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経験知と学問知

「velvet morning」から転載。
「手足口病」というわけのわからない名前をつけられているこの病気については私はまったく無知だが、V.Mさんの言うように毒虫による被害と考える方が自然な気がする。
現代人は「名前(病名)さえつけば問題は解決」と思いがちだが、専門家というものは自分の固定観念から物事を判断しがちであり、後になってそれが間違っていても、「それがその時の常識だった」として、責任は取らないものだ。自分の健康については、まず自分で調べ、自分の頭で考えるのが当然の順序であり、医者の判断は「参考意見」とするべきだと私は思う。医者は神様ではないし、無謬どころか、自分が処方している薬についてすら本当に理解しているとは限らない、と私は思っている。(医薬品セールスマンのセールストークを信じているだけではないか?)
ただし、毎度言うが、医者は大事な存在でもある。我々の健康を守るうえで、医者は絶対的に必要だ。だが、医者の判断力というのは、素人が思うよりも不確かなものだろう、と私は考えている。下記記事のような「自分の経験に基づく言葉」には重みがある。
「本で勉強した知識」で「自分で経験もしていないことについてご託宣する」のが医者なのだから、そういう存在をあまり深く信じすぎてはいけない、ということだ。その最たるものが癌治療とワクチン接種であるが、この二者については最近は警戒感を持つ人も増えつつある気がする。それはいいことだ。
だいたいが日本人はお人好しで、他人を信じ易すぎるから、政治的にも経済的にもいつも騙されるのである。



(以下引用)





『手足口病』が爆発的な流行とのことですが、『チャドクガ』(椿の毛虫)にかぶれたのでは?? ― 2013/08/10 14:51




最近、『手足口病』が爆発的な流行というニュースが上がっている。


このニュースに対して、「これは、放射能の影響なのではないか?」という疑念が、多く寄せられているのだが、ちょっと待ってほしい。


もちろん、可能性としては、あると思うのだが


手足口病の症状を見てほしい。

http://www.tanpopokodomo-clinic.com/cgi-bin/case/siteup.cgi?category=3&page=5


では、『チャドクガ 症状』で画像検索してみてください。




どうですか?


そっくりでしょう。


口が炎症しているというのは、ともかく(それは、口内炎でしょう)、皮膚のかぶれに関しては、ほとんどが、筆者には、『チャドクガ』にかぶれた症状のように見えます。



筆者は、実家が造園業なので、小さい頃から、様々な庭の手入れを手伝ってきました。

その中で、一番問題だったのが、この『チャドクガ』通称(椿の毛虫)による『かぶれ』です。


筆者は、通算、20回ほど、この『チャドクガ』による炎症を経験していますので、大変詳しいです。

1、とてつもなくかゆい。しかも1週間ほど症状が続く。

2、刺された箇所だけでなく、全身に症状が出る。

3、いつかぶれたのか?理解出来ないことがある。
直接毛虫に触れなくても、脱皮した毛が飛んだものに触れただけでもかぶれることがある。


ということです。

これ、知らなかったとしたら、何かとてつもない病気に罹ったのかも?と心配になるかもしれません。
それほどの症状になる人が居るということです。(個人差があります)



この毛虫は、とてつもなく強敵なのです。


是非、皆さん、知っておいてほしいと思います。



恐らく、現在、『手足口病』と言われている症状の、かなりの部分、とくに、4月〜10月に起きるもののほとんどは、このチャドクガによる炎症(椿の毛虫による かぶれ)と思われます。


対策としては、まず、毛虫の原因となる木(ツバキ、サザンカ、お茶)を植えないということ。


その木の下を通らないということ。


もし、庭などにある場合は、毛虫が誕生した直後(4・5月および8・9月)には、葉っぱの裏に大量に固まっていますので、その段階で、切り落としてビニール袋に入れて駆除します。

