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合掌と挨拶動作

「逝きし世の面影」から転載。西洋人の頓珍漢な「日本人の挨拶としての合掌」についての部分のみ抜粋。その時のクリステル嬢の心理分析もしているが、それは「咄嗟にでたジェスチャー」という理解によるもので、私はそうだとは思わないのでカットした。要するに、滝川クリステルは日本語の上手い西洋人にすぎないので「日本人式挨拶(笑)」をしてみせただけという理解が正しいのではないか。
なお、日本人が合掌するのは基本的に神仏か死者に対してだけだ、というのは私も前に書いたことがある。だから、食事の前に合掌するというのは非常に不自然に思うのだが、映画やテレビなどでその動作が刷り込まれた日本人が今では多数派になっているようだ。神も仏も信じていない、お百姓さんへの感謝の気持ちも無い人間が食事の前だけ神妙に合掌するというのが私は気持ち悪いのである。
なお、人前を横切る時に、その人の視線を遮る無礼を謝して「片手拝み」をするのは、神仏への信仰とは無関係な、ただの挨拶動作だと思う。今は、そういう動作をする人間も少ないかもしれない。




『ご愁傷様でした。残念ながら、すでにご臨終です』

150年前の欧米の新聞雑誌などの挿絵に登場するお辞儀する日本人は、頭を下げた時に手をだらりとぶら下げて描かれたという。当時の知識人が間違った原因は、日本人が腰を曲げてお辞儀する風習を『事実』(経験)としては知らなかった。彼等は日本的挨拶のお辞儀を『情報』(知識)として良く知っていた(と思い込んだ)のです。
日本人が腰を曲げた時に手をぴったりと体に添えるとまでは知らないので、お辞儀の時にはラジオ体操のように肩から垂直に腕を垂らしていると勘違いしたのですね。実は今でも世界では仏教徒は挨拶で合掌すると信じているので、イギリスなど欧州諸国でも相手が日本人だと分かると、礼儀正しく親切の心算で両手を合わして合掌してみせる例が良くある。
日本人は死人に対しては手を合わせるが、生きている人間に向かっては決して合掌しない。日本人にとっては逆に実に失礼なのです。
人間相手にも合掌するヒンズー教のインドとか上座部仏教の東南アジアなどと、神仏以外には合掌しない日本や中国の大乗仏教を混同しているのですが、我々日本人でも偶には人に手を合わせる場合がある。
命乞いとか、究極の謝罪として土下座と共に行われるのですが、これがオリンピック最終プレゼンで滝川クリステルが思わずやった『合掌』の正体であった。

『へらへら笑いながら手を合わせるな。このバカ者が』

日本人なら滝川クリステルの『お・も・て・な・し』のあとの合掌には違和感を持って当然でネット上では、
『だから、合掌なんかしねえんだよ』
『見てるこっちが恥ずかしくなるよな』
『あの合掌は誰も止めなかったのかな』
『あれが日本式かと勘違いされるよな』
『おもてなしで合掌するとかやめろボケ』
『どちらかというとお辞儀だよね 合掌して挨拶や御礼はしない』
『外人的には合掌挨拶が日本人が公式に認める挨拶ってことになっちゃったんだな』
『おもてなし 合掌ってなんか違う おもてなし お辞儀の方が日本らしい』
との声が噴出。滝川クリステルもネイティブな日本人以上に自分の大失敗は熟知しているのでマスコミで『お・も・て・な・し』の動作の再現を求められても、最後の合掌部分は絶対に人前では行わない。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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