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少年騎士ミゼルの遍歴 27

第二十七章 海の旅

 次の日、ミゼルとピオは町で、船旅に必要な品物を買い込んだ。船の燃料の薪は前もって準備してあり、それらには、水に濡れても大丈夫なようにタールが塗られていた。メビウスは、一日かけて、船の点検と機関の整備を行っている。
 ピオとミゼルは、その前から航海のための船乗りを二人雇っていた。マキルとザキルという兄弟で、年は三十くらいである。兄のマキルは実直そうな男だったが、弟のザキルは目にずるそうな光があって、ミゼルには信頼できない男のように思われた。しかし、この危険な航海に同伴することを承知する漁師はほかには無く、この二人を雇うしかなかったのである。幸い、メビウスも一緒に船に乗ると言ったので、船の機関の操作や整備の点は安心だった。
 この五人とゼフィルが船に乗り込み、ハビラムに着いてからおよそ三週間後にミゼルたちはヘブロンに向けて出発した。季節は秋になっており、風は軽い逆風だったが、蒸気で走る船は、快調に波を蹴立てて進んでいった。
 秋空は美しく晴れ上がり、夏の名残の入道雲が水平線にはあるが、空の高いところは、軽く絵筆を走らせたような筋雲がかかっている。時折、海の上に飛び魚が群れ飛び、銀色の体をきらめかせる。海の色は、深い群青色だ。
「海の旅というのは退屈なもんだな。することもありゃしねえ」
 最初は海の景色に感嘆していたピオは、二日目には、早くもぼやき始めている。彼はザキルを相手にサイコロ博打などをしていたが、どうもザキルが好きになれないらしく、それもやめてしまっている。ミゼルの方も、ヘブロンに着くまではすることはない。
 三日目には、水平線の彼方に、鯨の姿が見えた。ミゼルもピオも、この海の怪物を見るのは初めてである。
「遠くにいるからわかりませんが、あいつはこの船より大きいんですよ」
 マキルが二人に教える。
「いくら大きくたって、人間にはかなわねえぜ。俺は、こいつであの鯨を何頭も倒してきたんだ」
 ザキルが、自分の銛を自慢そうにピオとミゼルに見せて言う。
「お前一人で倒したわけじゃない。仲間が何人もかかって、やっと倒したんだろうが。あんまり自慢めいた事を言うんじゃない」
 マキルがたしなめると、ザキルは不満そうに口をつぐんだ。
 その夜、船が大きくグラリと傾き、寝ていたミゼルたちは飛び起きた。
「何事だ!」
 真っ先に甲板に飛び出したピオが、船の操縦をしていたザキルに聞いた。
 ザキルは、真っ青な顔で、首を横に振った。何が起こったのか、分からないのだろう。
 船に乗っていた者は皆、海面を見つめた。
 夜空には無数の星が出ていたが、月は無く、星明かりでは海面の様子は、良く見えない。
 だが、やがて船の真下を行く巨大な白い姿が見えた。
「鯨だ!」
 ザキルが叫んだが、その声は昼間の大言壮語とは打って変わった震え声であった。
「違う、大烏賊だ!」
マキルが言って、銛を銛掛けから外して身構えた。ミゼルも、弓を構えた。
その時、船の舳先に、不気味な白く長い物が現れた。それは、舳先にからみつき、すぐに続けて、同じような物が数本現れて、こちらに伸びてきた。烏賊の足である。船は、大烏賊に絡まれて大きく傾いた。
ピオは、剣を抜いて大烏賊の足に斬りつけた。足は一瞬縮んだように見えたが、次の瞬間くねりながら甲板をのたうち回り、ザキルの体に触れて、それを絡み取った。ザキルは悲鳴を上げながら、宙に持ち上げられる。
ミゼルは、船の舷側に身を乗り出し、海上に現れた大烏賊の胴体の中にかすかに見えたその目に弓を射た。
大烏賊は、片目に射込まれた矢の苦痛のためか、ザキルの体を甲板に放り投げて、船に巻き付いていた手足を離した。
やがて、その悪夢のような白い姿は、船の後ろに遠く離れていった。
「鯨は得意でも、烏賊は苦手なようだな」
 ピオがザキルをからかったが、ザキルは何とも言わなかった。幸い、ザキルにも、他の乗組員にも怪我はなく、調べてみると、船もそれほど壊れてはいなかった。
 翌日の夜、異変は再び起きた。
 舵をとっていたのはマキルであった。マキルのかすかな悲鳴を聞きつけて目を覚ましたミゼルは、甲板に上がっていった。そこでミゼルが目撃したのは、海上を漂う幾つもの青白い人影だった。
「死人の魂だ。……あいつらは、俺達を死の国に連れて行くんだ。あいつらに出逢った船は、みんな沈んでしまう」
 マキルはぶるぶる震えながら言った。
 船に近づいた亡霊たちは、今では顔もはっきりと見えた。やはり、死人の顔である。この海で死んだ漁師や船乗りの亡霊だろう。
 ミゼルの心も、さすがに気味悪い思いに捕らえられたが、ミゼルは、ふと思いついて船室に戻り、アドラムの国王から手に入れた王者の剣を取って甲板に戻った。
 ミゼルが王者の剣を鞘から抜くと、青い光が、さっと輝き渡った。その光は、ミゼルやマキルの顔を明るく照らし出すほどの明るさである。
 その光が亡霊たちに当たると、亡霊たちは一瞬で消え去った。
 ミゼルとマキルは、顔を見合わせて、ほっと安堵のため息をついた。

