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地獄への道は理想で敷き詰められている

「ヤフー知恵袋」の中に面白い文章があったので転載し、保存しておく。
ポル・ポトの思想自体はわが国の安藤昌益に似ているが、その思想(原始共産主義と反知性主義または知識人憎悪)が引き起こした結果が物凄い地獄絵図である。
ソ連でも中国でも、ある種の「人民大虐殺」が行われていたわけで、どういうわけか、「人類の理想社会を作る」目的のはずの共産主義が、逆に現世を地獄に変えてしまう。そのメカニズム(社会力学)は、考察の価値がある。
もちろん、何度も言うように、共産主義と社会主義はまったく別である、というのが私の思想的立場だ。実際、社会主義がその国を不幸にした例は無い、と私は思っている。

よく知られた言葉をもじって言えば、「地獄への道は善意で敷き詰められている」というより、「地獄への道は理想で敷き詰められている」と言えるのではないか。「理想」は「空理空論」や「主観的正義」と言い換えてもいい。共産主義が「現実には実現できるはずのない幻想的思想(空理空論)」、極論であるのに対し、社会主義は現実と理想を止揚する中庸の道である。



(以下引用)


「カンボジアの悪夢」ポルポト政権を分かりやすく説明


ライターさん(最終更新日時:2013/10/19)投稿日: アドバイス受付中!


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カンボジアの悪夢、ポルポト政権を分かりやすく説明


注意




    • ※歴史的な学説は多々ありますので、一般的なものを説明いたします

    •  皆様に分かりやすくするための簡略な説明ですので、ご注意ください<(_ _)>
    • 参考にしたもの:安全保障学入門・中国の安全保障・映画「キリング・フィールド」・NHKスペシャル「映像の世紀」・慶応義塾大学の講義etc

引用等にはご自由にお使いください。

 ※注意※
今回、扱っている題材がポルポト政権ですので、死体画像や残虐な表現なども登場します。苦手な方はご注意ください(@_@;)キリング.jpg


はい、皆様こんにちわ(^^)/歴史的な出来事を気ままに解説するノートを書いている大学生です。少ない閲覧数にも負けずに頑張るぞ!!(笑)

今回説明させていただくのは、カンボジアで独裁的な統治を行ったポルポトについてのものです。上の画像はポルポト政権下のカンボジアを描いた作品、「キリング・フィールド」の一場面です。名作ですので、このノートを読んで興味の湧いた方はぜひ見てみてください。カンボジア.gif




多分ですが、まずカンボジアってどこにあんの?って人が多いと思うので、地図を貼っときます。東南アジアの一国家であり、ベトナム・ラオス・タイと国境を接しています。現在も発展途上国であり、貧困問題がまだまだ多く残っている国です。

ポルポト政権を説明するためには、当時の世界情勢を知っとく必要があるので、軽く説明します。当時の世界は冷戦真っただ中でした。冷戦って知ってますよね~??(・.・;) 簡単に言うと、アメリカ率いる資本主義国とソ連率いる社会主義国に世界中の国が分かれて、いがみ合っていた時代です。一歩間違えれば、核戦争勃発な時代です。

カンボジアという国は戦前はフランスによって植民地化されており、フランスの植民地政府が統治していました。そこにWWⅡが勃発すると、日本軍がやってきてフランスを追っ払います。しかし、日本が敗戦すると、再びフランスが植民地にしようとやってきました。





ここにフランスによる再植民地化を防ごうと立ち上がる人物が現れました。その名はノロドム・シアヌーク!! 実はこの人れっきとしたカンボジア王家の人物です。シアヌークは力ではフランスに勝てないと考え、国際世論に訴えるという方法で、フランスに立ち向かいます。

シアヌークの作戦は成功し、カンボジアはフランスからの完全独立を1953年に果たします。シアヌークは国王に就任し、ここにカンボジア王国が建国されました。国民のシアヌーク支持は極めて高いものでした。そりゃ、フランス追っ払いましたからねw胸のすく思いだったでしょう。

さて、説明したとおり、当時は冷戦時代です。独立を果たしたカンボジアが資本主義国となるのか社会主義国となるのか、世界が見守っていました。カンボジア王国が採った方針は社会主義国でした。

シアヌークは王位を父親に譲ると(王様ってのは色々やりずらいものなのです)、自ら国の指導を行っていきます。それは一種の独裁とも言えるやり方で社会主義政策を行っていましたが、国民の支持率は圧倒的だったので、まぁ必ずしも悪い独裁ではなかったのかも・・・