毛が飛ばないように注意してください。


この作業を行う際には、必ず、長袖長ズボン、ゴム手袋を使用してください。

特に、これからお盆過ぎには、チャドクガの幼虫が誕生する季節ですので、厳重な注意が必要です。


当ブログは、『陰謀論』のブログではありません。防げる被害は、確実に防ぎましょう。


これで、誤診されて、変な薬飲まされて、二次被害にあったりしたら、目も当てられませんから。。


以下、wikipediaも参考に


毒針毛とかぶれ

俗に「ケムシに刺された」というがケムシはカやハチのように自分から積極的に人を刺すものではない。チャドクガは生涯を通じて毒針毛をもち、触れるとかぶれを生じる。一度その被害にあった人はそれが抗原になって2回目以降、個人差はあるがアレルギー反応を起こすことがある。毒蛾の毛虫1匹にある毒針毛は50万本から600万本といわれている。ガやその幼虫であるケムシはチョウに比べて著しくイメージが悪いが、理由のひとつがこれである。しかし毒針毛を持つ種類は全体のごく一部である[1]。

毒針毛は非常に細かく、長袖でも夏服などは繊維のすきまから入り込む。直接触れなくても木の下を通ったり、風下にいるだけで被害にあうことがある。またハチの毒などと違って幼虫自身の生死に関わらず発症するので、幼虫の脱皮殻や、殺虫剤散布後の死骸にも注意が必要である。被害にあったときに着ていた衣服は毒針毛が付着しているので、取扱いに注意する。成虫も毒があり、卵塊は成虫の体毛に覆われているので、幼虫の時期のみでなく年間通じて注意が必要である。

wikipedia


by velvet morning [薬害] [コメント(0)|トラックバック




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コカコーラの正しい使用法

徽宗皇帝のブログでも転載した、「世界の裏側ニュース」から、なかなか楽しい記事を一つ紹介する。
まあ、コカコーラだけではなくペプシコーラでも話は同じだろうし、私は最近コーラ飲料を時々飲む(つまり、暑いときにコーラを飲むのは気分がいいという事実はある)ので、この記事は「コーラの飲み過ぎは危険だよ」くらいに受け止めればいいと思う。
体に害が無いものだけを取り入れて生きるというのは不可能な話だし、健康のためなら死んでもいい、というほどの健康マニア以外は、食べ物や飲み物は「すべてほどほどに」でいいのではないだろうか。もっとも、食品に含有される放射能による内部被曝に関しては、まだ検証が十分ではないはずだから、あまり安心はできないのだが。
あまり気にするな、と書いてはみたが、鉄分やカルシウムが体から失われると様々な障害が起こるのは確かなことだろうから、まあ、コーラを飲むのは喫煙くらいの害はある、と思えばいいだろう。「健康のため吸い過ぎに注意しましょう」と同様に、「健康のため飲み過ぎに注意しましょう」とコーラ飲料には表示すべきではないか。


純粋な酸素の中では、実は生物は生きられないという。何事もほどほどが一番、ということだ。



(以下引用)



コカコーラの正しい使い方



2013年05月16日(木) 05時52分13秒
テーマ:健康とビジネス

コカコーラの正しい使い方

http://www.virtualpetlist.com/showthread.php/16004-Water-or-Coke

1. アメリカの多くの州において、高速道路パトロール隊は2ガロン (約7リットル) のコーラをトラックに配備している。これは高速道路での交通事故の後処理として、血痕を除去するために使われている。


2. コーラの入ったボールの中に食用肉の骨を入れると、2日間で溶けてなくなる。


3. トイレ掃除に
便器にコカ・コーラを一缶入れて、一時間放置し、その後トイレの水を流す。コーラに含まれるクエン酸が陶器製の便器のシミを除去してくれる。


4. 車のバンパーの点状さび跡を取り除く
アルミホイルをくしゃくしゃにまるめ、それをコカ・コーラに浸し、それでバンパーを擦る。


5. 車のバッテリー端子の腐食部分をきれいにする
・ターミナル部分をカバーするようにコカ・コーラを注ぐと、泡が出て腐食部分がきれいになる。


6. 錆びたボルトを緩める
コカ・コーラに浸した布を錆びたボルトに数分間、つけておく。


7. 服に着いた油のシミを抜く
油の汚れのついた服の山にコーラを一缶ふりかけて、合成洗剤を加えていつも通りに洗濯する。コカ・コーラが油のシミを浮かせてくれる。
また、車のフロントガラスから見える道路状の景色が蜃気楼状に見えるのを防ぐ。



大事なポイント

1. コカ・コーラの中の有効成分はリン酸である。リン酸のpHは2.8で、この中に鉄の釘を入れておくと約4日間で溶ける見えなくなる。また、リン酸は骨からカルシウムを浸出させるため、骨粗しょう症発症率の上昇の主な原因となっている。


