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まずは言葉を正しくしよう

私は、政治の根幹は「言葉を正す」ことにある、という荀子の論が好きなのだが、(荀子は女の名前ではなく、古代中国の思想家ね。)だから「憲法9条改正」という言葉も使わない。いちいち「改正(改悪)」と書いている。つまり、「みんなは改正と言うが実は改悪」ということだ。憲法とは国の政治の「理想」を述べたものであり、したがって、理想のレベルを下げたら、どこまでも落ちていくしかないだろう。そういう道を開いてはならないから、多くの人に「お花畑平和主義」と思われている憲法9条こそが必要なのである。
下記ツィートは「村野瀬玲奈の秘書課広報室」に載っていたものだが、「集団的自衛権」についての目から鱗が落ちるような言葉だ。まさにグリーンバーグ氏(?)の言う通り、これは「権」ではなく「義務」なのである。そう言うと「集団的自衛権」に賛同する人間が激減するからこれを「権」と言ってきたのが官僚話法(東大話法とは別に、これも論じられていい。)なのである。
そして、いったんこういう「義務」が法的に定められばその範囲がどこまで際限なく拡大するかは、(「集団(的)自衛権」についての小沢談話を読めばよく理解できるが)言うまでもないだろう。



(以下引用)



G.D.Greenberg @G_D_Greenberg

「集団的自衛権」という言葉がなじめないのは、日本語として意味不明なこともあるが、根本的問題は「権」。いま議論されている「集団的〜」は、「アメリカに何かあったときに助太刀を強要されること」なのだから、これ、「権利」じゃなく「義務」なのだ。


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