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少年騎士ミゼルの遍歴 26

第二十六章 港町ハビラム

ミゼルとピオが、アドラム北西の海辺の町ハビラムに着いたのは、夏の終わりだった。二人はそこで宿を取り、ヘブロンへの船旅の準備をすることにした。ヘブロンまで、およそ三百海里、順風でも一週間はかかるが、今は西風が吹き始めているから、三、四週間くらいもかかるかもしれない。それに、南方からは、台風が時折発生する頃だ、と港町の古老は言っている。大風にも耐えられるだけの船は、すぐには手に入らない。船の乗組員の人数も揃える必要がある。
 ミゼルとピオは、漁民の家を回って、船を探してみたが、どの舟も、沿岸漁業用の小舟で、遠洋航海ができる船ではない。
「いっそ、新しく作らせちゃあ、どうだ。金はあるんだからな」
 ピオが言った。
 ミゼルは、レハベアムに行くのが遅くなる、と乗り気ではなかったが、ある日ピオは一人の少年を連れてきた。やせっぽちで、耳や鼻の大きい不細工な顔の少年だが、目には知的なきらめきがあった。
「こいつの名はメビウス。船大工だが、細工物ならなんでもできる天才的な男だそうだ。大きな船を作ったことはないが、作るのは簡単だ、と言っているぜ」
 ピオの言葉に、少年は平然と付け加えた。
「人手さえあれば、二週間で作るよ」
 ミゼルは驚いた。小さな舟でも、作るのに二、三ヶ月はかかるのが普通だからだ。
「もしも、金がたっぷりあるのなら、櫓も帆も無くても走る船を作ってやるよ」
 あっけにとられているミゼルとピオに、少年は、地面に図を描いて説明した。
「密閉した大釜に水を入れて、下から熱すると、蒸気が出る。その蒸気を、管に通して羽根のついた車に吹き付けると、車が回る。その回転の力で、船を進ませるんだ。もちろん、実際には、もう少し複雑な仕組みになるけどな」
 ミゼルの頭では、メビウスの言葉が実現可能なものかどうかわからなかったが、とにかく、この少年の頭が自分たちとは随分ちがったものであることは分かった。
 ミゼルは、メビウスに二千金を与えて、造船作業の一切の指揮を任せた。
 後は、ミゼルたちにはすることが無かった。ピオは乗組員を探しがてら港町の酒場で毎日酒を飲み、ミゼルは造船作業の進み具合を見るために、作業場に毎日通った。
 メビウスの仕事の進め方も、意表を突いたものだった。五十人あまりの人間が、幾つものグループに分かれ、それぞれ船の別の部分を同時に作っていくのである。各部分の設計図を見て作っていくのだが、最終的にそれらがきちんと一つに組み合わされるのか、ミゼルは不安でならなかった。
 十日目に、船はその全容を現した。作業場である海辺の小屋の側で組み立てられたそれは、全長およそ二十メートル、幅七メートルほどの大きさの船で、甲板と船室があり、船体の横には二つの外輪が両側にあって、船の中央には、煙突が突き出ていた。この当時の人間の目には、いかにも異様な形の船である。
全体が組み立てられた後、船板の継ぎ目にタールが塗られて防水された船は、タールが乾くのを待って海に浮かべられた。コロと滑車で海まで引かれていった船は、無事に海に浮かんだ。ミゼルとピオは、思わず顔を見合わせて、微笑した。
火釜に火が入れられ、しばらくすると、船は自力で動きだした。最初はゆっくりだが、段々と速度が上がり、思いもかけないほどの速さで船は走り出した。
「素晴らしい! これなら、レハベアムまで楽に行けるぞ」
ピオは叫んだ。