2. 濃縮コカ・コーラ原液を運ぶトラックには、高度の腐食性物質を運ぶ車につけられる「有害物質 (Hazardous material)」のプレートを付けなければならない。


3. コークの販売業者は、自社トラックのエンジンをきれいにするためにコーラを約20年間使い続けている。

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「コーラもペプシも飲めなくなる話」(2012年07月06日)より


インドの農家は農薬の代わりに使っています。




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高血圧と食塩

「異端医師の独り言」というブログから記事の一部を備忘的に転載。
記事全体は、食塩は高血圧と(基本的に)無関係だ、という内容だが、もちろん、広い意味では、食塩摂取量は血圧と関係するだろう。しかし、血圧のメカニズムは単純に食塩摂取量だけに還元できるものではない、とされるようだ。そして食塩悪玉説の論拠(実験データの正当性など)は驚くほど薄弱なようなのである。
下記記事にあるヤモマモ族は食塩摂取量が少なく、高血圧は殆ど無い種族だが、実は彼らの生活は食塩摂取が少ないだけではなく、「摂取カロリーも少なく;果物、野菜、そして乳製品の摂取量が多く;より痩せていて、活動的で;アルコール摂取量は少なく;そして工業化されていない。」というものだ。こうした生活が高血圧になりにくい生活であることは、おそらく誰でも予想できるだろう。つまり、高血圧になりたくなければ、あるいは高血圧体質を改善したければ、「摂取カロリーを減らし、体重を落とし、活動し、アルコール摂取量を減らす」のがいい、ということである。
それは最後の「アルコール」を除いては、私の現在の生活である。(アルコールにしても、若いころに比べれば、まるで飲んでいない、という程度の摂取量なのだが。)とは言え、高齢になるにしたがって血圧は上がるのが普通のようだから、上に書いたような健康的生活をしていても高血圧になる可能性はある。私の場合は既に高血圧だと判定されているのだが、なるべく降圧剤を飲まないで、医者にもかからずに自分で血圧操作をしようと努力しているわけだ。それは、高血圧治療が医者の安易な金儲け手段になっているということへの反抗である。大きく言えば、我が身を使っての人体実験をして、「降圧剤からの脱出」を試みているわけだが、今のところ完全脱出はなかなか難しい、という感じだ。
かつての体重72キロを、現在62キロまで減らしたが(身長は176ほどある)この体重だと上半身などまるで骸骨である。それでいて血圧は「高め安定」なので、今後、どうしたものか思案中だ。まあ、前に書いたように上が160、下が95までは「高血圧ではない」という方針でいけば問題はないのだが、血圧が高い時に頭痛などすると、脳卒中などの不安が頭をよぎったりする。まあ、脳卒中で即死すればむしろ望ましい死だが、半身不随で、寝た切り、要介護となるのは、御免蒙りたいので、仕方なしに数週間に一度くらいは降圧剤を飲んだりしている。なかなか毅然として「常識への反抗」をするのは難しい。(笑)


(以下引用)


初期の論争では、食塩の有害性を示す殆どの証拠は「生態調査」として知られる疫学調査によりもたらされた。それは先住民族、例えばブラジルのヤモマモ族の食塩摂取量と血圧を調査し、工業圏のそれと比べる。先住民の食塩摂取量は 1g以下で、高血圧や心臓病は殆どない。一方、工業圏、例えば北部日本の住民は一日に 20~30g、世界で最も多量の食塩を摂り、脳卒中の発症率は世界一である。このような発見は移住調査で補強された、すなわち、工業圏に移住した先住民族を追跡すると、食塩摂取量が多くなり高血圧症が増えた。
 これらの発見から直感的ダーウィ型進化論が提唱された:人類は食塩が少ない環境下で進化してきたので食塩を保持できる固体が生き延び、この形質は食塩が豊富な現在まで受け継がれた。この論法に立つと、最適な食塩摂取量は数g、原始社会のそれで、工業圏の住民は食塩を過剰に摂取するため心臓病と卒中が多いことになる。
 このデータと仮説の積み重ねの落穴は、データ全体の半分しか含めていないことである。他の半分、特に集団内調査(intrapopulation studies)と呼ばれる調査は食塩-高血圧説を支持しない。集団内調査では、ある集団、例えばシカゴに住む男性の食塩摂取量と血圧を比較した、そして食塩摂取量と血圧は全く相関がなかった。1980年、国立統計センターが 20,000人を対象とした集団内調査でも関連を認めなかった。
 しかしながら、いずれの調査法をもっても決定的な答えを得られなかった。生態調査は、科学的な研究法とは言えず、現在はあまり用いられない。この調査法の致命的欠点は、結果に影響を与える変数の数が集団により異なるのに、結果を一つの変数で説明することである。例えば、食塩摂取量の少ない集団は、摂取カロリーも少なく;果物、野菜、そして乳製品の摂取量が多く;より痩せていて、活動的で;アルコール摂取量は少なく;そして工業化されていない。これら一つ、あるいは幾つかの組み合わせが血圧を低下させる。先住民族は感染症や外傷で若くして死ぬ傾向があるが、工業圏の住民は心臓病にかかるほど長生きすると Epsteinは言及する。





