直近の話だと、たとえば、例の阿武町の事件や税務署員の犯罪なども給付金が電子送金だから起こった事件だという面がある。まあ、人間は戦争の最前線に出されても自分だけは弾に当たらないと思うもののようである。
(以下引用)
今、コロンヒア大学に留学をしているのは現実なのか? と自分でも不思議だ。なんでも何歳からでもチャレンジってしてみるもんだ。
4月、ニューヨークでは一部を除いてマスクの義務が撤廃された。久しぶりにほおに風が当たった。この爽快感はたまらない。ニューヨーカーの皆さんは、解除が決まった直後に一瞬でマスクを外した。「マスクの何がそんなに嫌なの?」と思ったが、アメリカに長く住む日本人の友人は「アメリカ人はマスクの強制に従うこと自体に耐えられない」と言っていた。
家族でNBA(米プロバスケットボール協会)の試合に行ってみたら、2万人の観客はほぼ全員がノーマスク。後ろの席の若者は興奮して叫び、隣の席の女性たちはハーフタイムショーで歌いながら踊り出した。ビール片手にノリノリの大観衆。ついこの間まで、ワクチン証明書とパスポートを見せないと飲食店に入ることもできなかったのに、うそみたいな変わりようだった。その光景に、不安がぬぐえない私と夫と息子は、マスクをしたまま観戦した。なんだか、私たちが悪い病気に罹患(りかん)している危険人物みたいだった。
ただ、コロナが終わったのかというとそうではない。バスや地下鉄には「MASK REQURED」(マスクが必要)と掲示され、多くの人がそれに従っている。コロンビア大学の前には「FREE COVID―19 TESTING」(新型コロナウイルス無料検査)のテントがいくつもある(5月後半から検査の一部は有料)。予約なしで抗原検査とPCR検査ができる。試しにやってみると、本当に10分で済んだ。実はこのテントはマンハッタン中に無数にあり、いつでも誰でも気軽に検査ができる。羽田空港で予約の上、3万円も払って検査したのが遠くの星の話のようだ。
ちなみに大学内では、教授や学生は今もマスクをしている。これはコロナで学内が閉鎖された2年間の苦い記憶からきているそうだ。
「コロナでまた大学が閉鎖され、授業がリモートになるのは学生にとって最悪だ。だからマスクは必要」
と、私がとっている授業のリサ・デール教授は言った。コロンビア大学の正規の授業料は年間600万~1千万円。高額な学費にもかかわらず、リモートになったことで大切な学びの機会を失った学生も多い。つい先日までは、キャンパスに入るためには大学独自のコロナ証明アプリを毎日見せなければならなかった。この2年はひどい状況だったのだ。だから街中でマスクが解除された後も、学内ではマスクが続いている。
実際、若い学生たちの間では今も感染者が出ている。リサ教授も先日コロナにかかり、急きょリモート授業になった。学内のマスクの継続はありがたい。もし、NBAの会場のような授業だったらと考えると、50歳で高血圧の私は命の危機を感じてしまう。
ただし、マスクのせいで困っていることがある。授業の聞き取りだ。ニューヨーカーは早口でまくしたてる。専門用語を交えた議論が続く教室で、マスクで声がこもって聞こえないのだ。immigration(移民)とmitigation(緩和)のようにマスクがなければまちがえない単語を聞き間違えて議論の全体像を見失い、私は毎日落ちこぼれ、深い迷宮に迷い込んでいる。
そんな私を助けてくれるのは友だちだ。最初に親しくなったのは30代のしおりちゃん。同じ語学クラスの生徒で、授業の後にランチをするようになった。彼女はアメリカ人と結婚して現地に住んでいる。マスクで英語が聞き取れない悩みを共有できて心は楽になった。友だちって大切だ。たとえ何歳になっても。
彼女と毎日のようにランチに行くようになって実感したのは、現金が使えない店が増えていることだ。もともとアメリカはカード社会だが、感染対策で現金の扱いをやめた店が増えた。『No Cash!』と冷たい回答のお店では、しおりちゃんがカードやアプリで払い、私が現金で割り勘分を彼女に払う。いつしか私は彼女から「カナさん銀行」と呼ばれている。
彼女は普段、最低限の現金しか必要としない。それが私の割り勘分の10~20ドルで足りるので、ATMに行かなくなった。だから「カナさん銀行」なのだそうだ(笑)。
「現金って普段いります?」
と、しおりちゃんから真顔で聞かれたが、私はまだ現金がないと不安だ。ニューヨークでは飲食店以外でも、個人のお金のやり取りはアプリだ。例えば、息子の小学校の保護者会会費などは、アプリでの支払いを指示されてとても困った。朝から晩まで1円も現金を使わない日も多い。
ある晩、別のコロンビア大学の友だちと食事をしたとき、彼女は私の持っていた長財布を見てつぶやいた。
「久しぶりに財布を見た。もう誰も使っていない」
現金を使わないと、お財布もいらないのか。まるで自分が骨董(こっとう)品になったような気分だ。最近は念のためお店で聞くようにしている。
「現金を使ってもいいですか?」
50歳の子連れ留学。戸惑いながら、私のニューヨーク生活は続いてゆく。