「るいネット」というサイトから転載。記事の所在は「スロウ忍ブログ」で知った。
私はずっと前からローマンカトリックはユダヤ教に乗っ取られた宗教だと主張しているが、それはカトリックの歴史的言行が聖書の中のキリストの教えとあまりに背馳しているのは何故か、という長年の疑問への答えがそれだったからだ。べつに誰かの著書や文章を読んでそう考えたわけではない。ネットを始めて、自分のその考えを補強する資料に多く触れるようになったが、「俺の推理力もなかなかではないか」と思うだけで、自分と似たような考えを持つ人間がこの世にたくさんいるなら、自分がこの問題について考える必要は無いな、と考えたので、この問題については棚上げにしていた。
だが、今回のバチカン騒動(スロウ忍ブログその他参照)があって、少し興味を持ったわけである。
肝心なのは、「ユダヤ」とは二種類ある、ということだ。ユダヤ支配層と被支配層だ。そのユダヤ支配層がバチカンを乗っ取り、イスラエルを作り、その目的のためにヒトラーを使ってユダヤ迫害をさせたというわけだ。つまり、ユダヤのホロコーストとは、ユダヤによるユダヤ人虐殺だったということである。
ユダヤに二種類ある、ということを考えないと、議論が混乱する上に、ユダヤ被支配層への同情がユダヤ支配層にうまく利用されることになる。
まあ、(バチカン=ユダヤ支配層=ナチス利用者)ということである。
「教皇庁の抜け穴」って何かかっこいいね。スパイ小説みたい。
(以下引用)
世界を動かす陰の支配勢力
233743 第二次大戦後のドイツとバチカン
アリンコ ( 20代 横浜 インテリアン ) 10/06/26 AM08 【印刷用へ】
バチカンとドイツとの関係は戦後も続いている。
ドイツの教会税が高いのもこのような関係が基本になっている??
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msg:リンク
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●このバチカンとナチスの関係は戦後もひそかに続いていた。戦犯ナチスの逃亡をバチカン組織が助け、アメリカや南米に送った。
これを「教皇庁の抜け穴」という。
ナチスの南米亡命のルートは、16世紀に結成されたカトリック組織「イエズス会」が切り拓いたものだった。大航海時代、スペイン軍とともにインディアス(新世界=アメリカ大陸)にたどり着いたイエズス会士たちは、教化・洗脳による勢力浸透を実行し、原住民たちとともにキリスト教信仰を実践するためにコミューンを次々と建設していった。それはさながらキリスト教的ユートピア──神の王国を現前化する、壮大な社会実験であった。
●ナチスの幹部の1人は、カトリック教会宣教師ファン・ヘルナンデス名義のパスポートで南米に逃れたことが確認されている。パラグアイはいわばナチスの“落人部落”として知られるが、それはカトリック教会が特異な営為──「レドゥクシオン(原住民教化集落)」建設をパラグアイで進めたことによっている。
また当時のアルゼンチンのペロン政権は、ナチス支持を公式に表明していたため、ナチスの逃亡先として南米が選ばれたのはごく自然の成り行きだった。
●1947年5月のアメリカ国務省の機密情報報告によれば、ナチ残党とその協力者がバチカン教皇庁の活動から除外されていないことが示唆されている。
「教皇庁は、出国者の非合法な動きに関与する唯一最大の機関である。この非合法な通行に教会が関与したことを正当化するには、布教活動と称するだけでよい。カトリック信徒であることを示しさえすれば、国籍や政治的信条に関わりなく、いかなる人間でも助けるというのが教皇庁の希望なのだ。」
「カトリック教会が力を持っている南米諸国については、教皇庁がそれら諸国の公館に圧力をかけた結果、元ナチであれ、ファッショ的な政治団体に属していた者であれ、反共産主義者であれば喜んで入国を受け入れるようになった。実際問題として、現時点の教皇庁は、ローマ駐在の南米諸国の領事と領事館の業務を行なっている。」
>●イギリス『ガーディアン』紙のアルゼンチン通信員であるウキ・ゴーニは、ナチ残党とカトリック教会組織の関係について次のように述べている。
>「のちに教皇パウロ6世となったジョバニ・バッティスタ・モンティーニ他多くの枢機卿が、その影響力を行使してナチ残党の逃亡支援に道を開き、ときには病的なまでの反共姿勢によって、少なくともそれを道徳的に正当化した。 〈中略〉 フーダルやシリのような司教・大司教が最終的に必要な事柄を進めた。ドラゴノヴィッチ、ハイネマン、デメーテルといった神父が、パスポートの申請に署名した。
>●また、大戦中にナチスによる迫害を逃れてイスラエルで育ったユダヤ人作家のマイケル・バー=ゾウハーは、著書『復讐者たち──ナチ戦犯を追うユダヤ人たちの戦後』の中で、次のように述べている。
「バイエルンおよびイタリアの赤十字の職員の一部はナチの不法越境に手を貸したが、それ以上に驚くべき事実は、“カリタス”などの宗教団体に所属する者や、フランシスコ会やイエズス会などがナチ逃亡を支援したことである。ナチスは抜けめなく僧侶たちの慈愛の精神に訴え、教皇ピオ12世が選出されて以来勢力を拡張したバチカンの“ドイツ派閥”とナチ党の間には常に最良の関係が保たれていた。この“ドイツ派閥”の指導者の一人が大司教アロイス・フーダルだった。 〈中略〉
1947年から1953年の間、“バチカン救援ライン”もしくは“修道院ルート”が、ドイツから海外の逃亡場所へ脱出するルートの中で、最も安全、かつ、最もよく組織されたルートだった。」