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血圧のメカニズム、または薬に頼らない高血圧治療

血圧のメカニズム、または薬に頼らない高血圧治療


私は長い間高血圧の治療をしていて、つまり降圧剤のお世話になっていて、それを先月くらいから服用しなくなったということを以前に書いたが、現在でもそれは続いている。つまり、まったく薬は飲んでいない。それで、現在の血圧はだいたい下は80から100、上は130から150といったところである。日によって上下するが、平均だと下は90、上は140で、通常なら薬を飲むべき数値だろう。しかし、それは現在の基準による判定であって、昔の高血圧の基準は、下は95、上は160以上であったということは前に書いた通りだ。その基準からは、私は高血圧ではない。ただし、私の現在の血圧は、ウェイトコントロールで体重を7~8キロ落としてのものだから、他人にはそのままの適用はできない。また、体重(肥満)と血圧がそのまま結び付くという話でもない。結びつくことが多いだろう、ということだ。
さて、本題である血圧のメカニズムだが、これが案外と分かりにくい。というより、私にはネットで探すことはできなかった。なぜ血圧が上がったり下がったりするのか、という根本のメカニズムを他の人は知りたくないのだろうか。それともこれは医学における「密教」で、世間からは隠されているのだろうか。それを知られると、高血圧治療は素人が自宅でできるから、医者は商売上がったりになるのだろうか。
仕方がないので、私は素人考えをここに書くことにする。単なる覚え書きだが、中には他人の参考になる部分もあるかもしれないので、書いたらブログに載せる予定だ。

血圧とは、要するに心臓が体全体に血液を送る際の圧力、つまり「送圧力」である。この圧力が強すぎると血管に負担がかかり、場合によっては血管が破れる。とくに脳血管が破れることが多く、これが脳卒中、脳溢血である。だから高血圧は良くない、とされているわけだ。
しかし、では低血圧がいいかというと、そんなことはまったくなく、脳に血液が十分に回らず、めまいや意識低下などが起こる。これが脳貧血である。要するに、血圧は高すぎても低すぎても良くないのだが、それを自分でコントロールすることは難しいと思われており、だから高血圧治療が医者の金稼ぎの好材料にもなっているわけだ。低血圧の人間は数が少ないのであまり商売対象としては旨味がないから今は社会的に放置されている、というのが真実だろう。もちろん、本当に治療の必要な高血圧患者も無数にいる、ということは付け加えておこう。問題は、高血圧患者のうち、かなりの割合は治療の必要が無いのかもしれない、あるいは自分で十分に治療できるのかもしれない、ということだ。

さて、本論である。
血圧のメカニズムはどういうものか。再度言うが、これは私の直観的推定による考えであり、医学的には噴飯物である可能性は高いのだが、馬鹿な考えでも何かのヒントになるかもしれないから書くのである。私には医学的知識はまったく無いのだ。

血圧を決めるのは体全体の「血液量」と血液中の「塩分」である、というのが私の考えだ。そして、この二つは自分でコントロールできる、つまり血圧はある程度自己コントロールできる、というのが私の考えである。
塩分を控えるのは医者も全員言うことであり、何を今さら、と思われるかもしれない。しかし、私は「塩分を控えろ」と言っているのではない。「必要な場合は塩分を摂れ」、つまり「自分で塩分コントロールをしろ」と言っているのだ。もちろん、塩分を控えることが多いのは当然だが、なぜ当然なのか。それは、血液中の塩分濃度が高いと、「ナトリウムポンプ」によって水分が要求され、血液量が増えるからである。(と私は考えている、ということだ。いちいち断らないが、私の言葉にはまったく裏付けはないし、言葉そのものの使い方も間違っているかもしれない。)
念のために「血圧とナトリウムポンプ」でネット検索してみる。

