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夏の終わりのト短調

「孤独のクラシック」というブログから転載。
なぜこのブログを転載するかというと、私が二十代くらいの頃に読んだ大島弓子作品に「夏の終わりのト短調」という題名の作品があり、未だに、それが誰の何という題名の曲を示しているのか気になり続けているからである。そこで、おそらく、モーツアルトだろう、という当て推量で検索して、このブログに出会った次第だ。
大島弓子のこの漫画自体、どういう主題だったのか、よく分からない。何か、自己欺瞞的人生を送っている有閑マダムが、自分の人生の欺瞞性を知って破滅するような印象だったが、彼女の家が火災に遭って、その焼け跡で壁にもたれて地面に座り込んだ彼女が何かを指さしているシーンだけが明瞭に印象に残っている。あるいは、まったく別の作品の記憶かもしれない。
まあ、今が夏の終わりだから、この漫画を思い出しただけだ。

一応、ウィキペディアで調べたが、さほど思い違いでもないようだ。ちなみに、蔦子は、袂に「蔦子は理想的な主婦である」と、その父親(蔦子がかつて思慕した相手)に報告させたかったわけだ。
記憶喪失になった蔦子が指さした空間に見えていたのは、「何か遠くにある存在」であり、「存在しなかった存在」、つまり、袂の父親となった男性と自分が結ばれていた理想の姿だろう。
ひとつの漫画作品を理解(誤解か?)するのに、いったい何十年かかったやら。まあ、優れた漫画はそれだけの価値がある。それも「夏の終わりのト短調」という言葉が私の頭の隅に謎となって残っていたからだ。つまり、「夏の終わり」の情緒が私にこういう思考放浪をさせたわけだ。

あらすじ

[編集]

高校3年の夏休み、袂は両親の3年間のアメリカ出張のため、母親の妹である蔦子の家に預けられることになった。袂は蔦子の聡明さや、彼女の家族が住む古い洋館に憧れていたが、いざ同居してみると、蔦子が完璧な家庭の完璧な主婦役を務めようと必死になっていること、長男の力が表面上はききわけのいい息子を演じつつ夜中に家を抜け出して麻薬パーティーに参加していること、蔦子の夫が他の女性と関係を持っていることなどを知る。


やがて蔦子は袂の行動をすべて監視するようになり、その息苦しさに耐えられなくなった袂が自宅に帰ると、絶望した蔦子は自宅に火をつけ、洋館は全焼する。


夫と息子によって助け出された蔦子だったがすべての記憶を失ってしまう。古いアルバムを見ていた袂は、若い日の蔦子が自分の父に想いを寄せていたことを知るのだった。



(以下引用)

モーツァルト交響曲 第40番 ト短調 K.550  

W.A.Mozart : Symphony no.40 in G minor, K.550


演奏:ルネ・ヤーコプス(指揮)フライブルクバロックオーケストラ


Freiburger Barockorchester & Rene Jacobs

第1楽章 モルトアレグロ


ヴィオラの1小節半の序奏のあとに、有名な、哀切極まりないテーマが奏でられます。いったいこのテーマは何を表現しているのか? 何度聴いても、聴けば聴くほど分からなくなります。ただ、情緒的な思いをできる限り排除して聴くと、アラビアンナイトの世界のような、妖しいエキゾチックな香りを感じるのです。当時流行っていたトルコ趣味を盛り込んでいるのでしょうか。そして、テーマは闇の中にふと現れた、わずかな希望の光に向かって疾走していくのです。そして感動の渦になる展開部。目まぐるしい転調の中で、メインテーマが、これまで担っていたヴァイオリンを離れ、ヴィオラ、チェロ、コントラバスに移っていくさまは、人の魂を揺さぶってやみません。


もしも自分に指揮者が出来るとしたら、振ってみたいという曲はたくさんあるのですが、この曲は全く表現できる気がしません。

第2楽章 アンダンテ


どこまでも穏やかなテーマが、最初はヴィオラ、そして第2ヴァイオリン、第3ヴァイオリンと1小節ずつずれてカノンのように奏でられます。その抒情は、ため息のようで、心身ともに疲れ切ったときに聴くと、心の底から癒されます。そのテーマには、3曲セットの最後の作品〝ジュピター〟のフィナーレの、有名な〝ジュピター音型〟が隠されているのです。管楽器の呼び交わす声は、この世の憂さを忘れるため、深い眠りの世界にいざなってくれるかのようです。そこは、楽しい夢も、悪夢もない、無の世界なのです。

第3楽章 メヌエット:アレグレット


シンコペーション・リズムが鋭く刺す、ナイフのようなメヌエットです。宮廷舞踊とは程遠いですが、目に涙をたたえた貴婦人が踊るかのよう、という形容もあります。トリオは管と弦との対話がほのぼのとした明るさを示して、心癒してくれます。

第4楽章 フィナーレ:アレグロ・アッサイ


若き放浪時代の小林秀雄の頭に突然鳴ったテーマです。これも踊りのようなテーマですが、ピアノとフォルテの対比が、コンチェルト・グロッソのソーリとトゥッティのように、目まぐるしく交代しながら展開していきます。ひとしきりの疾走が終わると、どこまでも優しい第2テーマが弦によって奏でられ、やがて管に受け継がれていきます。胸がいっぱいになるくだりです。展開部に入ると、驚くべき転調の連鎖が悪魔的に続きます。ハ短調ト短調ニ短調イ短調ホ短調ロ短調嬰ヘ短調嬰ハ短調嬰ト短調と、5度ずつ上へと転調し、今度は逆に5度ずつ下へと降りていきます。あまりにも高度で複雑な音楽の遊び。モーツァルトが、いたずらっぽい笑みを浮かべながら書いているさまが思い浮かびます。それは神の悪戯か、悪魔の仕業か。いずれにしても、聴く者は大きな渦潮に巻き込まれた船のように、否応なく引き込まれてしまうのです。


 




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