そんなシアヌークも弾圧を行っていました。その対象は、そうカンボジア共産党の急進派です。ここにポルポトも含まれていました。シアヌークは当初は左派に歩み寄っていましたが、過激派のあまりに急進的な思想に危機感を覚え、弾圧を加えて都市部から追い出しました。まぁ、共産主義って元々は王家とか認めませんしねぇ(^_^;) 弾圧されたポルポトなど急進派はジャングルに潜伏するようになります。この潜伏中に北京などを歴訪し、後の毛沢東思想を学んだのではないかとも言われています。 ちなみにカンボジア共産党は別名「クメール・ルージュ」と呼ばれていました。カンボジアの人々はクメール人です。そして共産主義のシンボルカラーは赤ですから、合わせてクメール・ルージュです。「ヤダ・・・カッコイイ//」名前ですねww

一方で、社会主義となったカンボジアを歯噛みしながら見ている国がありました。そう、資本主義国の旗振り役である「Stars&Stripes」こと、アメリカさんです。当時のアメリカでよく唱えられていた考えに「ドミノ理論」というものがあります。その考えとは「貧困地域において、1つの国が共産主義化すると、まるでドミノ倒しのように周りの国々も共産主義化する」というもので、貧困国の多かった当時の東南アジアでカンボジアが共産主義化したことを懸念していたのです。ちなみにこのドミノ理論、ベトナム戦争にも深く関わっています。

アメリカのCIAはシアヌーク政権を倒すために密かに活動を始めます。
CIAが目を付けたのは、シアヌーク政権下で首相と国防相を兼任していたロン・ノルという人物でした。1970年、アメリカの助けを借りたロン・ノルはシアヌークが北京・モスクワへの外遊に行っている隙を突いて、クーデターを起こし、政権を奪取します。国名もクメール共和国に改められました。

ロン・ノルはアメリカの支援を受けるほどですから、当然ながら右派です。 彼は国民の支持を得るために反ベトナムを前面に押し出します。あ、あれですよ、カンボジアとベトナムってクッソ仲悪いですよwというのも、フランスに植民地化される前のカンボジアってベトナムの王朝に圧迫されていたんです。世界中どこでもそうですが、隣国どうしってのは仲悪いんですねぇ。共通の敵がいれば仲良くなるんですがね、反イスラエルのアラブ諸国みたいに・・・(-。-)y-゜゜゜

さて、話は戻ります。ロン・ノルは国内のベトナム人を徹底的に弾圧します。当然ながら、ベトナムも黙っちゃいません。当時のベトナムは北ベトナム(社会主義)と南ベトナム(資本主義)に分かれて、ベトナム戦争中でした。このうちの南ベトナムに結成されていた南ベトナム解放民族戦線(共産主義)とアメリカはベトナム人保護を掲げて、カンボジアに出兵します。しかし、アメリカの思惑はカンボジア国内に潜伏している共産主義勢力を攻撃することでした。

アメリカ軍は共産主義者が潜伏していると思われる農村部を空爆します。これにより、数十万人の農民が犠牲になり、100万人を超える難民が都市部に逃げ込みました。当然ですが、国民のロン・ノルへの反発心は強まっていきます。そんな国民の支持を次第に得ていく勢力がありました。そう、クメール・ルージュです。

そういえば、政権を奪われたシアヌークはどうしたのでしょうか??実は彼は北京に亡命していたのですが、密かに帰国すると、ある勢力と手を結ぼうとします。ここでもまた出てきます、クメール・ルージュです。シアヌークは苦肉の策として、かつては弾圧したクメール・ルージュに助けを求めたのです。助けを求められたクメール・ルージュは「ふざけんな!!」って言って、シアヌークを拒絶・・・しませんでしたw いや、だってシアヌークって国民の圧倒的な支持を得ていましたから、これを利用しない手は無いじゃないですかw

国民の支持とシアヌークを手に入れたポルポト率いるクメール・ルージュはロン・ノル政権を打倒するために武力闘争を開始し、ここにカンボジア内戦が始まりました。アメリカの支援を受けたロン・ノルはアメリカ製の武器を手に戦いますが、クメール・ルージュのゲリラ戦術に苦戦することになります。

1973年、ベトナム戦争は北ベトナムの勝利に終わり、 それに伴いアメリカ軍・南ベトナム民族解放戦線ともにカンボジアから撤退することになりました。しかし、カンボジア内戦は続きます。ロン・ノルはアメリカの支援を受け続けますが、ジリジリと追い詰められていきます。そしてついに1975年首都のプノンペンがクメール・ルージュにより陥落させられ、ロン・ノルは国外へ亡命、クメール・ルージュによる政権奪取が成りました。ポルポトは国名を「民主カンプチア」に改めます。

ここからがカンボジア人にとって地獄の始まりでした(@_@;)
まず、ポルポトの持っている思想について解説しておきたいと思います。ポルポトの思想は「原始共産主義」というものです。共産主義にもいくつか種類がありますが、これはその中でも最も過激な部類だと考えてくれていいです。