簡単すぎる説明だが、次のようなものがあった。

「ナトリウムポンプは、Na+を再吸収し、血液量を増大させ、血圧を上昇させている。 ナトリウムポンプは尿細管にあり、ろ過された塩分(ナトリウムイオン、 Na+)を再吸収し ます。血液に入るため、血液量が増え、血圧が上昇します。」

べつにここで本格的な説明をする必要もないだろうし、その知識も能力もないのだが、要するに浸透圧の関係で、ナトリウム濃度が高い血液は水分を要求するため、血液量が増え、それは心臓に「送圧力を高めろ」という指令になる。それが一時的高血圧となるわけだ。その状態がいつもそうであると、慢性的な高血圧になる。それが病気としての高血圧である。
つまり、まずは高血圧そのものは日常的に頻繁に起こっている現象だ、ということを理解する必要がある。いわゆる「白衣高血圧」とかいう奴もそれだ。医者の前だと緊張から血圧が上がったりする。高血圧とは「戦闘態勢」でもあるわけだ。おそらくアドレナリンも関係するのではないか。

さて、血液中の塩分濃度が血圧と関係がある、ということは分かったことにする。そして、血液中の塩分濃度が高いと一時的にでも高血圧になるし、それが長く続くのはマズイ、ということも分かったことにしよう。ただし、普通の食生活の中で摂取する程度の塩分はたいして問題ではない、と私は思っている。特に根拠は無い。直感である。

次は、血液量の問題だ。
少し前に引用した文章にも「血液量が増え、血圧が上昇します」とあった。
なぜ血液量が増えると血圧が上昇するか。当たり前の話で、多くの血液を送るには心臓というポンプをフル活動させねばならないからだ。高い送圧力をかけないと、体の末端まで血液を送れないからである。それだけ血管にも心臓にも負担がかかることになる。だから高血圧にはリスクがある、という話なのである。
私は高血圧だという診断をされた時に、「心臓肥大」という判定も受けた。心臓が肥大するのがなぜ悪いのか、その時はまったく理解できなかったのだが、要するに、心臓に過重労働をさせていることが「心臓肥大」という結果になった、ということである。肥大していることが悪いのではなく、その原因である心臓の過重労働が問題だったわけだ。

さて、塩分コントロールの必要性は分かったとしよう。では、「血液量」はコントロールできるのか。私は、できる、と思う。
簡単な話である。要するに、飲む水分の量と排出する水分の量で血液量はほとんど決まる、というのが私の考えだ。
まず飲む水分の量だが、これは冬場と夏場では当然異なる。しかし、概して現代人は、排出する水分に比して、飲む水分が多すぎる。それが高血圧の原因の一つではないか、というのが私の仮説である。私の観察した限りでは、現代人の多くは、喉が渇いてもいないのにやたらとコーヒー、コーラ、ジュースの類を飲む。甘い飲料を飲んだ後に、口を洗うために水をも飲む。スナック菓子や甘い菓子を食うと、必ず何か一緒に飲む。
そして、現代生活ではほとんど汗をかかないから、飲んだ水分はそのまま大半は血液と尿になるわけだ。これでは、腎臓は過重労働になるだろう。糖分も十分に処理できない場合は血糖値が恒常的に上がり、やがては糖尿病である。つまり、現代生活はほとんど必然的に高血圧か糖尿病、あるいはその双方になるようにできている、ということだ。
冷たい飲み物は、喉越しの快感というものもあり、必要以上に大量に飲む傾向がある。そして、クーラーの利いた室内で生活の大半を過ごすのだから、汗をかかない。つまり、体内の塩分が汗とともに排出されるということがない。摂取水分が過剰なのである。そのために血液量が必要以上に増えることになる。
これが現代人に高血圧の多い理由だと私は考えている。つまり、現代生活そのものに高血圧の原因がある、ということだ。
以上の私の考えが正しいなら、高血圧にならない工夫、あるいは軽度の高血圧なら自分で治す工夫というのもそこから導き出せる。

