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「イデオロギー」という全人類史的な悪の本源

「混沌堂主人雑記」に引用された「蚊居肢」記事の一部であるソルジェニーツィンの言葉のそのまた一部である。ひ孫引きか、やしゃ孫引きかwww

イデオロギーとは「歪んだ政治思想」と言ってもいいかと思うが、政治思想はすべて何らかの歪曲や誇張を伴うもので、すべての政治思想はイデオロギーだ、とすら言えるかもしれない。その考察の際に思考指針として有効なのは「中庸」という哲学になるかと思う。

王政を打倒するのはいい。だが、王や王妃や王子の首を切るのは、「中庸」ではない。これこそまさに「混沌堂主人」その人に考えてほしいことだ。「過つは人の常」である以上、過激な行為が悪への道であるのは明白だ。「悪」を倒した人間が「次の悪」になるのは政治史によく見られることである。

あの「死の天使」ロベスピエールがそのままフランスを率いていたら、はたしてどうなっただろうか。悪は無力化するだけで十分であり、敵に死を与えるのは単なる「憂さ晴らし」でしかなく、それ自体が巨大な悪になる。前の王朝を「族滅」させた王朝は、はたして天下泰平の世を作ったか? 永続したか?


(以下引用)

イデオロギー、それが悪事を働くことの正当性を長年求めてきたものであり、悪事を働く者に必要な不屈の精神と決意を与えるものである。それが、自分の目にも他人の目にも、その行為が悪ではなく善であると思わせる社会理論である。そうすれば、非難や呪いの言葉を聞かずに、賞賛と名誉を受けることができるのだ。異端審問官たちはそのようにして意志を強化した。キリスト教を持ち出して。外国の征服者は祖国の偉大さを称賛して。植民地主義者は文明によって。ナチスは人種によって。そしてジャコバン派(前期と後期)は平等、同胞愛、そして未来の世代の幸福によって悪事を成し遂げた。


イデオロギーのおかげで、20世紀は数百万単位の悪事を経験する運命にあった。これは否定も、見過ごすことも、抑圧することもできない。

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