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水俣の聖母子像

少し前に書いた、コムギと王の死の情景から連想した、写真家ユージン・スミスのピエタ(聖母子像)、こと「水俣の母子像」(入浴する母子像)をネットで確認しようとすると、この写真はモデルとなった娘の遺族の意思で公開制限されているらしい。これは当時遺族への周囲の嫌がらせなどがあったことからの決定らしいが、これほどの名作を公開制限するのは、世界的文化遺産を破壊する行為のように思う。たとえば、カフカが自分の死後にはその著作をすべて破棄してくれと友人に依頼して死んだ時、友人はその著作の(全人類的)価値を鑑みて、あえてカフカの遺志に反してそれを公開した。はたして、この友人の行為は非難されるべきかどうか、難しい問題だ。
もう一つは、アイリーン・スミスに亡夫ユージン・スミスの作品の公開非公開を決定する権利(正確には、その決定権をモデル家族に委任したのだが)が本当にあるのかどうか、つまり、著作権が著作者の遺族の手に渡ることはおかしいのではないか、という問題もある。ユージン・スミス自身が生きていたら、自分の作品(代表作の一つであり、世界的な名作)が地上から消滅することは、芸術家としての自分自身の否定だと思っただろう。たとえ遺族であっても、そのような決定をする権利があるとは思えない。
もちろん、モデル家族が受けた迫害自体が言語道断なものであり、生きている人間の人権や生存権がすべてに優先するのは当然だが、かつてはベートーヴェンの「交響曲第七番」がこの世に存在するためには全人類が滅亡してもかまわない、と思っていた私には、至高の芸術作品の一つがこうして世界から消し去られたことを正当だと見ることはできないのである。




(以下引用)

【もう限界】九州電力・玄海原子力発電所 21

837 :名無電力14001:2012/07/31(火) 15:19:46.61
●解説「ユージン・スミス」

 著名な写真家。1918年、米国カンザス州ウィチタ生まれ。78年死亡。
 太平洋戦争に従軍し、沖縄戦で負傷。戦後、ヒューマニズムに基づく視点から多くの「フォ ト・エッセイ」を「ライフ」誌を中心に発表し、グラフジャーナリズムの全盛を創った。
 人間の生活の表情をカメラにおさめ、「スペインの村」「仕事ちゅうのチャップリン」「慈 悲のひとシュバイツァー」などが有名。従軍した太平洋戦争のドキュメントも発表した。
 61年、日立のPR写真撮影のために来日し、日本に関心を抱く。
 熊本・水俣で広がっていた水俣病を追跡し、患者の悲惨な状況や、元凶のチッソをしつこく 取材し、水俣病の悲劇を世界に伝えた。
 71年から74年まで、妻で日系二世のアイリーン・美緒子・スミス(1950年、東京生 まれ)とともに水俣に住みながら撮影を続け、英語版「MINAMATA」、日本版「水俣」を出版 した。
 水俣は市民のほとんどがチッソ関連企業で生計を立てており、企業と行政と市民世論の壁に、 患者らは諦めを強くしていたが、米国から来た写真家の精力的な活動に勇気づけられた。
 胎児性水俣病の少女を被写体にした有名な「入浴する母子像」は、水俣病を象徴する悲劇と して、国内外のメディア、教科書などに掲載された。この影響で少女や家族に対する中傷も
相次ぎ、少女の逝去後、98年に、アイリーンさんは「写された人の人権を尊重する」として、 写真の決定権を両親に与え、自著で再掲載しないことを約束し、写真集を収蔵する美術館など
にも展示への配慮を要請した。
 72年、ユージン・スミスはチッソ五井工場を訪問し、患者と会社側との交渉を撮影中、同 社従業員(従業員の姿をした雇われ暴力団員とも言われる)から暴行を受け、
片目失明の大け がをした。このときの傷がもとで、帰国後、脳出血で死亡した。暴行した従業員は逮捕されず、 この時抗議した患者が逮捕された。ユージン・スミスは、
この時の暴行を告訴せず、写真撮影に没頭した。
 母方の祖母がインディアンの血をひく。父親が破産し銃自殺したこともあり、市井の人間の 命や生活に関心を持ち続けた。
 死後、ユージン・スミス・メモリアル基金により、ユージン・スミス賞が制定された。人間 性や社会性に焦点を当てた写真が受賞対象。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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