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日本の「見えない身分社会」

お手打ちの夫婦なりしを衣替え   (蕪村)


私の好きな与謝蕪村の句のひとつだが、散歩の途中でなぜかこの句を想起し、この中の夫婦は現在どのようにして暮らしているのか、と気になった。
まあ、衣替えをするくらいだから、農民ではないと思うが、「お手打ち」を許されても、そのまま仕官を続けていられるとは思えない。つまり、浪人したのではないか、と思うが、さて、ここで問題だ。

時代劇では、浪人は仕官していた当時と同じく「名字帯刀」のままで生活しているが、これはどういうことなのだろうか。一度武士になれば、死ぬまで武士であることが許され、その子供も武士の資格があるのか。そもそも武士の資格は何か。
もちろん、やくざも「一本刀」で帯刀しているから、帯刀の資格は何なのか、まったく不明である。富裕商人で名字帯刀を許されたという話も聞いたことがあるようなないような。

ここで話が飛躍するが、ネトウヨの中には働きもせず親がかりの生活をし、実質的には「物乞いをしない乞食」つまり、親や周囲の情けで生かされている屑が多いようだが、そうした連中ほど「下級国民」を軽蔑し、死んでも農民や土方(肉体作業労働者)にはならない、どころか、ネットに彼らの悪口を書きつらねている例が多いようだ。
これは、江戸時代の「浪人」に似ていないか。痩せても枯れても自分(たち)は武士であり、百姓仕事などしない、というわけだ。その「百姓蔑視」の精神(特に官僚や経済界上層部には明瞭だが)は明治大正昭和平成を経てもまだ変わらないのである。今の、第一次産業窮迫の情勢に対して政官界経済界が何ひとつ手を打たないことを見ても明白だろう。

ちなみに、「仕官」とは「官に仕える」のだから、武士になるとは「公務員になる」のと同じわけだ。日本という国で公務員の地位が高いのは、昔からで、その気位が高いのも、彼らが「武士階級」のつもりだからではないかwww 斉藤某の傲慢さも陰湿さ(自分が利用した相手を簡単に見捨てる)も、彼が官僚上がりだからだろう。(ただし、現代では下級公務員は概して一般企業の人間より親切で丁寧である。)







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