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「尊皇攘夷」の旗

「鎌倉好きですか」というブログから転載。
ふと思いついて「今こそ尊皇攘夷」という言葉で検索するとほとんど右翼ブログばかりだったが、下記記事は「尊皇攘夷」の意味が、私が今考えていることに比較的近いように思えたので引用させてもらう。
明治維新が西洋(私は癖でつい「西欧」と書いてしまうが)による日本支配工作の一面を持っていたことは心ある人にとっては常識だろうが、学校教育ではひたすら素晴らしいことのように教えられている。その背後の、西洋の日本支配工作についてはほとんど聞かされない。そして文明開化という「日本の西洋化」も、物質的生活の向上だけが語られて、その暗黒面である欲望の肥大化や金権支配、日常的な精神的堕落については無視されている。
その行き着く先が、54基の原発が海岸に立ち並び、今なお福島原発からの放射能で日本中が汚染されている日本である。あるいは日清、日露両戦争であり、太平洋戦争である。これらが日本の文明開化と経済的発展の招来した影の面だ。その間に何百万の庶民が殺されてきたことか。
これが「金がすべて」の思想の帰結である。
そして、金がすべての思想とは、「新自由主義」を正確に言い換えたものであり、その新自由主義の最後の切り札、西洋による日本支配の総仕上げがTPPなのである。
したがって、今こそ攘夷の時である、というのは、右も左も無関係な話なのだ。
それが「尊皇」と結びつくのは嫌だ、という人も多いだろうが、天皇という存在が明治維新において決定的要因になったことを思えば、今回は明治維新後に新政府が「攘夷」をあっさり翻して「開国」に踏み切ったのとは逆に、本当に「攘夷」をする、その中心として天皇の存在を考えてもいいのではないだろうか。
いや、天皇に政治的実権を持たせようという話ではない。日本国憲法に明記されているように、天皇とはまさしく日本の象徴なのであり、政治だけではなく文化や日本人の本来の精神にもつながる存在なのである。今の日本国憲法ほど、日本の歴史における天皇の意味をはっきりと示したものは無い、と私は考えている。
天皇は日本国民統合の象徴であり、現在の国難において「尊皇攘夷」とは、日本国民は西洋の侵略と戦うために立ち上がるという意思の表明になると私は考えている。これによって左翼陣営の天皇制アレルギーの人間は離れる可能性は高いが、日本を愛し、日本精神を心の中に残した多くの日本人が結びつき、立ち上がる核がここにこそ生まれるのではないだろうか。
「尊皇攘夷」というスローガンは、江戸幕府を倒す力を持った強力な言葉であった。そういう「言葉の力」を理解していない人間が多すぎる。いや、橋下などはそれを十分に分かっているから偽りの「維新」、嘘だらけの「船中八策」などという「言葉の利用」をしてきたのである。だが、「未来の党」その他の政党には、その程度の頭も無い、というのが私には残念でならない。
「尊皇攘夷」を明示することは、何を守り、何と戦うのか、その敵を明確にすることである。戦うためには、旗が必要なのである。
今、我々の真の敵は「夷」であり、外資、ユダ金、その手下である経団連や政府の上級官僚、橋下・石原・安倍などの偽右翼、偽愛国主義者なのである。



(以下引用)



【鎌倉人】今こそ攘夷(じょうい)の精神を。【世界への姿勢】
2012年 04月 26日


 歴史の授業くらいでしか聞いたことがないかも知れない、この「攘夷(じょうい)」という言葉。

 恐らく、多くの方は「異国船打払令(いこくせんうちはらいれい。文政8・1825年~天保13・1842年)」に代表されるような「排外主義」をイメージされるかも知れませんが、それは当時がのっぴきならない弱肉強食の世界であった事に起因する事象(徳川幕府の政策)の一つであり、攘夷の本質ではありません。

 夷(えびす)を攘(うちはら)う。

 この「夷」とは、本来「野蛮人」を意味する言葉であり、何も外国人とは限りません。

※中には、この「夷」を勝手に「自分たちを指している」と決めつけては「差別だ」何だと騒ぐ(悪質な例ではたかりのネタにする)方もいますが、そういう手合いは国籍や人種ではなく、その振る舞いによって「夷」と分類すべきでしょう。

 野蛮人とは、文字通り「野蛮なことをする人」を指す言葉ですから、日本人でも夷はいます。

 そして、野蛮とは何でしょうか。

 その定義は、色々あるでしょう。

 例えば。

 外国へやって来て、その国の文化や価値観を重んじない、とか。

 あるいは。

 目先の利益に媚びへつらって、自国の文化を切り売りする、とか。

 つけ上がる方もつけ上がる方ですが、甘やかす方も甘やかす方です。

 内憂と外患が癒着と妥協を繰り返す中で、日本が日本でなくなって行く。

 日本の文化を土壌として、独自の文化が培われた鎌倉もまた然りです。

 鎌倉は、日本の古都です。

 私たちは「攘夷」の何たるかを知らねばなりません。

 それは決して闇雲な排外主義に走ることではなく、お客様をもてなしながらも、峻厳たる「一線」を引いておくことに他なりません。

 それを一言で表わすなら「媚びるな」。これに尽きます。

 世界中から多くの方が見える鎌倉こそ、この「攘夷」の精神を身につけておかねばならないのです。

 だからこそ私は、「尊皇攘夷」を祈願するのです。

※尊皇(天皇陛下はじめ皇室を敬愛する)については「日本文化の根源であるため」の一言で足りる(詳しく調べればキリがないものの、最低限の主旨は伝わる)ため、今回は紹介を割愛します。

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