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少年騎士ミゼルの遍歴 25

第二十五章 灼熱の砂漠

 翌日、朝早い時刻に、ミゼルはマハンの屋敷を出た。ロザリン、ゲイツ、アビエル、アロン、マハンらが見送るのに手を振って、ミゼルはゼフィルを砂漠の中へと歩ませる。ゼフィルの後ろには、荷運び用の駱駝が一頭繋がれている。
 アサガイが砂丘の向こうに姿を隠すころには、日は高く昇り、焼け付くような暑さが襲ってきた。ゼフィルも、慣れない砂の上の歩みに苦労している。
 目的地は、北西の海岸である。そこの港町ハビラムが、ヘブロンには最も近いはずだ。そこでなら、船も求められるだろう。しかし、たった一人でヘブロンまで行き着けるだろうか。ミゼルの心は不安で一杯だった。旅の最初の頃は、すべてが未知だったから、旅の苦難についても悩むことはなかった。しかし、ヤラベアムからアドラムまでの旅の間に、ミゼルは、この旅が容易な旅ではないことが分かってきていた。ロザリンの魔法、ゲイツの世間知、エルロイの武勇、アビエルの機知があって、旅の危険から脱出し、旅の苦労が慰められたのである。だから、表面では仲間たちと明るく別れたものの、ミゼルの心は孤独を感じていた。なまじ仲間がいなければ、こんな孤独を感じることもなかっただろう。
 何日か砂漠の旅をした後、ミゼルは砂漠の真ん中で水を切らしてしまった。水は、アロンの忠告で、駱駝の背に革袋四つ分乗せていたのだが、ゼフィルがひどく水を欲しがるので、飲ませているうちに、足りなくなってしまったのだ。
 水なしで、さらに一日旅をすると、ミゼルの頭は朦朧としてきた。ずっと前から、ゼフィルの負担を軽くするために、ゼフィルには乗らず、自分の足で歩いていたのだが、灼熱の太陽の中で、ミゼルの足は、もはや一歩も進まなかった。急に目の前が暗くなったミゼルは、熱い砂の上に倒れた。
 倒れた瞬間、ミゼルは祖父シゼルの待つ故郷のことを想っていた。あの、さわやかな風の吹く草原を。
「お祖父さん、僕はもう終わりです。期待を裏切って済みません……」
 そして、ミゼルの意識は闇の中に沈んでいった。
 気が付くと、ミゼルの体は涼しい木陰に横たえられていた。頭には、水に濡らした布が置かれて、気持ちよく冷やされている。ミゼルは、思わず、その布を取って、布に含まれた水を吸おうとした。
「おっと待った。水ならあるぜ。ほら、飲みな」
 誰かの差し出した水筒を受け取って、ミゼルはその中の水をむさぼるように飲んだ。
 意識がはっきりと戻ってきた。
「こんな砂漠のど真ん中で遭うのは、奇跡に等しいが、俺が見つけなけりゃあ、お前さん、ここで日干しになっていたぜ」
 男は、日に焼けた顔で、にかっと白い歯を見せて笑った。顔一杯に広がるようなでかい口だ。その顔には見覚えがあった。ピオである。ミゼルからゼフィルを盗んだ男だ。
「実は、お前さんに用があって、アサガイを訪ねたんだ。そこで、お前さんの旅の目的も聞いた。どうだい、一つ、俺を仲間にしないかね。どうやら、この旅は、お前さん一人じゃあ、無理なようだぜ。俺も、長年の泥棒稼業に嫌気がさして、何か面白いことをしてみたいと思っていたところなんだ」
 ピオの申し出に、ミゼルは一瞬考え込んだ。
「もちろん大歓迎だが、ヘブロンから、エタム、レハベアムという、まだ誰も行ったことのないような所までの危険な旅だよ。途中で命を無くすことになるかもしれないが、それでもいいのか?」
「望むところさ。もともと、あって無いような命だ。まだ見たことも無いような所が見られるなんて、面白いじゃねえか」
 ミゼルにとっては、命の恩人だ。それに、この男は泥棒だが、けっして悪い男ではないとミゼルは感じていた。ミゼルはピオの申し出を有り難く受け入れた。これで、孤独から解放されると思うと、ミゼルの心にほっとした思いが広がった。

