)


 


 


 


 


 


 


 


 


 




    (注) 1. 上記の与謝蕪村「春風馬堤曲」の本文は、講談社版『蕪村全集 第四巻』(1994
          年8月25日第1刷発行)によりました。ただし、本文の振り仮名は省き、漢字は新字
          体を旧漢字に改めました。
         2.  本文の平仮名の「こ」を縦に潰した形の繰り返し符号は、「々」に置き換えてあり
          ます(點々、三々五々、行々)。また、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符
          号は、普通の平仮名に置き換えてあります(むかしむかし)。
         3. 「荊蕀何妬情」については、全集の頭注に、「「妬情」はやきもち。寺村家本に蕪村
          自筆で「無情」(つれない)と朱で訂正する(頴原ノート)」とあります。従って、「荊蕀
          何無情」としてある本文もあります。
           全集の本文には、「妬」の右に「(無)」としてあります。 
         4. 「春風馬堤曲」の読み方は、「しゅんぷうばていきょく」「しゅんぷうばていのきょく」
          の両方の読みがあります。手元の書物では、
           「しゅんぷうばていきょく」と読んでいるもの
             揖斐 高 校注・訳『蕪村集 一茶集』
(日本の文学 古典編、ほるぷ出版、1986年) 
             尾形仂・校注『蕪村俳句集』
(岩波文庫、1989年) 
             尾形仂 山下一海・校注『蕪村全集 第四巻』
(講談社、1994年)
           「しゅんぷうばていのきょく」と読んでいるもの
             清水孝之・校注『与謝蕪村集』
(新潮日本古典集成、1979年)
         5. 与謝蕪村(よさ・ぶそん)=江戸中期の俳人・画家。摂津の人。本姓は谷口、のち
              に改姓。別号、宰鳥・夜半亭・謝寅・春星など。幼時から絵画に長じ、文人画
              で大成するかたわら、早野巴人
(はじん)に俳諧を学び、正風(しょうふう)の中興を
              唱え、感性的・浪漫的俳風を生み出し、芭蕉と並称される。著「新花つみ」「た
              まも集」など。(1716-1783)            
 (『広辞苑』第6版による。)
         6. 春風馬堤曲(しゅんぷうばていのきょく)=俳詩。与謝蕪村作。「夜半楽」(1777年
              (安永6)刊)所収。藪入りで帰郷する少女に仮託して、毛馬堤(現、大阪市)の
              春景色を叙した、抒情性豊かな郷愁の詩。      
(『広辞苑』第6版による。)
            
春風馬堤曲(夜半楽)=蕪村が安永6年の春興帖として出した俳諧撰集「夜半楽」
              (半紙本1冊)に、正月の夜半亭歌仙1巻、春興雑題43首、澱河歌などととも
              に収められている。小冊子でありながらこの書が知られているのは、実は「馬
              堤曲」と「澱河歌」のあるがためである。「馬堤曲」の制作は同年正月と推定さ
              れ、帰郷の藪入娘に仮託して、蕪村みずからがその郷愁をうたったものであ
              る。俳句と漢詩とが見事にとけあい、和詩として最高の地位を占めるものとい
              っても過言ではない。          
(日本古典文学大系の「出典解題」による。)

         7. 資料334に、与謝蕪村「北寿老仙をいたむ」があります。




(追記)前説に書いた、「覆された宝石のような朝」は、これ全体ではなく、「覆された宝石」の部分が引用だったと思う。つまり、「『覆された宝石』のような朝」という詩句だったと記憶している。紛らわしい文章を書いて済まない。手元に何の本も無く、記憶だけで書くことが多いので、こういうドジをよくやる。



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