私は松本人志の顔が大嫌いなので、彼の出る番組はほとんど見たことが無いのだが、要するに、彼のギャグというのは、全学連の「ナンセーンス」戦法を拡大したものではないかと推測している。つまり、知的に卓越した相手の論理を「ナンセーンス」の一言で葬り去るわけだ。その「ナンセーンス」とは、自分に理解できないもののすべてであり、それらを無価値だと断定するのである。
もともと、ナンセンスというのはギャグやジョークと親和性は高いのであり、その高度なものとしては「不思議の国のアリス」やマルクス兄弟の映画などがある。だが、「ナンセーンス」戦法というのは、敵(しばしば価値ある存在)を地面に叩き落とす機能しか無い。
本物のナンセンスの創造には高度な知性が必要なのだ。何でもかんでも嘲笑し、引きずり下ろすのがナンセンスの機能なのではない。硬直した知性や風習を滑稽化する、というところにナンセンスの機能がある。
松本人志が笑いについてかなり真剣に考え、独自のものを追求してきた初期のころは、確かに面白いものもあっただろうが、現在のようにテレビ局によって大御所扱いされ、安倍政権との癒着もあって、その地位にぬくぬくとしている状態では、彼こそが「厭らしい権威的存在」として大衆の憎悪を買うものでしかないだろう。
(以下引用)
もともと、ナンセンスというのはギャグやジョークと親和性は高いのであり、その高度なものとしては「不思議の国のアリス」やマルクス兄弟の映画などがある。だが、「ナンセーンス」戦法というのは、敵(しばしば価値ある存在)を地面に叩き落とす機能しか無い。
本物のナンセンスの創造には高度な知性が必要なのだ。何でもかんでも嘲笑し、引きずり下ろすのがナンセンスの機能なのではない。硬直した知性や風習を滑稽化する、というところにナンセンスの機能がある。
松本人志が笑いについてかなり真剣に考え、独自のものを追求してきた初期のころは、確かに面白いものもあっただろうが、現在のようにテレビ局によって大御所扱いされ、安倍政権との癒着もあって、その地位にぬくぬくとしている状態では、彼こそが「厭らしい権威的存在」として大衆の憎悪を買うものでしかないだろう。
(以下引用)
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