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若さは気から

今回の記事タイトルは、私の別ブログ(娯楽話題専門)に書いた記事のタイトルと同じで、もちろん、「病は気から」のもじりである。で、その記事も後で引用するが、冒頭の某アニメへの批判は省略する。

要は、肉体だけ若返っても意味はない、という話だ。で、精神の若さというのは80歳になっても100歳になっても変わらない人は変わらない(いや、進歩し、若返りすらする)のであり、それは「幼稚さ」だと批判もできるが、これを「若さ」だと肯定的に見たらどうか。
何だか、一時期流行ったアメリカの誰かの「青春の詩」のような臭い話にしか聞こえないかもしれないが。いや、言っていることはまったく同じなのだが、これから書くことは、たぶんもう少しマシな話だ。

で、小児や幼児には不可能な娯楽が、「精神世界の娯楽」である。これはある程度以上の知識や知能が必要になるので、ふつうは年齢と共に知能は向上し、知識は増えるから「大人の娯楽」になる。小児や幼児の場合は非常に限定されるわけだ。
つまり、老化(単なる年齢的意味での老化)というのは「精神的娯楽」に関しては、むしろ喜ぶべきことなのである。

数日前に私はバルザックの「暗黒事件」を読み終えたが、これは「いい加減な読書」が普通である私としては珍しく、フランスの「大革命時代」を勉強しながら、ふたつの翻訳を同時に読んでいった、いわば「学問研究」の真似事に近い読み方だったのだが、それでも内容の8割か9割くらいしか理解できていないと思う。つまり、歴史的知識が無さすぎるのである。たとえば「七月革命」、つまりナポレオン失脚後の王政復古に続く二度目の革命などの詳細はまったく知らない。
まあ、学校教育の中では歴史とは年号と人名・地名の暗記だけだったのだから、当然である。
しかし、今朝の寝起きに枕元の本棚から適当に抜き出したホフマンの「黄金の壺」その他の入った文庫本(ほとんど未読。収録作品の題名が魅力が無い)の解説を読んで、ホフマンがナポレオン戦争時代の人間であり、その影響で悲惨な人生を送った人間であることを知って、(解説の中の作品説明からも)がぜん興味が出たのだが、つまり、手近にあっても、所持している当人がその価値を知らない宝物がたくさんあり、それが私の言う「精神世界」の宝物なのである。
で、その宝物も、私の場合はその前に「暗黒事件」を読むということが無かったら、まったく興味も惹かなかったわけだ。

誰の人生でも、RPG(ロールプレイングゲーム)的な「冒険」はあり、それが精神世界での冒険である。だが、その冒険は本(先人たちの作った精神世界)という「広大な未知の大陸」に踏み出す者だけに与えられる冒険だ。

さて、一度読んだ本でも、その大半は未熟な精神での読書で、その価値の半分どころか100分の1しか味わっていないのは確実だから、そのうち、若いころ(十代のころ)に読んだ「戦争と平和」の再読でもしよう。未読の「名作古典」を含め、まさに「老後の楽しみ」は無限にあるのである。これは本だけでなく音楽も絵画も諸学問も「その本当の価値を知らないまま生きて来た」意味では同じことだ。つまり世界は宝に溢れている。


(以下引用)文中の「じいさんばあさん」はたぶん「ぢいさんばあさん」が正しい表記。

私なら、同じ若返りでも、山本周五郎の「大久保彦左衛門実記」をアニメ化する。これは、太平の世になって、戦国時代の質実剛健の気風を失った武士たちの姿を怒り、我が身の老いへの鬱屈とで世をすねていた大久保彦左衛門が、甥の若侍に騙されて、自分が昔書いた(実はその若侍の創作)実録を読んで興奮し、徳川家の御意見番として活躍するうちに、武芸の鍛練によって心身共に若返るというユーモア小説である。つまり、若さは心構えから、という話で、現代の高齢社会にウケルのではないか。

ちなみに、若返りはしないが、武士の老年新婚夫婦(事情があって、新婚早々別離していたが、何十年ぶりに再会して熱々の新婚生活を送っている)を描いた森鴎外の「じいさんばあさん」はしみじみと感動するというか、ニヤニヤしたくなる、ほほえましい名短編なので一読をお勧めする。芝居にもなっているようだ。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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