最近NETFLIXに登場した「ハンター×ハンター」の新シリーズだが、新シリーズとは言っても新作ではなく、以前にも見た記憶のある内容であるようだ。ただ、その当時はまったくボケーと見ていたので、その凄さを完全には理解できておらず、ただ、「コムギの膝の上で死んでいくキメラアントの王」という造形の凄さに感嘆しただけだった。(引用画像参照。)造形だけではなく、死の際に王の目の前が暗くなっていき、王が何度も、「コムギ、そこにいるか」とコムギに尋ねるのを、真っ暗な画面とふたりの会話だけで描いたのが素晴らしい。つまり、読者(視聴者)は、そのまま王の内部に入り込み、コムギの優しい言葉を聞くわけである。
で、現在見直すと、コムギの人物造形の素晴らしさに感動する。キメラアントの王という冷酷非情な存在を動かす力を持つのは、「無私の愛」だけだ、という、或る意味単純な話なのだが、王とコムギというキャラ造形が素晴らしいので、その単純な話が何よりも感動的になる。
特にコムギというキャラクターは、少し大げさに聞こえるかもしれないが、「カラマーゾフの兄弟」の蟻よー写、じゃない、アリョーシャと並ぶくらいの文学的創造だと思う。キャラ的に近いのは、むしろ「白痴」の無為手巾、じゃない、ムイシュキン侯爵だろうか。周囲からは白痴扱いされる、無垢の存在である。このどちらも、ドストエフスキーはキリストの現世化として描いていると思う。
見たことのない人は、「キメラアント篇」のコムギ登場のあたりからだけでも見ることをお勧めする。アニメ監督も(おそらく作者自身も)、この篇の中心がゴンやキルアではなく、キメラアントの王メルエムとコムギであると見ていることは、エンディング画像の中でこのふたりが強調されていることで分かる。
ちなみに、ミケランジェロの「ピエタ」とはこういうものだ。これを見ただけで泣く人もいるかと思う。
で、現在見直すと、コムギの人物造形の素晴らしさに感動する。キメラアントの王という冷酷非情な存在を動かす力を持つのは、「無私の愛」だけだ、という、或る意味単純な話なのだが、王とコムギというキャラ造形が素晴らしいので、その単純な話が何よりも感動的になる。
特にコムギというキャラクターは、少し大げさに聞こえるかもしれないが、「カラマーゾフの兄弟」の蟻よー写、じゃない、アリョーシャと並ぶくらいの文学的創造だと思う。キャラ的に近いのは、むしろ「白痴」の無為手巾、じゃない、ムイシュキン侯爵だろうか。周囲からは白痴扱いされる、無垢の存在である。このどちらも、ドストエフスキーはキリストの現世化として描いていると思う。
見たことのない人は、「キメラアント篇」のコムギ登場のあたりからだけでも見ることをお勧めする。アニメ監督も(おそらく作者自身も)、この篇の中心がゴンやキルアではなく、キメラアントの王メルエムとコムギであると見ていることは、エンディング画像の中でこのふたりが強調されていることで分かる。
ちなみに、ミケランジェロの「ピエタ」とはこういうものだ。これを見ただけで泣く人もいるかと思う。
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