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人から学ぶということ

「日本の独立を目指して」というブログから転載。
私はマスコミによる未来予測はまず信じないが、素人や市井の人の言葉には耳を傾けることが多い。聖書でも、「預言」は神から「普通の人」に「預けられる」のである。だから「預言」と言うのだ。預けられる方は、それで迫害を受けたりするから、ヨナのように迷惑がることも多い。
今はネット上で、匿名で書けるから、多くの未来予測の言葉が多い。それらが「預言」か、ただの妄想的「予言」かは、読む側で判断すればいい。つまり、読む側のレベルによって、それらの未来予測は役に立つこともある、ということである。専門家の言葉しか聞かないという人は、自分の判断力を最初から捨てているわけだ。

学ぶということについて、少し述べてみる。
私は中学校に入った最初の頃、数学で理解できないところがあったが、クラスでは劣等生の部類とされていた同級生から説明されて理解でき、その後はまずまず上位の成績を取るようになった。
自分の分からないことを少しでも知っている人間なら、その事に関しては誰でも自分の師になりうる、ということである。
たいていの人間は、自分より普段の成績評価の低い人間から学ぶということは最初から考えないようである。つまり、劣等生、優等生という考えに凝り固まっていることが多い。これは愚かしい習慣である。
優等生・劣等生と大雑把に分けることはだいたい有害なものだ。優等生当人にとっても、自惚れから性格を悪くしがちである。もっとも、学校という場所は生徒に優劣をつけるのが仕事みたいなところがあるが。
ついでに言うと、「劣等生」の方が、相手が「何がどう分からないのか」が分かっているだけに、自分が理解したことについては分かりやすく教えることができるので、良い教師(教え手)になるものだ。だから、教師による一斉授業よりも、同レベルの生徒同士で教え合う方が、生徒の能力は向上するはずである。
教えるとなると、丸暗記の知識だけでは相手を納得させられないから、教える側も「正解の根拠」を考える必要が出てきて、知識や理解はいっそう深くなるのである。教わる方も、教師に聞くより聞きやすいし、同級生とも親密になれる。
「ゆとり教育」を見直すとか言って、学習時間だけを長くするよりも、教育方法のこうした盲点、つまりあまり意識されていない部分をもっと考え直す方がいいだろう。

さて、例によって引用記事とは無関係な前説になったが、下記記事の未来予測は、だいたい納得できるものに思える。ならば、この予測を自分自身の今後の活動の参考にすればいいわけで、ネット周遊にはこうしたメリットもある、ということである。


(以下引用) *誤字や誤記らしきものの一部を失礼ながら注釈訂正してある。誤字誤記指摘が細かいのが厭味かもしれないが、書いている内容には大賛成だし、示唆されるところも多いのである。だからこそ引用もしたわけだ。そもそもネット上の文章の国語的正確さなど、ほとんどの人は気にもしないのだから、下記ブログ筆者も鷹揚に構えていいのである。私が誤字や誤記が気になるのは、過去の仕事からの職業病みたいなものだ。また、一部に余計な「突っ込み」を入れているのも、悪意からではない(単なる面白がり)であるのだが、悪意と思われる可能性もあるので、先に謝っておく。




2013/1/14
「大愚の当たらない大予想」  

実物経済に戻る

これを芸術にもどすとどうなるか

工芸の隆盛である

抽象絵画。ポロックやラウシェンバーグなどのインチキ連中はちょうど金融工学のインチキと似ている

抽象化してこれがいいと強弁すれば価値が生まれる、という構造である。金融工学がマスコミででたらめを垂れ流す経済学評論家とペアになっているのと同じで

これらの現代芸術なるものは芸術評論家の口から出まかせ理論とセットになっている。

音楽ではどうか。

ジョンケージのどのなんかわからない音楽とこれまと評論家とセットになっている。

このようなインチキ抽象概念は2008年に死滅した

抽象化が人間に耐えられないものであることがわかったのだ

料理もそうだ。マクドナルドに代表される栄養成分主義は死滅した。食った人間が病気になったのである。大量生産農作物はこれから死滅する

医療もそうだ、生存率主義はちょうど利益率主義にあたるが、これも死滅する

幸福度で表現しなくてはならぬ。QOLが医療の結果として重視されるようになった

正気が戻ってきた

また都市に緑と虫と鳥を戻そうとしている

文明とは、虫のいない生活のことであった。カに刺されるのが嫌でインカは山へ逃れた。ローマは風呂と水道の求心力だ。(夢人注:?)アメリカは電気洗濯機と冷暖房だ

でもアレルギーが増えてきた。非特異抗原刺激の上で病原体を抑え込んでいたものが、非特異抗原暴露(夢人注:「曝露」か?)がなくなったので、過剰自己免疫が起こるようになった

過剰清潔のたまもの(夢人注:「たまもの」は有益なものを含意するので、皮肉の意図でなければ「結果」くらいがいい。)である。

いまや発酵食品のおお流行りだ。たとえば黒酢。あれは亀(夢人注:「甕」か)に原料を入れてほおっておくと巣(夢人注:「酢」か)になる。つまり大気中のカビである(夢人注:「亀に原料を入れてほおっておくと巣になる」というのは、何かシュールでグロテスクなイメージがあって面白い。)

ワインはどうか。地方に自生するカビと、ブドウをふんづける足のカビの混合物だ。だから名産のワインは土のにおいがする。安物のステンレスボトルで発酵させたものにはそれがない

さけはどうか?酒は造り手と天候次第である。ロット差が大きいが(夢人注:?)それでもそれを楽しむ。人の苦労をしのんで飲む

コメも同じだ、野菜も同じ。人の苦労が価値の中心に入ってきた。

そう、等価交換(夢人注:なぜ「等価交換」? 「実物経済とは等価交換が原則だ」ということだろうか。)と制作者(夢人注:「製作者」がいいが、「製造者」の方がもっといい。)への感謝がキーである

料理も産物も工芸品も食べ物もなにもかも感謝する相手を探しているのである。奪う奴やだますやつや抜け駆けする奴にはもう飽き飽きしているのだ

つまり西欧の500年の機能主義パラメータ主義に飽き飽きしているのだ。





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