まったく内実の異なるものが、同じ「自由」ということばで呼ばれている…
奴隷や囚人にとっての「自由」とは何だろう?
喰えることであり、痛い目に遭わずに済むことであり、
いつかは、この境遇から脱することができると信じられる”希望”であろう…
自分が、自由でいられること、自由にできるモノがあること。
そして、自由な時間があることだろう。
欲望が満たされていること…
恐怖から逃れられていること…
それが、”奴隷の自由”、”囚人の自由”である。
日本人の多くが求めている「自由」はこれである。
ゆえに、彼らはたやすく権力に支配される…
権力に支配されて、「自分が自由である」と錯覚している…
豚舎でブタは腹いっぱい食えて、寒さもなく、天敵の襲来にも脅かされず、「自由」を満喫している。
だが、彼らはなにひとつ自分で決定できはしないし、生死も飼い主に委ねられている。
ブタどもにとって、欲望が満たされることが、「幸福」であり、「自由」なのである…
ブタどもにとって、「安全」を信じられ、恐怖のないことが「幸福」であり、「自由」なのだ。
喰われるために生きている者たち…
君子は、権力に支配されず、主体的な立場を維持しようとする。
だから、くだらぬ欲をそもそももたない…
偽りなく生きているので、怖いモノがない…
欲をもたず、恐怖しない…
だから、君子は権力から自由である。
権力に対して、常に主体的な立場を維持することができる。
そもそも権力とはなにか?…
欲で釣り、刑で脅すことである。
欲と恐怖によって、人間を支配することができる。
だが、君子は支配されることがない。
欲がないから釣られない。
死ぬことも怖くないから、脅しが通じない。
ゆえに、君子は常に”自由”である。
君子は力を求めない。いや…求めはするが、求め方が違うのだ…
何も支配しようとしない…ゆえに、万物が自分にしたがうようになる…
他力に寄り添うことで、他力を自力に変えてしまう…
相手や仲間の力を利用する…引き出す…それに乗る…
無欲恬淡、柔弱謙下不争の徳は、権力に支配されない自由な自分を維持する極意である。