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目標、夢、義務感が人生を地獄化する

最近のアニメには「ゲーム感覚」の話が多い気がするが、そのほとんどは「人生(世の中)は力がすべてで、力は設定(初期設定)がすべて」という人生哲学に基づいている気がする。そこから、「親ガチャ」という流行語も生まれてきたのだろう。
まあ、昔のように、「夢を持て」と力説する教師も少なくなっているなら、結構なことだ。夢、あるいは大きな目標を持つことは、それを達成する過程はすべて「苦行」となりがちであるのだから。しばしば、優れた創作者(特に喜劇漫画を描く漫画家)が鬱病になりがちなのは、「いい作品を描かねばならない」「締め切りまでに作品を仕上げねばならない」という義務感のためであり、これもまた「目標(夢)を持つ」ことと同じく、義務感に縛られるのである。
(親の命令だと思うが)六浪して医学部に入り、何かのことで母親を殺した女性がいたが、この女性の合格までの6年間は地獄だったのではないか。(医学部合格まで至ったかどうかは忘れたが。)

最初の話に戻るが、幼い時から、ゲームやアニメを通じて「(初期設定でだいたいすべてが決まるという)社会の真実」を知る若者が増えたことが、若者の自殺増加の最大原因ではないかと思う。
最近のアニメの中でよく言われるのが「人生は糞ゲーだ」という言葉である。もちろん、その後で「糞ゲーではなく、人生は努力で変えられる」と続く話も多いのだが、たいていは、現実は糞ゲーだから異世界に転生する、という安易な話になるわけである。で、「人生は努力で変えられる」派の作品も、その努力とは「人生を戦略的に、ゲーム感覚で生きる」話なのである。生きること自体の楽しさを見せる作品、ただ生きるだけでも人生は素晴らしいという話はほとんど見ない。ほとんどが「何かの点で他者より優れないと人生は糞ゲーになる」話だ。ということは、そういう人生哲学は結局、人生とは苦行である、という結論になるだろう。もちろん、それは大きな迷妄だ、というのが私の考えだ。
鬱病になった漫画家の話をしたが、そういう人は漫画家をやめて土方にでもなればいいのである。若くして優れた作品を幾つも描いたために、創作家として以外の人生が考えられなくなる、というのは間違いであって、どんな創作者でも創作のネタが切れる時期が来るのが必然だと考え、「悩まない人生」を選ぶべきだ、と私は思う。つまり、「厭離一切転倒夢想、究境涅槃」である。

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酔生夢人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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