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少年騎士ミゼルの遍歴 24

第二十四章 別れ

 アサガイに着いた一行は、そこで何日かを過ごした。都からの噂では、宰相アブドラが、自分の私兵を連れてムルドを脱出し、各地の豪族に呼びかけて内乱を起こしているらしい。ミゼルたちを王に目通りさせた事が王の怒りに触れ、処刑される事を恐れて先回りして行動したものだろう。ミゼルは、アブドラにも済まないことをした、と思ったが、アロンの父のマハンは、笑って言った。
「もともと、今のエリアブ王家は、その前のダタン王朝に仕えていたヤラベアム出身の宰相カロンが王位を簒奪して作った王朝で、我々アドラム人の王家ではありません。見ての通り、我々とあなた方ヤラベアム人とは、肌色も髪の色も違う。アドラム人には、あなた方のような金髪や青い目の者はいません。アロンがアドラム人でないことは、見ればわかるでしょう。いずれにせよ、エリアブ王家の悪政に苦しめられたアドラム人が立ち上がるのは、時間の問題だったのです」
 ミゼルは、アドラムに残ってロドリグ王との戦いに協力したいと思ったが、その一方では、早く風の島ヘブロンに渡って聖なる武具の二つ目を手に入れたいとあせる気持ちがあった。
 ある日、アロンがロザリンを連れてミゼルの所に来て、ロザリンが自分の求婚を受け入れたということを告げた。ミゼルは喜んで二人を祝福した。
「そういうわけで、ミゼル、残念だけど、あなたの旅に付いていく事ができなくなったの。御免なさいね」
 ロザリンはミゼルに向かって言った。ミゼルは頭を振って、ロザリンがアロンを選んだのは良かった、きっと幸せになるだろう、と言った。
 ロザリンは、ゲイツやアビエルからも祝福を受けたが、その席で、驚くべき事を告白した。
「実は、私はヤラベアムの王女なの。本当の名前はエステルよ」
 ミゼルたちは信じられない思いだったが、ロザリンが顔の化粧を拭い去って本来の色白の肌を顕した時、ミゼルは、彼女が、御前試合の時に少しだけ見たエステル姫本人であることが分かった。
「俺達はとんでもない人と一緒に旅をしていたんだなあ」
 アビエルはあきれたように言った。
「これまでの無礼の数々、お許しください」
 ゲイツは、青くなって詫びた。
「無礼どころか、皆にはいろいろと迷惑をかけたわ。それに、これまでの旅は、今までで一番楽しい思い出よ」
 ロザリン、いや、エステル姫は、笑って答えた。
「エステルの魔法で、ロドリグ王と戦うことができるし、何とかしてヤラベアムに使者を送ることができたら、ヤラベアムからの援軍を頼むことができるでしょう。そうすれば、この戦いを勝利に導くことは、決して不可能ではありません」
 アロンは自信に満ちた微笑を浮かべて一同に言った。
 翌日は再び旅に出ようという前の晩、ミゼルの居室にゲイツが済まなそうな顔で現れた。
「ミゼルさん、お話が」
「何ですか」
「実は、あなたには申し訳ないんだが、私はここにしばらく残りたいんですよ。例のシケル山で見つけた燃える水で何か商売をしてみたいと思いましてね。うまくいけば、大儲けができそうな気がするんです。それに、あれは、もしかしたら戦の武器に使えるかもしれませんからね。アロンさんたちの戦いに、お役に立てるかもしれません」
「そうですか。それは素晴らしい事だ。ゲイツさんも、旅の目的に一歩近づいたわけですね」
「それで、これも言いにくいことなんだが、アビエルを私の片腕に欲しいんですよ。あいつは、目端が利くし、口も上手い。商売人にはうってつけだ。本人も私の話に乗り気なんだが、そうするとミゼルさんが一人になってしまうんで困ってるんです」
「ああ、それなら、気にしないでください。私はもともと、一人で旅をするつもりでしたから大丈夫です。これまで、助けてくれて有り難う。二人で頑張ってください」
 ミゼルは、ゲイツを力づけるように明るく言った。

