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「田舎県(過疎県)」で自民党支持者が多い理由

「東海アマブログ」記事の一部で、アマ氏の独断的意見だとも言えるが、一般的な「雪国の人の基本的性格」として、まあ、そうなる可能性は高いだろうな、と思える合理性があるのではないか。言い方は悪いが、監獄的な「閉鎖環境」では、完全な支配体制が出来、上に反抗しない人間性が形成されるわけである。
南国の土人(私である)のアッパラパー的な、脳天気な性格の反対である。ただし、私は表は陰鬱でクールに見られていると思うww 故ネットゲリラ氏も同じような主旨のことを書いていた記憶があるが、無口だと馬鹿が隠せるww あるいは高野文子氏の発言の引用だったか。

(以下引用)話の本筋ではないが、アマ氏の経験を通じての総評の話も面白いので載せる。


ブログに対して青さんからコメントがあった。
 
>自民党は金にならない地方の利便性に協力はせず、廃止の道を選んだ。
 それは「地方を切り捨て、殺す」という政策でもあった。

 自民党の新自由主義思想によって、過疎の地方は次々に「殺されて」いった。>
これはまったくそのとおりなのですが、
不思議なのは過疎地域でなぜ自民党が強いのか?ということです。
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 一部引用以上

 この問題は、私も若い頃から理解しがたい複雑な謎だった。
 とりわけ保守的な傾向の強いのが、島根県、富山県や震災に遭った福島県、石川県などだ。日本海沿岸に共通するといえばそうなのだが、新潟県より北の地域では、それほどでもない。

 保守的な地域では、権力や大企業に対する畏敬心(信仰)も強く、原発が作られやすい。民衆が、権力に対して抵抗しないで、容易に計画を受け入れてしまうのだ。
 福島、島根、石川、新潟では、ろくな反対運動もないまま原発が作られた。しかし、保守的とはいえない高知県や和歌山県、三重県では、原発計画を実力で叩き出してしまっている。(私は芦浜原発反対運動にかかわった)
 太平洋岸のこうした地域では、隠し事がなく、権力者のいいなりになることもなく、言いたいことが言える環境なのだ。

 私の知る限り、全国で最も保守的、反共的な地域は富山県である。そして富山県近傍で唯一、有利な原発立地だった能登半島に原発が作られた。
 この理由について、さまざまな分析が提起されている。

(中略)


 日本海側の人々は、基本、真面目で忍耐力が強い。私の母も新潟出身だが、苛酷な自然環境(積雪)のなかで、さらに苛酷な除雪などの労働を強いられてきた。だから、我慢強いのだ。
 一年の半分が、空が灰色に染まる季節で、人々は11月頃になると半年も続く連日連夜の雪に閉ざされた暗い世界を覚悟しなければならない。太陽の光を浴びることのできない世界では、人々の心は内側に向いてゆく。

 自分を解放することもできなくなる。母は、室内遊びに長けていた。家庭内の秩序を保つことには神経質だった。狭い室内空間でしか生活できないのだから、外の世界で発散できない。人間関係の齟齬は、極めて深刻である。
 長いものに巻かれなければならない。権力者に服従しなければならない。だから、表向き従順な人間性が形成されてゆく。

 権力に従順でない、社会の秩序を守らない者に対しては厳しい目が向けられる。富山県では、戦後、共産党の主導する労働運動が大きな勢力を持ったことがある。これに対して、地元の保守層は、激しい抵抗感を抱いた。
 私も、温泉で、直接、反共思想の元経営者から労働運動活動家を秘密裏に暗殺した話を聞いたことがある。
 私の父は総評役員だったから、少なからずショックだった。

 富山県民が、非常に保守的で、自民党支持者が圧倒的である本当の理由は、もしかしたら、共産党などの激しい活動に対する敵対心を育ててしまったのではないかとも考えた。
 富山では、権力者に対して従順を要求される。だが、本当の心は決して従順ではない。自分たちを利用しようとする権力者、資本家に対しては、表向き従順を装ってもサボタージュなどで対抗したりする。人間性が素直でなくなるわけだ。

 富山の著名企業、不二越会長が「富山県民は採用しない」と宣言して問題になった。
 https://www.data-max.co.jp/article/18069
 理由は、人間性が保守的で、閉鎖的ということで、発展性がないという意味らしい。 新しい変化に柔軟に適応できない理由は、「これは、こういうものだ」という観念的束縛が強いことを意味している。
 それは、富山県民が裏切られても自民党を支持し続ける本質的な理由かもしれない。

 もしかしたら、この閉鎖的人間性こそが、自民党が人々を裏切り続けても選挙に勝ち続ける本当の理由かもしれない。
 つまり、全国の保守的な農村地域で、自民党が、どんなに腐敗を見せても圧倒的な支持を得ている理由は、農村の人々が、富山県民と同じように、新しい変化に適応できず、新しい体制を拒絶する保守的な観念にあるのかもしれない。

 まあ、政治家を見ても企業を見ても、戦後日本は詐欺師たちが跳梁跋扈してきた。
 新しいものは信用できないのだ。日本共産党、新左翼、宗教団体、みんな信頼に足るものではなかった。
 ならば多少の腐敗や硬直があっても昔から続く古い体制を指示した方がマシということではないだろうか?
 だから、古い既存仏教や、由緒があり時代に淘汰され残った組織を信用するしかない、ということかもしれない。これが保守というものの正体であるといえる。

 要は、新しいものが信用できない。本当に信頼できるものが登場しないということなのだ。
 今や、総評といっても知る人など非常に少ないのだが、半世紀前まで、「昔陸軍、今総評」といわれたほどの強力な力を持った組織だった。
 今では誰も知らないから言うのだが、私の父が、愛知県総評(愛労評)の代表だった。
 あれほど、強い信頼感のあった大きな組織だった、その総評が、中曽根康弘の登場以降、小泉政権までに、あっというまに崩壊させられた。

 もしも、総評=社会党が国際勝共連合(統一教会と笹川良一ら)の破壊工作によって崩壊させられずに生き残っていたなら、たぶん「淘汰され残った組織」として、富山県でも全国の農村でも強い信頼と支持を得ていたにちがいないと私は思う。
 今のような保守性ではなく、逆に革新性に傾いていたのだと思う。

 だが、私は総評権力者の身内として、その実態を思い知らされてきた。愛労評事務局長だった父は、愛人を作り、知人企業から外車をプレゼントされて乗り回していた。1970年代はじめのことだ。
 そして、息子の私に他を睥睨するような学歴や権威を持つことを強要した。

 私は、そんな父に嫌気がさし、有名受験校に在校していることにも嫌気がさして、一人、東京に出て土方で生活した。まあ学歴の代わりに数十の資格を取得したのだが。
 そして、父のような価値観で、労働者の味方になれるはずがなく、いずれ近いうちに民衆の支持を失って総評は崩壊するだろうと確信し、事実、そうなった。

(後略)








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