もう「いじめ」という言葉、止めにしませんか? 暴行・傷害・恐喝・脅迫・自殺幇助という立派な刑法犯ではありませんか? 事実認定されたのなら迷わず警察・検察に告訴・告発すべきです。 そうでなければいつまで経っても、子どもの喧嘩レベルとしてスルーされてしまいますよ。 学校や教育委員会は矯正施設ではないのですから、過大な期待を持ってはダメだと思います。
つまり、いじめ問題は社会構造の問題として抜本的対策を採らないと無くならない。具体的に言うと、「学校という異世界」をきちんと構造改革していくしかないのであり、現在の単なる受験予備校としての本質的性格の改善、学校権力の剥奪、そして「競争主義でない学びの場」あるいは単純に「両親が働いている間、子供を安全に委託できる場」としての学校にしていく必要があるのではないか。(いじめは競争のストレスが原因である、あるいは競争から脱落しそうな上位人間のストレス解消の面が大きいと思う。自分がストレスを受けているから、弱い人間を攻撃してストレス解消をするわけだ。競争が正しいとされるから、弱者を排斥するいじめも正しいことになる。他人を助けること自体が楽しいならいじめは起こらない)
まず、いじめは犯罪であることを徹底するなら、学校内への「警備員」配属とその巡回があってよい。その給与は学校の上部とは無関係に支払われ、学校責任者自体が監視されるわけだ。部活動での「犯罪的行為」「子供への加害行為(精神的加害含む)」の監視も必要だろう。
学校という組織に自浄能力がまったく無いことは明白だ、ということを国民全員が認知すべきだろう。そして学校教育を「生徒がお互いに教え合い助け合う」場にすべきだろう。つまりアニメのお約束の「学園祭」の楽しさが学びにおいても日常となるわけだ。学ぶことは本来は娯楽だからこそ、多くの学者が自ら進んで学んだのである。しかし、今の受験社会では学ぶことは刑罰である。
(以下引用)
《埼玉15歳イジメ自殺》「飛び降りたのは自分の意思ですよね?」15歳少年を追い詰めた、加害生徒の父親と祖母の"強烈発言”とは《録音あり》
私も小学生の頃、いじめられていた子をかばっていたことがあったけど、次は私がいじめられるようになった。 かばっていた子もいつの間にかそちらのチームに加わり、助けてくれることはなかった。 耐えきれず学校を飛び出したこともあったけど、慌てて担任が追いかけてきてマンション敷地で捕まり連れ戻された。 誰も助けてくれない、親にも言えない。 何とか耐えて中学校に入学し、いじめはなくなりましたが、今も私の手首には切り傷の痕が残っています。 死んだら親が悲しむとかよりも、死ぬことによって私のいじめに関わった奴ら全員困って人生めちゃくちゃになればいいと、憎悪の気持ちだけでした。 今はかわいい子供を2人授かり幸せです。あんな奴らのために死ななくてよかったと思います。 いじめは絶対ダメだと伝えていますが、いじめりている子を守れと言えません。 時代が変わっても、いじめは変わっていない。
自殺未遂を繰り返しているということなので、当然ながら重大事態認定がなされ弁護士などの第三者も含めたいじめ対策委員会などが組織されているはずですが、その組織的な動きにおいてこのような「謝罪の会」を設けることが決められたのでしょうか。だとしたら学校現場の常識としてちょっとあり得ない。 当事者がいじめを認めていないから、ではありません。認めていたとしても、自殺未遂を繰り返す被害者に加害者やその関係者を会わせるということは、普通はしない。学校と対応した教員は基本的な手続きを怠っているという意味で懲戒に値すると思いますが、それだけでなく、もし対策委員会が作られているのなら、その組織自体が糾弾されてしかるべきです。 また、その組織が作られていないのだとしたら、これもまたいじめ防止対策推進法に反しているということで、罪が一つ増える。