前に、心筋梗塞のことを書いた時に、その発作の時に傍の人にかけられた言葉で病者が生きるか死ぬかが決まるという馬鹿話を書いたが、このブログに載せた私の「白鯨」ダイジェストに、意志が生か死かを決定するという話があるので、それを自己引用しておく。
ちなみに、ヘミングウェイもこのクィークェグと同じことを書いているようだ。(即死した兵士以外の)戦場で死ぬ兵士は、生きる意志を無くした時に死ぬ、という話である。
(以下自己引用)
後でクィークェグが説明したところによると、こうである。棺の中に横たわって、死のうと考えた時に、この世でやり残した事はないかどうか、彼は思いめぐらしてみた。そして、陸上で果たさねばならないちょっとした義務のあった事を思い出し、まだ死ぬわけにはいかぬ、と考え、死なないことにしたのだそうである。
聞いていた者たちは、不思議そうな顔で、いったい死ぬとか生きるとか、自分の勝手な気持ちや好みで出来るものかと聞いてみた。
「そうだ」とクィークェグは答えた。
彼の言葉では、鯨とか嵐とかいった人力を超えた大きな力で死ぬ以外は、病気くらいで人間は死ぬものではない、ということである。老衰で死ぬ連中も、「もうこれくらいでいいじゃろう」と思うから死ぬのであり、そう思わなければいつまでも生きているはずだ。……まあ、無知な野蛮人の事だから、眉唾物の話ではあるが、病気に及ぼす意思の力というものは、我々ひ弱な文明人が考えるより大きなものではあるらしい。
ちなみに、ヘミングウェイもこのクィークェグと同じことを書いているようだ。(即死した兵士以外の)戦場で死ぬ兵士は、生きる意志を無くした時に死ぬ、という話である。
(以下自己引用)
後でクィークェグが説明したところによると、こうである。棺の中に横たわって、死のうと考えた時に、この世でやり残した事はないかどうか、彼は思いめぐらしてみた。そして、陸上で果たさねばならないちょっとした義務のあった事を思い出し、まだ死ぬわけにはいかぬ、と考え、死なないことにしたのだそうである。
聞いていた者たちは、不思議そうな顔で、いったい死ぬとか生きるとか、自分の勝手な気持ちや好みで出来るものかと聞いてみた。
「そうだ」とクィークェグは答えた。
彼の言葉では、鯨とか嵐とかいった人力を超えた大きな力で死ぬ以外は、病気くらいで人間は死ぬものではない、ということである。老衰で死ぬ連中も、「もうこれくらいでいいじゃろう」と思うから死ぬのであり、そう思わなければいつまでも生きているはずだ。……まあ、無知な野蛮人の事だから、眉唾物の話ではあるが、病気に及ぼす意思の力というものは、我々ひ弱な文明人が考えるより大きなものではあるらしい。
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