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超訳「老子」8

8 上善は水のごとし。
  水は万物に利益を与えながら、争わない。
  衆人の憎み嫌う低地に居る。
  だから道に近い。
  居るならば地が良いし、心は淵のように深いのが良い。
  他人と共に居るなら仁であるのが良いし、言葉は信であるのが良い。
  正しさは治まるのが良いし、事はできるのが良い。
  動くには適切な時が良い。
  そもそも、ただ争わなければ、咎めもない。

[解説]
 最初の一文は有名である。いい言葉だから有名になったのである。しかし、どういう意味で上善が水に近いのかを理解している人は多くはない。要するに、「周囲に利益を与える」「他人と争わない」「謙虚である」という三点が水にたとえた理由だ。
 この三つの美徳は、人生の方針としても大事だろう。「周囲に利益を与える」というのは、その人の客観的存在意義である。「他人と争わない」と「謙虚である」というのは、生きていくための賢明な戦略である。たしかにこの三つの方針を実行できれば、良い生き方だろう。だが、問題は、それで本人が満足できるのか、というところだ。我々は自分の欲望の達成のために生きている。そのためには他人とも争うだろうし、自己主張もしなければならないだろう。他人に害を与えることもあるだろう。老子的な生き方は、西欧的な考えからすれば、退嬰的、消極的な生き方であり、生きるという名に値しないと考えられるのではないだろうか。とりあえず、人々の目標としてこうした生き方を勧めることは、現代の欲望過多の社会では意義があるかもしれないと言っておこう。
 後半は、はっきり言って、平凡である。居るならば地がいいとは、少し前の「低地」つまり、低い地位、目立たないポジションのことだろう。「仁」も「信」も結局は肯定しているようだ。とすれば、老子が嫌った(彼は儒教の徳目を「大道すたれて仁義あり」と否定している。)儒教と何も変わらないのであり、『老子』とは、ただ儒教の隆盛に焼餅を焼いた偏屈な哲学者のぼやき以外のものではない、と言えそうだ。老子好きな連中にしても、老子の思想がどれだけわかっているのか、怪しいものである。

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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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