下に書いてあることをひと言で言えば、「般若心経」の一節
厭離一切転倒夢想(漢字はもう少し難しい字を使うが。「厭離」の漢字も違うかもしれない。)
究竟涅槃
ということである。我々を苦しめるすべては、基本的には我々自身が作った妄想だ、ということだ。
もっとも、それで生活苦が消えるわけではないから、私は同時に社会主義者でもあるわけだ。社会の上位層の所有物・財産を半分くらい貧困層に分け与えれば、地上の天国は即座に生まれる。いや、ロスチャイルド家の財産の半分だけで世界のすべての貧困者は救えるだろう。
(以下引用)
さて、きょうの話は、そのような低級低脳には決して理解できない話だ。
仏教の教えは…
「天国も地獄もない」…なのである。
愚童凡夫にはわかるまい?
同時にわたしも、
「天国も地獄も実在する」と言っているからね…
しかし、仏の教えをよく聞いてみよう…
すると、思わないか?
百千万億阿僧祇劫積み上げてきた罪業も
念仏で一瞬にして消え去る…とは?
それはなぜか?…と。
つまり、そもそも「ない」のである。
すべては、人のこころが生み出す「迷い」であり「現実」にすぎないもの…
…だからである。
したがって…
テレビのスィッチがOFFになれば音も画像も消えるがごとく…
スィッチをONにすれば、そこに「世界」が現れるがごとく…
創造主が「光あれ」といえば…「そこに光があった」となる…
そして、「万物」が作られていく…のでもある。
もともと、そんなものなどない…
「ない」から、突如、現れる…
「天国も地獄もない」…ということは…
「神も仏も悪魔もない」…ということで…
さらにいえば、
あなたが「ある」と信じているすべてが「ない」ということなのである。
「格差」もなければ、「不平等」もない。
「理不尽」もなければ「差別」も「ない」のだ。
それらは、そもそもあなたが自分の想念で「でっちあげた」ものである。
あなたが、そのような概念形成さえしなければ、そんなものは存在しない。
「啓蒙」や「教育」とは、思考の「型」を植え付けることで
ありもしないものを「ある」と認識するように仕向けることである。
カルト宗教は、この原理を熟知して使っている。
「ポリコレ」も、キモ・リベもまさに、この原理で「運動」している。
この「キチガイ」運動は、心理法則を利用しているので、破るのが困難なのだ。
そもそも「キチガイ」に「なすすべ」などはない。
「触らぬ神に祟りなし」…
「キチガイ」凡夫に、今日の教えの要点をもう一度。
「天国も地獄もない」…そう思うか?
「神も仏も悪魔もいない」…そう思うか?
「イエス」…で、いいね?
そうそう…それは「仏の教え」である。
あなたが「仏の教え」をちゃんと理解していれば、次に…それゆえに…
「格差」も「不平等」も「理不尽」も「ない」とわかるはず。
なぜなら、それらは、
すべて人が勝手にでっち上げた「想念」であり「区別」だからである。
その「作為」を捨てれば、一切は「ない」とわかる。
ただ、混沌たる、ありのままの世界があるのみで…
そこには「無限の解釈」があるということである。
ポリコレ運動に必死になることこそは、バカの極み…
だが、そういう愚行を神様というのは面白がるのである。
あなたがた「キチガイ」は、そういうものが「実在する」と信じる。
それは、天国や地獄、神や仏、悪魔が存在すると信じるのと同じこと。
つまり、あなたがたにとって…
天国も地獄も、神も仏も悪魔も存在する。
ただ、あなたがたは、そのことを認知できないだけなのである。