ポルポトの原始共産主義は毛沢東思想に強い影響を受けていました。毛沢東思想ってのは文字通り、中国の毛沢東がマルクス主義を中国流にアレンジしたものです。つまり、ポルポトの思想はオリジナルをアレンジしたものをアレンジしたものです(ややこしいw)

では、原始共産主義ってどんな考えなのでしょう??マルクス主義においては階級・格差というものは批判されます。では、階級・格差の無い時代とはいつでしょう?? 「江戸時代でしょうか??」いやいや武士・農民とかありますね。「鎌倉時代??」いやいや武士いまっせw 「じゃあ平安時代だ!」 はいはい、貴族貴族w 「じゃあもう飛鳥時代だ!」天皇家もいるじゃないですかw  「分かった弥生時代だ!!」卑w弥w呼w

とまぁ、このように遡れども遡れども人間の世に階級・格差というものは存在していますねw 本当に格差・階級が存在しないのは、まだ人間が狩猟・採集をしていた頃です。もう何となく分かってきました??そう、ポルポトはこの人間が狩猟採集していた時代を理想の社会だと考えて、現代の世に原始時代を再現しようとしていたのです。ムチャクチャwwポルポト.jpg




あ、ポルポトの画像を貼っておきます。この人がポルポトです。話によると、ポルポト自身は温厚でいい人だったということを聞いたことがありますが、ポルポト率いるクメール・ルージュはとんでもない統治を始めます。政権を奪取したポルポトはシアヌークを軟禁してしまいます。そして、難民で溢れかえっていた都市部の人々を半ば強制的に農村部へと移住させてしまいます。というのも食料生産に従事させるためでした。クメール・ルージュに対する外国からの支援は打ち切られることが予想できたので、食糧生産を増やすのが急務だったのです。移住させられた国民たちは強制的に農作業させられます。

さあ・・・こっからはポルポト政権の統治がどの様なものだったのかを説明いたします・・・。うん、そうなんだ・・・酷い話なんだ・・・。

ポルポトは国内から知識人層を根絶することを目指します。なんでそんなことするのかって??原始時代に知識人いました??いないでしょう、知識は人々の間に格差をもたらすと毛沢東思想では考えられていまして、影響を受けたポルポトも「国を指導する我々以外の知識人層は自国には不要」と考えたわけです。

農作業に従事している人に布告が出されます。「医者・教師・技術者・学生だった者は名乗り出てほしい。国の再興には君たちの力が必要だ」とこんな感じの布告でした。当然、該当する人は名乗り出るわけです。「これで辛い農作業から解放される」 わけですから、これらの人々は拍手の中、みんなに見送られます。しかし、彼らの中に帰ってくる人は一人もいませんでした。彼らには「再教育」という名の処刑が待っていたのです(ToT)/~~~虐殺.jpg




 この知識人狩りは次第にエスカレートしていくことになります。以下は当時、本当にあった事例です。

「本を読んでる」←文字が読めるなんて知識人だから殺す(^_^メ)
「海外行ったことある」←海外行くなんて知識人だから殺す(^_^メ)
「ラジオを聴く」←ラジオを持ってるなんて知識人に違いない殺す(^_^メ)
「旧貨幣を持っている」←反体制派だから殺す(^_^メ)

ここまではまだ良い方です・・・。

「子どもに教育した」←我々と異なる思想を植え付けたから殺す(^_^メ)
「腕時計をしている」←腕時計しているなんて知識人(略)(^_^メ)
「恋人がいる」←社会風俗を乱すから殺す(^_^メ)

果ては・・・

「眼鏡をしている」←眼鏡をしているなんて(略)(^_^メ)
「手が綺麗」←畑仕事をしていなかった知識人だから殺す(^_^メ)
「イケメン&美女」←もう理由なんていいや、殺す(^_^メ)

全部、本当にあった話です。信じられませんね(@_@;) 私も当時のカンボジアにいたら何回殺されてるか分からんですよw少年兵.jpg




さらにポルポトは子どもを積極的に社会的な役割に着かせます。兵士も13歳以下の子どもが採用されました。その理由は「悪質な」思想に染まっていないから、原始共産主義を良く「理解」するからとのことです。他にも強制収容所の看守も子どもでした。子どもが大人を監視する社会が生まれていたのです。ちなみに強制収容所に入れられた「知識人」たちは漏れなく殺されましたが、中にはイソップ物語を話すことが出来たおかげで少年看守たちに匿われ、生き延びることができた人もいました。まさか、イソップ物語が自分の命を救うとは夢にも思わなかったでしょう(-。-)y-゜゜゜