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少年騎士ミゼルの遍歴 23


第二十三章 脱出

 ミゼルは、ゼフィルの脇腹にくくりつけてあった弓を素早く手にとって矢をつがえ、王の胸に狙いをつけた。
「動くな! 誰でも動くと、王の命はないぞ」
 王の側近たちは凍り付いた。護衛の武官たちも動けない。
「王者の剣を持ってくるように言え」
 ミゼルは王に命令した。
 王は、宰相に向かって頷いた。
 やがて、宝物庫から届けられた剣が、アロンに渡された。アロンは、それをロザリンに見せた。ロザリンが、魔法の力でその霊力を確かめ、頷いた。
「王よ。残念だが、ロザリンは渡せない。最初に約束を破ったのはそっちだから、恨まないことだ。もし、我々の後を追おうとしたら、こういうことになる」
 ミゼルはロザリンに、目で合図した。
 ロザリンが、軽く頷いて、手を前方に伸ばした。その指先から稲妻が出て、爆発音と共に、広場の中心に巨大な穴が開く。
 見ていた者たちは声を失った。
 ロザリンが呪文を唱えると、今度は、その穴の中から奇妙な怪物たちが現れた。大きさは人間くらいのハサミムシである。その虫たちは、ぞろぞろと宮廷の人々の前に行って、ハサミを振り上げて威嚇した。女官たちは悲鳴を上げる。
「ロドリグ王、私の魔法で、あなたに死の呪いをかけることもできます。もし、あなたが私たちの後を追わないと約束するなら、魔法はかけません。追わないと約束しますか?」
 ロザリンの言葉に、王は、ためらったが、弱々しく頷いた。
ミゼルたちは、エルロイの遺体をゼフィルに乗せ、中庭から脱出した。
 ミゼルたちが王宮から離れてしばらくたつと、巨大なハサミムシたちは、急に姿を消した。宮廷の人たちがその後の地上をよく見たなら、本物の小さなハサミムシの姿が見られただろう。
 ミゼルたちは、そのままムルドを離れ、砂漠に脱出した。
 夕陽の中を行くミゼル、ロザリン、アロン、ゲイツ、アビエル五人の姿は葬送の列のようだった。
 ミゼルの心は、悲しみと後悔で一杯だった。王者の剣はやっと手に入れたが、その代償は、何と大きな物だっただろう。かけがえのない友人エルロイの死は、代償としてはあまりに大き過ぎた。
 ロザリンの悲しみは、最も大きかった。泣き濡れるロザリンの肩に手を置いて慰めるアロンの声も耳に入らない様子ではあるが、アロンがこの場にいて良かったとミゼルは思った。ミゼルはもとより口下手だし、口の上手いゲイツでも、アビエルでも、今のロザリンを慰める適切な言葉は出てこなかっただろう。アロンだけが、この場にふさわしい言葉を言うことができた。それは、おそらくロザリンの胸にも沁み入っているはずである。
 ミゼルたちは、翌朝、ある丘の蔭にエルロイの遺体を埋めた。墓泥棒に遺体の衣服や刀剣が盗まれないように、墓標は立てず、大きな石を目印に乗せるだけにした。
 アロンが聖書の祈りの言葉を暗唱して、一同はエルロイの魂が天国に迎えられることを祈った。
 エルロイの墓に心を残しながら、ミゼルたちは、アロンの故郷アサガイに戻って行った。おそらく、ミゼルたちへの恨みを晴らすため、その仲間のアロンの父マハンを王は襲うだろう。その対策を講じなければならないからである。

