他の部分はまったく同感できない言葉が多いが、この部分は鋭い見方があって面白い。
特に「経済」と「エコノミー」は違うという指摘は面白い。もともとeconomyは「割安の、徳用の」の日常的意味があり、「利があること、その方法」がeconomyの本源的意味だろう。問題は誰にとっての利益なのかだ。商人にとっての利益が購買者にとっての利益とは限らないし、政府にとっての利益が国民にとっての利益とは限らない。「経世済民」から来た「経済」とはまったく質が違うというのは卓見である。
孟子は「義と利を弁別せよ(あるいは「峻別」せよ)」と言ったが、資本主義社会では鼻で笑われそうな言葉だ。利より義を重視する経営者や株主などいるか?
ついでに言えば、英語ではbusy(忙しい)がbusiness(商売)となったが、漢字の「忙」は「心が亡ぶ」という会意文字である。まさに東洋(古代中国)の叡知だろう。
(以下引用)
そもそも…「経済」とは、人の暮らしを守ることである。
他方、エコノミーというのは、国力中心の考えであり、基本「軍国主義」と性質が同じである。
そして、その「強い国家」のためなら「民は犠牲になるべき」という発想が隠れている。
それで、アメリカでも英国でも日本でも…
国家は強くなっていくものの、民の生活は日に日に追い詰められて、貧困が拡大していくのである。
どんなに貧困化や格差拡大が進んでも、
悪徳セールスの営業マンに言うがごとく…
「もっとはたらけ!」、「もっと稼げ!」、「もっと努力しろ!」とノルマ突き付けられ尻叩かれる…
いずれ、尻ではなく、肩を叩かれるようになり…
妻子からも捨てられて…路頭に迷うことになるのである…
そこへ、「わるいやつら」がやってきて、ハイエナのように死肉を啄みにくる…
これが、「自由経済」であり、
これが「共通の価値」掲げる国の「民主主義」なのである。
いったい、世界のだれが、こんな「価値」、こんな「社会」、こんな「法の支配」を望むのか?
とりあえず「雇用」を守ってもらって、「その日の糧」だけでも得られるようになりたいと…
ただ、それだけのことで「経済政策」に国民は「望み」を託す。
しかし、それは悪徳新興宗教に入信するがごときであり、
ねずみ講セールスにハマるがごときなのである。
その先には、破滅しかない。絶望しかない。
山野で、猛獣のエサになるようなもので、街は、山野よりも危険な「人食い」がうろついているのである。
だから、まあ…アニメも…
「青春ラブコメ」な学園生活を若者から奪ってはいけないみたいなことを言いだして…
要は、卒業したら「家畜の出荷」と何も変わるところがなく…
「野良」となれば、エサにもありつけず…
人の羨むところに「就職」できたにしても、いずれ、40~50で「肩叩き」なのである。
一億総負け組社会!!
中国もロシアも、
「日本のようになったらおしまいだ!」と恐怖している。
案外、世界は「反欧米日」で結束し、その排除に向かうことになるやもしれない。
欧米日について行っても、人民はだれも幸せにならないのだから。
戦争は最大の公共事業
…だとして、米英日はウクライナをエサに金儲け…
いつでも詐欺師というのは、「お助けマン」のような顔をして近づいてくる。
ウクライナ人にも、ちゃんと教えてあげよう。
本当にウクライナを戦火に晒したのはだれだったのかと…
いやいや、教えてもらわなければわからないようでは、この「世の終わり」を生きていくことはできない。