忍者ブログ

引いてばかりだと土俵を押し出されるのは自明のこと

差別主義者を批判する非差別主義者(差別反対論者)に対して、「お前ら(差別反対論者)も我々(差別主義者)を差別しているではないか。自己矛盾だ。言行不一致だ」と反論する差別主義者の論法があるわけだが、下のカール・ポパーの言葉はこうした論法へのいい対処法(つまり、自己矛盾に悩む寛容主義者の精神安定にいい教え)である。

以前に孔徳秋水氏がよく言っていた「応報論(応報主義)」と似ているだろうか。つまり、「寛容には寛容で返し、不寛容には不寛容で返す」わけである。

寛容主義はべつに「すべてに寛容であれ」と主張しているわけではない。まあ、それをかなり高次元で主張したのはキリストくらいだ。(「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」「汝の敵を愛せよ」というわけだが、キリストも実は自分の思想的敵対者であるパリサイ人、つまり当時のユダヤ教指導層の言動に対しては非常に不寛容だったのである。)「無抵抗主義」のガンジーもそれに似ているが、無抵抗と寛容は同じではない。


(以下引用)



哲学者カール・ポパー
「寛容な社会は不寛容を許容するべきか?もし不寛容な者にまで寛容であろうとすると寛容な人々も、寛容な社会も、彼らに壊される。不寛容や迫害を説くいかなる扇動も犯罪でなければならない。矛盾しているようだが、寛容性を守るには、不寛容に不寛容であるということが必要だ」






拍手

PR

この記事にコメントする

Name
Title
Mail
URL
Comment
Pass
Pictgram
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
13
14 19
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析