このように重要な仕事に子どもが着いたわけですが、最も悲惨だったことは医者まで子どもだったということです。このような子供医者は数カ月のにわか仕込みの医療教育を受けただけで、ろくな医療知識も持っていませんでした。そんな子供医者が治療するもんですから、結果は皆さんの予想通りです。子供医者がろくな消毒もせずに注射した傷口は膿み、それが原因で死亡する人が続出。さらに子供医者は手術まで行います。あれ??それって最早、手術じゃなくて解剖じゃね??23151.jpg




ポルポトは更に密告制度を導入します。反体制派・知識人などを見つけたら密告しろってことです。密告された人は問答無用で処刑です。これにより、人々は疑心暗鬼になり、誰も信用できなくなります。かつての友人が友人を密告し、親が子供を密告し、子供が親を密告し、兄弟・夫婦構わず密告するようになります。密告しなきゃ、自分が密告されてしまうという強迫概念に支配されるわけです。

正に悪夢です。誰も信用できずに、いつ自分が殺されるかも分からない。しかも日々、少ない食事で重労働させられる・・・。以下はポルポトの指令書です。

「我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである。したがって伝統的な形をとる学校も、病院も要らない。貨幣も要らない。

たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ。今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる。

泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。

笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。」

せ~の、マジキチ!!なんじゃそりゃですよね(;一_一)
さらにポルポトは地雷を「完全な兵士」として高く評価し、西部のタイとの国境地帯を中心に大量に敷設します。これが今でも地雷被害を引き起こしている根源原因です。このようなポルポト政権下の大虐殺による被害者数は正確には分かってませんが、200万人にも迫ると言われています。

さあ、ポルポト政権はどうなっていくのでしょう?ポルポトもロン・ノルと同じように反ベトナムキャンペーンを行っていました。クメール・ルージュのラジオ放送では「ベトナム人を排除するのに洗練された武器は必要ない。歴史ある民族の各人が、その手で一人につき10人のベトナム人を殺せば足りる」と放送するほどでした。

1978年、ポルポトはベトナム領内に軍を派遣し、住民を虐殺します。
当然ながら、ベトナムは黙っちゃいません。民主カンプチアより亡命してきた人々で「カンプチア救国民族統一戦線」という軍隊を作り、ベトナム軍に組み込みます。この軍隊とベトナム軍が民主カンプチアに攻め込みます。破竹の勢いで進行していき、1979年には首都プノンペンを陥落させてしまいます。まぁ、ポルポト兵士は子供ですしねw


しかし、ここでベトナムにとって誤算となることが起きます。民主カンプチアの事実上の同盟国だった中国がベトナム軍の侵攻に対する報復としてベトナムに進軍してきたのです。これが中越戦争と呼ばれる戦争です。でも、ベトナム軍は強い!! 中国軍を逆に返り討ちにしてしまいます。ベトナムはWWⅡが終わってから、フランス→アメリカ→カンボジア→中国と戦って全てに勝っています。ベトナム恐るべしですねw

カンボジアを勢力下に置いたベトナムはヘン・サムリン政権を打ち立てます。負けたポルポト一派はタイ国境沿いのジャングルに逃れ、武力闘争を続けることになります。ちなみにベトナムはソ連の支援を受けており、ポルポトは反ソ連・反ベトナムでしたので、アメリカと中国の支援を受けていました。

こんな酷いことをしたポルポトを支援するなんてアメリカって最低って人もいるかもなので、ちょっと擁護しておくと、実は民主カンプチアって国は徹底した鎖国を行っていまして、国内の情報は全くと言っていいほど、分からなかったんです。そりゃ亡命してくる人も少しはいましたが、彼らの証言があまりにも突拍子もないものでしたので、国際社会は「まさか~w」って感じでしたwしかし、ベトナムによって事実が暴露されると、証言以上に酷い実情が見えてきたわけです。

さて、1989年にベトナム軍もカンボジア国内から撤退します。1993年に国連監視下で総選挙が実施され、カンボジアは立憲民主性の国として新たなスタートを切り、今に至ります。

ポルポトはどうなったかというと、クメール・ルージュを率いて闘争を続けるも、次第に勢力は縮小していきます。1996年にはポルポト軍は完全に崩壊し、ポルポト自身も1997年に心臓発作で死去します。結構最近まで生きてたんですねぇ。あ、ちなみにクメール・ルージュってまだいますよ、壊滅してません。二度と日の目を見て欲しくないものです。

ポルポトは正にカンボジア人にとっては悪夢そのものでした。だってあれですよ、ポルポトから解放された時の人口比がおかしいですもんwなんと国民の85%が14歳以下でした!!それだけ大人は殺されたってことです。まったく、高齢化している日本とは真逆ですねw


ここまで読んでくれてありがとうございました。
以上で私のノートは終わりにします。
良いノートだと思ってくれた方は評価してくれると嬉しいです(*^_^*)
あ、アドバイスも歓迎いたします($・・)/~~~


ブログ始めましたhttp://kouinosan.blog.fc2.com/






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