私は宝石よりも、草や木の葉の上の露の玉が日の光で輝いているほうがずっと美しいと思う人間だが、それすらも何かへの執着であるわけだ。だが、執着をまったく持たないということは、生きること自体の否定かもしれない。私の考える仏教とは、芭蕉の「俗を捨てて俗に帰る」に似ていて、「生を捨てて生に帰る」であり、愛も憎悪もすべて捨て去った心境では、木石同然の存在でしかなく、そういう生に意味があるのかどうか、少々疑問に思っている。
物への執着、愛着というのは、人それぞれである。愛着や執着とは、悲しみや苦しみの原因にもなるが、生の重大な要素であり、時には生の意義ですらある。
少し前の「断捨離」ブームは、私にはあまり気に入らなかったのだが、それは何かを不要として切り捨てる、その行為自体に、「残忍さ」「軽薄さ」を感じたのではないか、と今にして思う。
もちろん、我々は日々何かを切り捨てないと生きて行けない。だが、自分にとって不要だとしたその何かの「精神的意味」を十分に考えた上で「断ち」「捨て」「離れて」いるのだろうか。はたして、子供の机の中の石ころやドングリは、母親の化粧箱の中の高価な化粧品より無価値なものだろうか。自分自身の所持品だけで考えても、長年使った物は、精神的に自分自身の一部になっていないだろうか。
(以下引用)
ゆうき まさみさんがリツイート
- …他人のものだからぞんざいなのかと思いきや、その人自身 亡くなった夫の持ち物全て処分してるし(夫婦仲は良かったのに)成人した子どもたちのアルバムなんかも一切残してない。自分が趣味で描いた絵や手芸も終われば捨てると徹底してて「それ大事な物だから」を全くわかってくれなかったそうな。
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- …あ、でもふと思い出したけど、信じ難いレベルで 物に執着しない人ってのもいるんだよね。父が死んだ後、母の手伝いに来てくれた近所のおばさんが父のゴルフのトロフィーとかどんどんゴミ袋に突っ込んでて、母が何するの!って驚いたら「え?だって死んだんだからいらないでしょ?」ってキョトン(続
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他人が大切にしてる物を粗雑に扱う事は絶対してはいけない。それに金銭的価値が有ろうが無かろうが、たとえ貝殻やドングリだろうが、自分の価値観ではどれだけつまらない物だとしてもそれを大事にしてる人にとっては大事に思う気持ちの大きさの分だけ傷付くのだと言うことを知ってほしい(´;ω;`)