で、常連コメント欄で自分の博学さや知的能力をひけらかす輩も多いのだが、そういうのは何と言うのだろうか。「マンスプレイニング」に倣って「インテリスプレイニング」という造語はどうか。
最初に載せた老荘嬰児氏のコメントなどその最たるものではないか。一読して、その博学さに感心したが、よく考えると、「自分とは何か、自分は何のために存在するのか」というのは哲学の基本であり、何も「ギリシャ詞華集」などという誰も読んでいないような本を持ち出すことはない。そもそも、老荘嬰児氏自身、「ギリシャ詞華集」やカーライルの「衣装哲学」を全部読んだのだろうかww
とりあえず、「ネットゲリラ」常連の方々の「漫画教養」は、思ったより高いな、と思った次第である。ただ、教養というか知識は広くても、本物を見分ける力があるかどうかは別問題ww
(以下引用)
カムイ伝、カムイ外伝、忍者武芸帳、サスケ、どれも暗くて陰湿で残酷で面白かったし、いろいろ影響も受けた。カムイ伝第三部、読みたかったです。
「ギリシア詞華集」まあこんなモンは一生読むことないだろうが英訳はネットで読める
http://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/book/lookupid?key=olbp58842
あまりにも有名な"D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous" は、Wikipedia によると、これはキリスト教の教理問答にその源泉がある、と書かれている、ひょっとしたらクリスチャンなら知っている話であるのかもしれない。
まあ、それにその起源がギリシャにあって、Anthologia Graeca にもそーいう語句があっても何の不思議もないのであるが、カーライルだったら "Anthologia Graeca" にも精通しているのかもしれないが、でもきっとそれよりは「キリスト教の教理問答」の方がカーライルにも近いのではないかと思う。
白土三平作品は、ダウンロード違法化前に、忍者武芸帳をゲットした記憶があるのだが、ワシには余り印象に残る作品ではなかったな。
RSIひいきのワシとしてはトリアッティは公敵ナンバーワンという所である。
Hiro @mnDonotpanic
>legendary #manga author, #SHIRATO_Sampei, famous for #ninja theme titles, such as #Sasuke and #Kamui, dies at age 89; his real-life brother, who did drawing and art, #OKAMOTO_Tetsuji, also dies within days; #RIP #訃報 #白土三平 #岡本鉄二 #カムイ伝 #漫画家
【 カムイ伝「あのシーンがすべて」 白土三平さん明かす 】~歴史要素・群像劇などを盛り込み、漫画に重厚な世界をもたらした先駆者~
https://www.youtube.com/watch?v=RALuwslH8no
>「カムイ外伝」に男として生きた飛天(ひてん)の酉蔵(とりぞう)という女の殺し屋が、最期、「飛んでる! 飛んでるぜえ!」と言うシーンがあります。自己解放です。あのページがすべてです。いいセリフが描けたと思っています。女が解放されない時代、平等になりたいという願いが「飛びたい」に表れました。時間を超え、性別を超え、人の願いは伝わっていくと思います。今の時代も、もっと女性が活躍した方がいい。でも、私に聞いても面白い答えなんか出ませんから。読んで、感じてくれたらいいです。
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都築宏明の映画と武道の生活 @hiro_tsuzuki01
>白土三平さんが亡くなった。サスケが最初の出会いだった。特に大猿というキャラクターは凄まじいものを感じたなあ。 #白土三平 #サスケ #大猿 #RIP
【 サスケ 勝負は勝てる相手とだけするのだ 】~相手の力をはかる眼力も勝負の一つなのだ~
https://www.youtube.com/watch?v=zV8i0ozzWSE
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UMI @flushtaro1
>「光あるところに影がある…」昭和40年代のアニメ「サスケ」の冒頭のナレーション…←知らない方はおじいちゃんおばあちゃんお父さんお母さんに聞いてみてねw
(光あるところに影がある。誠栄光の陰に数知れぬ忍者の姿があった。命を懸けて歴史を作った影の男達。だが人よ、名を問うなかれ。闇に生き闇に忍ぶ、それが忍者の定めなのだ。)
恐山のマウンテンハット狂 @shirouSFX6
>白土三平さんの漫画は圧倒的にワタリ派。ワタリの髪型と武器がカッコ良くて好きでした。
田村ヨリアキ @BelkaStrelka99
>「忍者武芸帳」「サスケ」「ワタリ」そしてカムイ伝!子供の頃から何度も読み返してた。白土三平がいなければ火の鳥もジョジョも悪魔くんもなかったわけで。その影響力は絶大。大河的物語展開、残酷描写、ロジカルな戦闘描写…唯物史観、階級闘争を漫画に取り入れた先駆者だった。白土三平R.I.P
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AnimeVHSbot @Anime_VHS
