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善人として生きるか悪人として生きるか

「in deep」記事の末尾で、私(自分の中の悪の心性は認識するが、社会としては悪を許容してはならない、と思っている。悪とはあくまで外的行動を指す、とするのが健全だと思う。なお「あくまで」は洒落ではない。)としては珍しく、岡氏(可笑しい人なのか?)の意見にまったく賛同はできないのだが、この記事をヒントに、「笑い」についての考察をしようかな、と思うので、先に転載しておく。
悪について言っておけば、悪人としての人生は寒々しいもので、それは外見上の富裕さとは無関係である、と私は思っている。そもそも、悪人に意図的に近づく人間が悪人でないはずがないだろうww 悪人だけの中で生きるのは、面白い人生なのか? まあ、悪事自体の面白さで十分満足だという人間が悪党としての人生を生きるのだろう。
なお、大金持ちに近づく人間、有名人に近づく人間もほとんどはその人を利用しようとする人間なのだから、富裕者や有名人の人生(身近な人間を信じられない人生)は(刺激性はあっても)不幸だろう、と私は若いころから考えていたので、貧乏な無名人であることに満足しているww


(以下「大摩邇」から引用)


なお、どの記事かわからなくなってしまいましたが、


「それが良い時代なら、善良で生きることが最も素晴らしい」


けれど、


「それが悪い時代なら、自分の中の悪の部分を認識して生きる」


ことは重要だと思います。


 


今は悪い時代です。


 


そして人間には、「全部悪の人間」も「全部善の人間」もいません。


どちらも内部にあり、その比率が人により様々なだけで、悪の部分は全員が持っているはずです。赤ちゃんとかを除けば。


今は「自分の悪の部分」を直視することで乗り切ることができる時代のような気さえします。


水戸黄門なんかでも、悪代官とかワッハッハッとか笑ってるじゃないですか。


あれは健康にいいのです。


映画「ロボコップ」なんかでも悪人たちは主人公を殺しながら爆笑し続けています。


結果として、先ほどの論文に出てきた「呼吸構成要素」とか「笑いの筋肉緊張に及ぼす効果」により、悪人は健康となるので、悪人は世にはびこる


世にはびこるようになるには、悲惨の中でも笑うことだと思います。


悲惨な時代の中でも。


 


私はもともと自分の中の悪の比率が高い人ですので、このような時代でも、そんなに落ち込まないですが、悪魔と天使が内在しているとすれば、自分の中から天使を一時的に排除するような、そんなことが必要な時代になってしまっているかもしれません。


映画エクソシストのオープニングでは、イラクで発掘された古代の石像の頭部に「悪には悪を」と書かれているシーンが描かれていますが、それを思い出します。


悪には悪を。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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