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少年騎士ミゼルの遍歴 22

第二十二章 死闘

 ミゼルとロザリンは、同時に戦いの場に飛び出した。
 ミゼルは、エルロイを抱き起こし、兜を脱がせた。エルロイは閉じていた目を開けて、弱々しく微笑んだ。
「ミゼル、済まない。まるで相手にならなかった。もっと一緒に旅をしたかったが、ここでお別れだ。だが、俺は満足だ。おそらく、この世でもっとも強い剣士の手に掛かって死ぬのだからな。いいか、ミゼル、俺が死んだくらいで、この旅の目的をあきらめるなよ。ロザリン、さようなら。俺なんかよりお前にふさわしい男を見つけて、幸せになってくれ」
 エルロイは、その言葉とともに目を閉じ、息を引き取った。
「エルロイ! エルロイ!」
 ミゼルとロザリンは、声を上げて泣いた。
 やがてミゼルは涙を拭って立ち上がり、離れた所に佇んでいるルシッドを見、そして国王ロドリグに向かって言った。
「国王、お願いがあります。ぜひ、私と、このルシッドを闘わせてください。今度は、王者の剣に対して、この世の最高の名馬を賭けましょう」
 ミゼルは、ゲイツに言って、ゼフィルを引いて来させた。
「それが最高の名馬だと? それほどの馬には見えぬがな」
 ロドリグ王が言うのに対して、ゼフィルに近寄ってそれを調べていたルシッドが答えた。
「いや、陛下、この者が言う通り、これは滅多にいない名馬です。だが、実際に乗ってみないと、これがこの世で最高の名馬かどうかはわかりません。どうか、この者との馬上試合をお許し下さい」
「よいだろう。地上であれ、馬上であれ、ルシッドにかなう者はおるまい」
 ルシッドも自分の馬を引いて来させた。乗り手にふさわしい堂々たる体躯の巨馬である。顔には槍よけの覆面をし、胴体は鎖帷子で覆われている。
 ミゼルは、ルシッド同様に、鎖帷子だけの軽装備で、片手に槍、片手に盾を持ってゼフィルに乗った。
 両者は、広場の端に別れて対峙した。
「始めよ!」
 ロドリグ王の声で、両者は向かい合って突進した。
 巨大な馬に乗り、長大な半月刀を振りかざして突進してくるルシッドの姿は、地上でエルロイと戦った時以上の迫力である。
 ルシッドは右利きである。従って、自分の馬の右側の敵に対しては戦いやすいが、左側にいる敵には、馬の頭が邪魔になって、動きがかなり制限される。そう判断したミゼルは、両者が激突する寸前、ゼフィルを相手の左手側に跳躍させた。
 ルシッドの半月刀がミゼルを襲うが、僅かに届かず、ミゼルの槍はルシッドの脇腹に刺さった。だが、飛び去りながらの刺突であったため、致命傷にはならなかった。
 その後は、ルシッドの猛烈な攻撃の前に、ミゼルは防戦一方であった。見ている者たちは、いつミゼルが殺されるかと思うばかりである。しかし、ゼフィルと一心同体のミゼルは、ルシッドの攻撃をすべて紙一重でかわし続けていた。
 嵐のような攻撃を続けている間に、ルシッドの脇腹から流れていく血は、ルシッドの体力を急速に奪っていた。激しい動きがそれを倍加させる。これまで、ルシッドの攻撃を十合以上耐えた相手はいなかったのである。だが、この、天馬のような馬に乗った少年は、自分の攻撃をことごとくかわし、自分の刀は空しく空を斬るばかりである。その攻撃自体が、彼を一刻一刻死に近づけて行った。
 やがて、ルシッドの目は霞んできた。
 暗くなった中に、突然、体全体が雷に打たれたような衝撃があり、ルシッドはそのまま死の闇の中に沈んでいった。
 ミゼルの槍が、ルシッドの心臓に、深々と刺さったのである。ルシッドは馬から落ちて、地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
 今度は、アドラム宮廷の人々が悲鳴を上げる番だった。
 茫然自失の状態から我に返った国王ロドリグは、「誰か、この者らを捕らえよ!」と叫んだ。