一言で言えば、食べるもの、飲むものを自己コントロールすることである。それに加えて、汗をかく生活をするのが望ましい。そうした生活は自然と体重減につながり、体重減はまた血圧コントロールにも好影響を与えると私は思っている。つまり、好循環になるわけだ。

どういう食生活をするか、というのはもはや蛇足だろう。巷に溢れる、「これを食べれば高血圧が治る」という類の本は無意味である。私の言うのはむしろ「飲まない工夫」「食べない工夫」をしろ、ということだ。美味いから食う、美味いから飲む、というのは当たり前の話だが、それは人を不健康へ導く悪魔でもあるのだ。「必要だから食う」「必要だから飲む」に今から考えを変えるべきである。そうすれば、夏場でも冷たい水を避け、熱いお茶かぬるいお茶、あるいはぬるい水の方を選ぶべきだと分かるはずだ。冷たい水なら、夏場は一度に1リットルも2リットルも飲んでしまうものだ。熱いお茶なら1杯飲めば十分、となる。そして、体が要求している水分はそれだけなのだ。
もちろん、激しい運動や労働をした場合は水分も大量に補給する必要はあるだろう。しかし、その場合も「ぬるい水」か「ぬるいお茶」にしないと、やはり過剰に摂取することになる。それだけ夏場の「冷たい飲み物」の喉越しの快感の誘惑は強い。
また、激しい運動や労働をする場合は、むしろ塩分を摂るべきである。そうしないと一時的な低血圧になる。これが熱中症の正体だろう。

以上で私の「高血圧の自己治療」あるいは「高血圧予防の生活習慣」の話は終わりだ。
こういうことを書いたら自分の血圧が上がってまた薬のお世話になり始めた、という皮肉な結果になりがちだが、まあ、もう少し薬の世話にならないで「自分の体を使った人体実験」を続けることにする。少なくとも、上に書いたことは「高血圧予防の生活習慣」にはなると思う。そして、「水分の制限」は、あまり他の誰も言っていないことだと思うから、こうして書く価値はあるのではないだろうか。






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正常な血圧とは?

理学療法士のshowさんのブログから転載。
まさに、我が意を得たり、である。
もちろん、あまりに血圧が高い状態が続く事は危険だろう。しかし、どこからが高血圧か、どの程度から薬物治療をするべきか、という点に関しては、医者自身が、国やWHOなどが勝手に決めた基準に盲目的に従っているにすぎないのではないか。そして、降圧剤に頼る限りは、「生きているかぎり飲み続ける」ことになる。医者にはいい商売だろうが、(何しろ、診察など不要なくらいで、自宅で本人に血圧の記録を取らせておけばいいだけだ)患者にとっては出費も馬鹿にならない。私の場合は、一回の診察で5000円近い出費である。診察時間は数分だ。医者にとっては、まさに、高血圧さまさまだろう。
というわけで、私は最近は医者に行っていない。どうしようもないレベルまで血圧が上がってくれば仕方がないが、上が160、下が95程度ならば「自分は正常だ」と信じることに決めた。なぜなら、「昔は」それが正常だったからだ。


(以下引用)


増えていく病人 テーマ:医療



 最近の風潮として、高血圧、高脂血症、糖尿病はしっかりと治療を受けなければなりません、的な空気があります。




 問題は、この風潮が、多くの人が健康を気にするようになったから、ではなく、国による意図的なもののような気がしてなりません。







 お年寄りが集まると、健康関係の話題が良く聞かれます。




 そして、1回は必ず聞く台詞が「最近血圧が高くてねぇ」です。




 さて、みなさん。この方は本当に高血圧なのでしょうか?