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私はずっと前からローマンカトリックはユダヤ教に乗っ取られた宗教だと主張しているが、それはカトリックの歴史的言行が聖書の中のキリストの教えとあまりに背馳しているのは何故か、という長年の疑問への答えがそれだったからだ。べつに誰かの著書や文章を読んでそう考えたわけではない。ネットを始めて、自分のその考えを補強する資料に多く触れるようになったが、「俺の推理力もなかなかではないか」と思うだけで、自分と似たような考えを持つ人間がこの世にたくさんいるなら、自分がこの問題について考える必要は無いな、と考えたので、この問題については棚上げにしていた。
だが、今回のバチカン騒動(スロウ忍ブログその他参照)があって、少し興味を持ったわけである。
肝心なのは、「ユダヤ」とは二種類ある、ということだ。ユダヤ支配層と被支配層だ。そのユダヤ支配層がバチカンを乗っ取り、イスラエルを作り、その目的のためにヒトラーを使ってユダヤ迫害をさせたというわけだ。つまり、ユダヤのホロコーストとは、ユダヤによるユダヤ人虐殺だったということである。
ユダヤに二種類ある、ということを考えないと、議論が混乱する上に、ユダヤ被支配層への同情がユダヤ支配層にうまく利用されることになる。
まあ、(バチカン=ユダヤ支配層=ナチス利用者)ということである。
「教皇庁の抜け穴」って何かかっこいいね。スパイ小説みたい。
(以下引用)
世界を動かす陰の支配勢力
233743 第二次大戦後のドイツとバチカン
アリンコ ( 20代 横浜 インテリアン ) 10/06/26 AM08 【印刷用へ】
バチカンとドイツとの関係は戦後も続いている。
ドイツの教会税が高いのもこのような関係が基本になっている??
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●このバチカンとナチスの関係は戦後もひそかに続いていた。戦犯ナチスの逃亡をバチカン組織が助け、アメリカや南米に送った。
これを「教皇庁の抜け穴」という。
ナチスの南米亡命のルートは、16世紀に結成されたカトリック組織「イエズス会」が切り拓いたものだった。大航海時代、スペイン軍とともにインディアス(新世界=アメリカ大陸)にたどり着いたイエズス会士たちは、教化・洗脳による勢力浸透を実行し、原住民たちとともにキリスト教信仰を実践するためにコミューンを次々と建設していった。それはさながらキリスト教的ユートピア──神の王国を現前化する、壮大な社会実験であった。
●ナチスの幹部の1人は、カトリック教会宣教師ファン・ヘルナンデス名義のパスポートで南米に逃れたことが確認されている。パラグアイはいわばナチスの“落人部落”として知られるが、それはカトリック教会が特異な営為──「レドゥクシオン(原住民教化集落)」建設をパラグアイで進めたことによっている。
また当時のアルゼンチンのペロン政権は、ナチス支持を公式に表明していたため、ナチスの逃亡先として南米が選ばれたのはごく自然の成り行きだった。
●1947年5月のアメリカ国務省の機密情報報告によれば、ナチ残党とその協力者がバチカン教皇庁の活動から除外されていないことが示唆されている。
「教皇庁は、出国者の非合法な動きに関与する唯一最大の機関である。この非合法な通行に教会が関与したことを正当化するには、布教活動と称するだけでよい。カトリック信徒であることを示しさえすれば、国籍や政治的信条に関わりなく、いかなる人間でも助けるというのが教皇庁の希望なのだ。」
「カトリック教会が力を持っている南米諸国については、教皇庁がそれら諸国の公館に圧力をかけた結果、元ナチであれ、ファッショ的な政治団体に属していた者であれ、反共産主義者であれば喜んで入国を受け入れるようになった。実際問題として、現時点の教皇庁は、ローマ駐在の南米諸国の領事と領事館の業務を行なっている。」
>●イギリス『ガーディアン』紙のアルゼンチン通信員であるウキ・ゴーニは、ナチ残党とカトリック教会組織の関係について次のように述べている。
>「のちに教皇パウロ6世となったジョバニ・バッティスタ・モンティーニ他多くの枢機卿が、その影響力を行使してナチ残党の逃亡支援に道を開き、ときには病的なまでの反共姿勢によって、少なくともそれを道徳的に正当化した。 〈中略〉 フーダルやシリのような司教・大司教が最終的に必要な事柄を進めた。ドラゴノヴィッチ、ハイネマン、デメーテルといった神父が、パスポートの申請に署名した。
>●また、大戦中にナチスによる迫害を逃れてイスラエルで育ったユダヤ人作家のマイケル・バー=ゾウハーは、著書『復讐者たち──ナチ戦犯を追うユダヤ人たちの戦後』の中で、次のように述べている。
「バイエルンおよびイタリアの赤十字の職員の一部はナチの不法越境に手を貸したが、それ以上に驚くべき事実は、“カリタス”などの宗教団体に所属する者や、フランシスコ会やイエズス会などがナチ逃亡を支援したことである。ナチスは抜けめなく僧侶たちの慈愛の精神に訴え、教皇ピオ12世が選出されて以来勢力を拡張したバチカンの“ドイツ派閥”とナチ党の間には常に最良の関係が保たれていた。この“ドイツ派閥”の指導者の一人が大司教アロイス・フーダルだった。 〈中略〉
1947年から1953年の間、“バチカン救援ライン”もしくは“修道院ルート”が、ドイツから海外の逃亡場所へ脱出するルートの中で、最も安全、かつ、最もよく組織されたルートだった。」
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