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少年騎士ミゼルの遍歴 21

第二十一章 猛将ルシッド

 一同は宮廷の中庭に出た。強い日差しに輝く、白砂の敷き詰められた馬場である。
 エルロイは、アビエルに手伝わせて鎧を着た。ミゼルたちは馬場の隅に控えて並ぶ。もう一方の隅に、国王ロドリグと側近達が居並ぶ。他の宮廷人たちも、この戦いの噂を聞いて、見物にやってきている。その中に、ロドリグの后か側室らしい、侍女に傅かれた女がいるのにミゼルは気が付いた。ヴェールで顔は隠しているものの、並々ならぬ美女であることが感じ取れる。これがソリティアだ、とミゼルは直感した。エルロイにも、それが分かったようだ。ミゼルは、エルロイが戦う理由の一つは、ソリティアに自分の戦いを見せるためではなかったか、と思った。そういう形でしか、ソリティアへの思いを表せないと思ったのだろう。
 やがて広場の一方からエルロイの相手となる男が現れた。長身のエルロイより、さらに頭一つ高く、肩幅も広く、胸も厚い。日焼けした顔は眼光が鋭く、鷲鼻で、顔の下半分は漆黒の髭に覆われている。鎧は着ずに、手に持った盾と鎖帷子と胸当てだけの軽装備である。見るからに並みの騎士ではない。手には、普通より大きな半月刀を軽々と持っている。これが、ヤラベアムにまで知られた勇将ルシッドか、とミゼルは思った。
 ルシッドは、手にした半月刀を二、三度軽く振った。そのうなりが、離れたミゼルたちの所まで響いてきて、衝撃を与える。ゲイツとアビエルは青くなって顔を見合わせた。ロザリンは胸の前で、手を合わせている。ミゼルとアロンも顔を曇らせた。
 エルロイは、ルシッドに向かって歩み寄った。その顔は、やや青ざめているが、冷静だ。彼は、国王の側の、ソリティアと思われる女性に向かって、軽く一礼し、十歩ほど離れた戦いの相手に向かい合った。ルシッドは無表情ながら、獅子のような闘志をみなぎらせている。
 国王ロドリグが片手を上げ、「始めよ」と言った。
 ルシッドが、猛然と走り寄った。重い鎧を着たエルロイは、ルシッドほど敏捷に動けない。その巨体から考えられない速い動きで跳躍し、ルシッドはエルロイにその半月刀を打ち下ろした。エルロイは、手にした盾で、それを防ぐ。しかし、ルシッドの刀の破壊力は、盾で防ぐことはできなかった。エルロイは盾ごと後ろに跳ね飛ばされた。ここで倒れたら、最後である。簡単に止めを刺されるだろう。必死にエルロイは踏みとどまって、倒れるのを防いだ。
 エルロイは、剣を横に払った。剣はルシッドの胴を襲ったが、簡単に盾に防がれる。
 エルロイの反撃らしい反撃はこれだけだった。後はルシッドの嵐のような攻撃に、エルロイはただ耐えているしかなかった。彼が板金鎧で完全武装していなければ、戦いはほんの数秒で終わっていただろう。ルシッドの剛剣は、エルロイの美しい鎧を惨めな姿にしていた。そして、鎧の中のエルロイは、その打撃ですでに意識を失いかけていた。彼が時折返す反撃は、簡単にかわされ、ルシッドの攻撃は鎧を通してすらエルロイの体を痛めつけていたのである。彼がこれまで相手をしてきたヤラベアムの騎士とは、まったく次元の異なる相手であった。
 ロザリンは、ルシッドに念力を送って、その意識を攪乱しようとした。卑怯だが、エルロイの命には替えられない。しかし、百戦錬磨のルシッドの強靱な精神には、ロザリンの魔法は通じなかった。
 ルシッドは、もはや相手が戦闘能力を失っているのを見て取り、その激しい攻撃をやめた。見ている者たちには、彼がなぜ動きを止めたのか分からない。しかし、一方のエルロイは立ったまま動かない。すでに意識をほとんど失っていたのである。
 ルシッドは、その半月刀を大上段に振りかぶった。エルロイは、まるで断首を待つ罪人のように、その前で動かずにいる。
 ロザリンが悲鳴を上げた。
 ルシッドが刀を振り下ろした。すでにあちこちに亀裂の入っていた鎧の肩口に入ったその刀は、胸の半ばまで食い込んだ。エルロイは、地面に崩れた。その倒れた彼の鎧の隙間から、赤い血が流れ出て、白い砂を染めていく。

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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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