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グローバリストとコスモポリタン

「神戸だいすき」記事の一節だが、この文章の主旨は好ましいが、疑念も多い。まあ、昔の記憶で書いているのだろうから、ケチをつけるのは野暮かもしれないが、誤った知識が拡散されるのも懸念される。

1:プラトンの時代は「都市国家(ポリス)」の時代で、はたして「国際人」という概念があったかどうか。
2:「コスモポリタン」は英語だが、それを「国際人」と訳すのは適切か。(英和辞書ではそれを第一義としているようだが)現代のネット市民の持つ「国際人」のイメージはむしろ「グローバリスト」で、それこそDS(ユダ金)のような「どこの国の人間かわからない根無し草」ではないか。
3:仮にコスモポリタンを日本語訳するなら、「世界市民(世界主義)」という訳のほうが、「政治に責任を持つ市民」のニュアンスを出せるのではないか。「世界市民」なら、「世界共同体の中で、あちこちに『市(国家)』があって、自治されている」ニュアンスになりそうな気がする。「市民」は、確かフランス革命でそれこそ市民権を得た言葉だと思う。「シトワイヤン」だったか。つまり、政治から無視され、単なる搾取対象だった下級国民が「政治への発言権(参加権)」を持った、そういう意味が「市民」という言葉にはこめられていると思う。なお、プラトンの時代のアテネなどでは奴隷以外の「市民」は政治に参加する義務と責任、あるいは権利があったと記憶している。つまり、民主主義はそこで早くも発祥しているようだ。
4:なお、「コスモポリタン」には「世界主義者」という訳もあり、しばしば冷笑的に使われるとも英和辞書にある。つまり、国家主義者の敵、という感じか。私のように中国やロシアに好意的な人間は、「世界主義者」かもしれない。欧米国家は、そういう意味では世界主義ではない。欧米国家の主張するグローバリズムの正体は、欧米(ユダヤ)による世界支配であり、そこに人類全体の幸福は考慮されていない。人類の大半はむしろ家畜扱いになるだろう。
5:つまり、私の考えでは「国家主義」「グローバリズム」「コスモポリタン」は対立関係にあり、その中の後二者の区別がつけにくいわけだ。まあ、これは「コスモポリタン」を私が勝手に定義しているとも言えるが、重要な概念だと思う。なお、「コスモポリタニズム」という言葉は英和辞書に載っていないので、「コスモポリタン」で代用する。

ちなみに、policeは警察で、「都市国家」は polisである。

(以下引用)


昔々、英語のreaderで、読んだ文章に「コスモポリタン」とは何かというのがあった。

プラトン曰く

コスモポリタン(国際人)とは、どこの国の人間かわからない根無し草のことを言うのではない。
真の愛国者こそ国際人だ・・・というのがあった。

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