>大忍術映画 ワタリ 1966/07/21 "日本漫画界の巨匠・白土三平が「カムイ」「サスケ」に次いで原作した「ワタリ」の劇場映画版ついに登場!! 東映が誇る大型時代劇に東映SFXと東映アニメが合体。誰もが読んだあの名作劇画が、まったく新しい映像娯楽大作に変身した。"
◆『大忍術映画ワタリ』(1966年・東映)・・・・脚本を一読した原作者の白土三平は、「ライフワークである“階級解放闘争”が消されている」として激怒。当時は東宝の独壇場だった特撮映画に殴り込みを敢行、大映(大魔神やガメラの特撮群)に続いた東映の本格的・特撮映画が『大忍術映画ワタリ』。東映の忍者映画としては、最高傑作の一つで国内外で人気を博した問題(?)映画。東映テレビ次長・渡邊亮徳と平山亨・東映プロデューサーが激怒する白土三平を説得し、紆余曲折の末に完成させた経緯アリ。
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【 懐かし映画「大忍術映画ワタリ」 タイトルバック&ワタリまーち 1966年劇場公開 】~原作・白土三平の確執により『仮面の忍者 赤影』が爆誕する事に~
https://www.youtube.com/watch?v=cMEiU8Ra1WY&t=43s
>「大忍術映画・ワタリ」昭和41年7月21日公開・白土三平原作・岡田名誉会長他の共同企画・伊上勝/西村俊介の共同脚本・船床定男監督(戦後劇団員としての経験を積んだ後、加藤泰監督や伊藤大輔監督の助監督を務め、当作品監督の前後には「月光仮面」「怪傑ハリマオ」等々のテレビドラマ作品で手腕を発揮されていた方。脚本担当の伊上先生との相性が抜群と言われており、自身も白土先生の作品が好きで愛読されていた模様です)・倉田準二特撮監督・東映京都制作。
・・・・完成試写を観た白土は「こんな映画を上映させる訳にはいかない」と再び激怒、席を蹴って帰ってしまった。白土の怒りは収まらず、公開後には「こんな映画はもっての他だ、今後一切東映とは付き合わない」として東映と縁切宣言。曰く「自身の主義主張が描かれていない!」「こんな作品は到底認められないし、過去の経緯(東映動画が制作したテレビ動画に於いて「原作を使い果たし東映側の独自の物語の構築」となった時点から「原作・白土三平」の表記を削除した事が有る)も有る為、今後東映とは絶縁する!」 当時の東映・仁侠映画路線は賛否両論、時代劇映画好き及び仁侠映画好きが泣いて喜ぶ「悪党軍団」の活躍に拍手喝采。 ※当時の東映は、どの類の作品に於いても、(時代劇や任侠映画が)似た筋書きになっている事が「非常」に多かった。
パルミロ・トリアッティ、そうだったんだ。
アタシはカムイ伝は基本的にプロットが過酷な権力者と虐げられる領民というステロタイプで社会構造が描かれることが多く、子供心にまたか、と思うことが多かった記憶がありますな。
カムイが解放してもどうせまた元通りだろう、という思いも。
虐げられる民にはそれを良しとする精神構造があり、そこを詰めないと心の開放はないのですな。月光仮面やカムイやスーパーマンのたぐいは、基本的に救急車や消防車に過ぎず、いつでも来てくれるわけではない。日常生活は自分たちで自分たちを守るしかない。というか、本当の庶民のしぶとさは彼にはその時点では描けなかったのですな。
ところで白土は晩年千葉だったかの漁村に移り住んで地元民と交流しながらフィールドノートの連載をやっていた。これ、実に面白くて河豚食って死にかかったり、漁民たちに影で「マンガ」とあだ名されてたり、いろいろ楽しく報告してくれる。
本当の庶民と付き合いで、彼らの知恵の深さや強さ、そして優しさとたくましさを十分にレポートしていてもっと早くにこちらに来たほうが良かったんじゃないかと思うのですな。
まあ時代が時代。左翼が歴史と国家を糾弾していた時代に染まっていたんだろうが、晩年はまた違った側面があったんですな。そして文章もなかなかうまくて愉快だった。
まあ今年はさいとうたかおもなくなり時代の節目のような気がしますな。多分あちらでも楽しくやってるだろう。こういう骨太な作家が失われるのは残念だが、創作ではもう十分に世界を切り開いたので来生は次のステップに移っているんでょうな。合掌。
《「われらは遠くから来た そして遠くまで行くのだ」》はイタリア共産党指導者トリアッティ
起源説が流布されているようだが 事態はもう少し複雑ではないのか あまりにも有名な画題
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』への反歌としての機能がある
ことは隠せない事実だろう。。そしてこの「我々はどこから来たのか 我々は何者か、、」は
学芸員や美術評論家でもゴーギャンオリジナルと浅慮する人が多いが 実はトマス カーライル
『サアタア リザアタス』(邦題「衣服哲学」「衣装哲学」)の一節から採られているワケです
事実 ゴーギャンはカーライルの愛読者であり仏訳版で読んだ だから画面左上に書かれた
「D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous」はカーライルの文章の仏語訳だ
しかし世界も言語も古い上に深い広がりを持つ 『ギリシア詞華集』にはこんな言葉がある
『わたしはどうして存在するようになったのか わたしは何処から来たのか
なぜわたしは来たのか』
ぼくはカーライルが『ギリシア 詞華集』にあるこの言葉からヒントを得たと考えている /笑。