普通、わるふざけして海に落としたのならば、そのあとのリアクションが見たいからそのまま放置することはないだろう。また場所が岸壁ならばその人が登ってこられるかどうかもわからないのだから最後まで見届けるはず。 そもそも悪ふざけではなく、ただの暴行だった可能性も高い。 一緒にいるからといって心のなかでは友人と思っているとは限らない。
さて、こういう事件を、「通俗道徳」を批判する人は、「道徳」と「通俗道徳」はまったく違うと言うのだろうか。では、世間から「道徳」が消えつつある今、そういう人の考える「道徳」とは何か、説明してほしいものである。私には「通俗道徳」を批判する人々は、下の事件のように道徳そのものを無視する風潮を作っているようにしか見えない。このような若者には「道徳」と「通俗道徳」の区別など無いはずだ。
(以下引用)
(以下引用)
【速報】20歳男性を海に投げ入れ死なせたか 20代の男2人を逮捕 静岡・焼津市
近ごろの事件を大まかに分析すると、他人の傷を思いもせずに、他人を騙して金品を奪い取る、あるいは何の恨みもないのに強盗に入り年老いた住人を殺して金品を奪い取る、軽はずみな行為で友人・知人らをからかって危険な状態に陥れて大けがや殺人に至るような行為も目立つ。人間が浮ついて軽くなり、自分の行為が他人にどういう苦痛を与えるかを考えもしないどころか、他人が苦しむ様子を見て面白がっている。SNSなどでもそれを面白がっている。政治家を志す人間が対立候補か何かしらないが大音響で選挙演説の妨害をする。それも公衆電話ボックスの上に乗ってだ。ガーシーのやったこともそういった部類の悪ふざけの心理から発展したものだろう。表では何とでも理屈を立てて自分の行為を正当化するかもしれないが、やっていることは小さな子どもの残忍性そのものを大人になっても引きずって生きている。そういう大人が多くなってきているように思う、
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