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「民主主義」がタイラント(僭主)を作る

「知の快楽」から転載。
私自身はアリストテレスの著作を自分で読んだことはないので、ここに書かれたことの真偽は判断できないし、使われている言葉自体が意味不明なものもある。たとえば、下の記述では「君主」と「僭主」の違いが「内面的なもの」でしかなく、他者からは判断が不可能である。
実際には「僭主」というのは「偽りの君主、資格無しに君主の座を奪い取った者」というのが多くの人の想像するものだろう。つまり、その人間が「美徳を目的としている」か「富を目的としているか」など、その言辞からはまったく判断不可能であり、その秘密の行為の暴露(露呈)によってたまに正体が 分かるだけだ。ということは、その人間の「君主の資格」など、美徳の有無では判断しようがないわけである。
手持ちの辞書(新明解百科語辞典)では僭主を「帝王の名を僭称する者」と文字通り明快に説明している。さらに、「古代ギリシアの諸ポリスにみられた非合法的手段で支配者となった者。多くは貴族出身で平民の不満を利用し、その支持を得て政権を掌握。(タイラント)」とある。実に痒いところに手が届く説明である。そして、その僭主の多くが暴君となったため、「タイラント=暴君」のイメージがついたのだろうが、では「合法的手段で支配者になる」とは、どういうことかというと、「血統による」か「議会の議決による」かのどちらかだろう。そして問題は、タイラントが出るのは「平民に政治への不満がある時」であり、タイラントは平民の支持を得て政権を掌握するわけだ。これはまさしく、「民主主義の発露」ではないかwww

(以下引用)

アリストテレスが国家の統治形態を論ずる部分は、彼の政治思想のハイライトをなすものである。彼は統治形態を、一人による統治、少数者による統治、多数による統治にわけ、それぞれについて、良い統治と悪い統治とを論じている。

まず良い統治には、君主政治、貴族政治、立憲政治の三つの形態がある。それに対して悪い統治には、僭主制、少数政治、民主性の三つがある。それぞれ良い統治が堕落した形態とすることができる。

アリストテレスは本音では、君主政治は貴族政治よりも優れ、貴族政治は立憲政治よりも優れていると考えていたようだ。だがそれは君主や少数者に優れた人物がいるという条件のもとでの話である。実際としては君主は腐敗して僭主となり、貴族は自分の利害を優先するあまり大衆を搾取して、堕落した少数者による政治に陥る。


民主政治の特徴は、貧窮者の手に権力が握られ、彼らが富裕者の利害を無視するところにあるが、同じく悪い政治のなかでは、少数政治や僭主政治よりも悪の度合いが少ない。こうしてアリストテレスは、実際の政治の経験の中から、民主政治を条件付で擁護する姿勢をもとっている。

アリストテレスがもっとも憎んでいたものは僭主政治であったようだ。僭主が君主と異なるところは、一言で言えば、君主が名誉を欲するのに対して、僭主は冨を求める点だ。君主は国民全体を衛兵とし外国に立ち向かうが、僭主は傭兵を蓄えて自分の利害のために武力を行使する。その対象は国民であったりもするのだ。また僭主はその大多数が煽動政治家であって、国民の支持を得て君主となりながら、一旦君主となるや、国民の利害を無視するものだ。

権力の交代を、アリストテレスは革命という概念で論じている。革命は僭主政治を対象にしてもっとも起こりやすく、民主政治においては起こりにくい。民主政治が腐敗して衆愚政治に陥ったとき、扇動者が現れて僭主となる場合があるが、それも長くは続かないというのが歴史の教えるところである。

このようにアリストテレスの政治を論じる視点は、一方ではギリシャの都市国家の歴史を踏まえ、他方では優れた政治家の資質をにらんで理想的統治をも論じるものとなっている。彼がプラトンと異なる点は、現実を理想に従属させなかったところである。

アルストテレスの統治形態論は、その後のヨーロッパ人の政治思想にとって、知的枠組みの一つとして大いな影響を持ち続けたのである

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