前回記事に書いた呉智英の本の中にあった話だが、彼が通った小学校の「今週の目標」みたいなものに「人のいやがることをしよう」というものがあったそうだ。それを見た瞬間に、私は「すごい標語だな。それこそ、いじめや悪質なイタズラが激増するのではないか」と思ったが、そういう意味ではないようだ。呉も、それ自体を問題にはしていないし、冗談のネタにもしていない。私は気が弱いので人の嫌がる仕事は進んで自分からやるが、人に対して、その人が嫌がる行為を仕掛けたことはない。まあ、ダブルミーニングである。
これも、同じ本の中に出てきたのだが、呉が土井たか子を「ジャンヌ・ダーク」にたとえていて、まあ、それはいいのだが、こういう表記だと「暗黒のジャンヌ」という感じでアニメの悪役みたいである。
冗談はさておき、同じ本の中に、木山捷平の詩が引用されていて、これがなかなか感動的なので引用する。
メクラとチンバお咲はチンバだった。チンバでも尻をはしょって桑の葉を摘んだり泥だらけになって田の草を取ったりした。二十七の秋ひょっくり嫁入先が見つかった。お咲はチンバをひきひき但馬から丹後へーー岩屋峠を越えてお嫁に行った。丹後の宮津ではメクラの男が待っていた。男は三十八だった。どちらも貧乏な生い立ちだった。二人はかたく抱き合ってねた。私は露骨なエロが大嫌いなのだが、この詩の最後の一行は素晴らしいエロチシズムだと思う。まさに、神々しさを感じるエロチシズムだ。人生の真の幸福が凝縮したような一行だ。
こういう詩を読むと、ポリコレとか差別語狩りのくだらなさが明瞭に分かる。「その言葉」でなければ表現できないものがあるのである。

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