かつて、私は、車いすで出歩いたり、

まひした体で、杖にすがって歩く人を見ると

「気の毒に、さぞかし、不自由だろう」と、思っていました。


たいていのひとはそう思うと思う。

なかには、脚のかたちさえ、曲がってかたまり、体をゆらしながら、転びそうな歩き方の人も見かけます。


たいへんだなあ、ああなったら・・・と、私は、思っていたのです・・・主人が、脳卒中で入院するまでは。

数日後、ICUを出られるようになった時、

「主人は、どこまで治るでしょうか?」と、尋ねたとき、医師は「努力次第で、杖をついて歩けるところまでは行けます。必死でリハビリに励めばね」

主人はまだ55歳でした・・・杖で歩けるところまで、だけ?

「手は、治りますか?」
「手はあきらめてください」

「え?何とかならないのでしょうか?」
「手を動かす神経は、足よりはるかに数が多いのです。それが傷ついているのだから、戻りません。いいじゃないですか?歩けたら。
歩けさえしたら、自分でトイレに行けますよ。」

倒れる前の日まで、自分でトイレに行くどころか、両手が使えて、歩くのも走るのも、自由自在だったのに・・・リハビリを、必死でやっても・・・歩けるようになるだけ?

それも、杖を突いて!!!

それは、ショックでした。

これからどうしよう・・・私も血圧がボン!と、上がりました。


救急病院で、さまざまな患者さんに出会いました。

たいていのひとは、救急車できても、2週間点滴をすれば、すっかり元通りになる「軽い脳梗塞」の患者さんでした。


でも、脳溢血は違います。主人は脳溢血でした。点滴で、血管が通るというのでなく、破れて出血しているのだから、

点滴なんかで元通りにはなりません。

でも、そこに入院している1か月の間に、いろんなことを知りました。

6人の病室で、脳溢血の患者は、主人だけでした。

ほぼ、脳梗塞。おひとり、交通事故の外傷性の脳出血の方がありました。


脳梗塞の人は2週間で、どんどん出ていかれます。

同病相哀れみようにも、同じ脳出血の仲間がいないのです。

やがて、その理由がわかりました。


脳出血で運ばれるのは、最近では稀なこと、血圧降下剤があるので、たいていはそこまでいかないのです。主人は白衣症候群で、おびえて医者に行かなかったので、非常にまれなケースになったのです。


たいていは、血圧管理しているから、脳出血は起こさない。にもかかわらず、脳出血を起こす患者さんは、まず、助からない。

脳出血を起こしても、命があるのは、むしろ僥倖だったのです。

脳出血でも、生きたという点で、主人はエリートでした。

隣のベッドに、奥様を長く看病されて、極限で送った後、葬儀も終え、親族がみんな、去った後、脳梗塞で倒れたご主人が運ばれてきました。


みんな、やれやれと思って、去っているので、お父様の突然の病に気づきませんでした。発見されたのは3日後・・・こうなると、2週間の点滴では、回復できません。

奥様の後も追えず、全身がマヒしてしまった体を横たえた患者さんは、あきらめきった表情でした。

体に全く力が、入らないので、車いすに乗り移ることさえ、困難でした。

寝たきりから、まずは膝を立てられるようになり、ベッドで身を起こせるようになり、ベッドの縁に座れるようになり、
少しの間、立ってられないと、車いすにも乗り移れないのです。

私は、励ますつもりで「膝が立てられるようになれば、よくなりますよ」と、声をかけた。

その人は、悲しそうに、膝を立てようとするのだけど、できない。

私は、手伝って膝を立てさせた・・・すると、そのままでいることができないで、足がぶるぶるがたがた震えて、膝が落ちた・・・・


膝が立てられる・・・それさえも、不自由な人からみればエリートなんだと思った。

身を起こせること、

ベッドの縁に座れること、

車いすに乗り移れること。

ここまで来れるのは超エリート。


私は、車いすに乗っている人を、哀れだと思ってはいけなかったことに気づきました。

そこまでたどり着けない人が、たくさんいるのです。

人の目に触れないだけで。

「卒中での死」を免れても、車いすにたどり着けるまでに、いくつもの関門。

そして、そこから「歩行訓練が始まります」

平らなところに腰をおろして、そこから立ち上がるというのも、たやすいことではありません。

まひした足は、足首がぐらぐらなので、持ち上げて、前に運んでも、つま先が、違う方向を向いています。

それを、進行方向に整えるのも、大変な努力です。

6か月間の入院、リハビリを終えて、自宅に戻った主人は、杖をついて歩ける。手すりにすがって階段を上り下りできるようになっていました。


でも、わずか数メートルの道路を横断するのに、1分以上かかりました。

長い入院で脚の筋肉がゼロになっている感じでした。

けれど、ここまで来るのが、どれほどの幸運であるか、私は知っていました。動かないのは、脳の神経が壊れているからです。

その場所によって、どういう障害が残るかが決定されるので、もう、運だとしか言えません。


また、倒れた状況、発見されるタイミング・・・そういうことに、幸運が重ならなければ、杖を突いて、よちよち歩けるところまで登ってこれないのです。


それ以後、障害を持つ人を見る目が変わりました。

以前は、あんな歩き方しかできないのに、よくまあ、外に出てくるわ!?と、思っていました。

なんか、別の生き物を見るように。

でも、どんなに、ぎくしゃく、のそのそしても、「寝たきり」から、そこまでの高いハードルを越えてきたエリートなんだと思うようになりました。

凄いことであることを知ったからです。

こうして、私は、人生で、精神障害の弟と同じ地面に立ち、父や夫が身体障碍者であることで、障碍者に寄り添い、

そうして、ようやく「人間」になれたかなと思っています。

ようやく、他人の悲しさが、少しは身に染みるようになれた。


少しだけですよ。


こういう経験も、もしなければ、私は、どれほど、鼻持ちならない高慢な人間だったろうかと思います。

悲しみが深いだけ、喜びも大きいというのは本当ですね。

私は、高慢で喜びさえもわからない人間だったと思う。もともとは。