 血圧には基準値というものがあり、それに従って、正常とか高血圧だとか判断されます。




 現在の若者~中年の正常値は130/85mmHgです。




 しかし、これは2004年4月からであって、それまでは140/90mmHgまでが正常範囲でした。




 しかも、さらにその前は160/95mmHgまでが正常範囲でした。




 つまり徐々に正常範囲が引き下げられているのです。




従って、もしその人の血圧が140/mmHgだとすると、今の基準では高血圧ですが、前の基準ではぎりぎり正常範囲になり、更にその前の基準で考えれば余裕で正常範囲になります。




 逆に言えば、自分の血圧の値は変わっていないのに、知らないうちに高血圧にされているかもしれないのです。




 これは、血糖についても同じ事が言えます。




 現在、空腹時血糖値が126mg/dl以上が糖尿病とされています。




 しかし、これは1999年5月以降のことです。




 それ以前は140mg/dlまでは正常範囲でした。




 昨日まで健康になったのに、一夜明けたら突然糖尿病患者になってしまうのです。




 このように、基準値が変わったことにより、一夜にして病人にされてしまった人は決して少なくありません。




 

 こうした基準値の変更についての国やWHOの言い分は、早い話が、「その状態を放置しておいて重症化し、合併症を併発してしまうと大変だから。早い段階で問題意識を持ち、治療をしっかり受けてください」というところでしょう。




 一見、正論ではあります。言葉だけ聞いていれば、だれも反論できません。




 しかし、この変更になった基準値の根拠というのが良く分かりません。




 誰がどの様な根拠、データに基づいているのか、その信憑性は?




 そういったものがはっきりしていない今、色々と竅った考えをしてしまうのは僕だけでしょうか?




 

 




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高血圧は自分で治せる?

肥満と高血圧は日本人の中高年の二大悩みだろうが、果たして痩せていることや低血圧はいいことなのだろうか。で、この二つはほぼ並行しており、肥満の人は高血圧であることが多く、痩せている人は低血圧であることが多いと私は理解している。実際、私はかつてはやや肥満気味であり、体重が80キロ近くあった。身長は176くらいあったから、その体重でもそれほど不都合は無かったのだが、中年になると覿面に高血圧になった。これはやはり肥満から来たものだろう、と思って体重を落とし、72キロをコンスタントな体重として維持したが、それでも相変わらず高血圧の薬の世話になっていた。医者の知人の話では、高血圧の薬は、飲み始めたら一生飲むしかない、ということなので、仕方なしに飲み続けていたのである。ところが、数か月前から肉体労働の仕事に就き、2か月余りで体重が7キロ減ったのだが、それと同時に、血圧の状態に変化が出たのである。上が140、下が90を切ることが多くなり、ためしに薬を飲まない日を作っても、それほど血圧が上がらない。もっとも、数日すると上が150近く、下が90以上になるので、また飲む。それの繰り返しで、要するに、毎日飲むはずの薬を4、5日おきくらいで飲んでいるわけだ。こんなふうに血圧がサイン曲線のように定期的に上下するのも、良くないのかもしれないが、血圧が上がってもいないのに血圧を下げる薬を飲むのも変な話だと思ったのである。
要するに、体重をある程度落とせば、薬に頼らなくても高血圧は改善される可能性があるのではないか、と私は考えているわけだ。ただ、その「ある程度」、がなかなか難しい。私は肉体労働に就いているので、体重を減らすのは簡単だった。ヒントを一つ言えば、晩酌の習慣のある人間は、夕飯(炭水化物など)は食うな、ということだ。どうせ酒のつまみなどを食うはずだから、その上に晩飯まで食えば、食い過ぎに決まっている。その、わずかな我慢でゆるやかにでも体重は減らせる。もちろん、運動などをしてカロリーを消費するのはいいことだ。ただし、運動は運動障害の危険と常に隣り合わせだと私は考えている。
さて、ここで最初の話に戻る。果たして、痩せていることや低血圧は、肥満や高血圧より素晴らしいのだろうか。
私にはそうは思えない。痩せているとスタミナや回復力に問題があるし、低血圧ははっきりとめまいや立ちくらみ(まあ、似たようなものだが)などが起きる。と言うのは、これは私自身が今日経験したのである。今朝、血圧が高めだったので、(上が167、下が97だ)数日ぶりに降圧剤を飲んで仕事に行ったら、仕事の最中に、ひどいめまいに襲われたのである。家に帰って血圧を測ってみたら、案の定、低血圧であった。(上が101、下が62である。念のために1時間後にもう一度測っても、上が100、下が61であった。)
要するに、薬を飲む回数を減らした結果、体が薬に頼らなくなってきたために、逆に薬が効き過ぎるようになったのだろう、と私は考えている。
私自身の体を使った人体実験はまだしばらく続けるつもりだが、果たして高血圧の薬は「一生飲み続けるしかない」ものなのかどうか、後数か月もすれば報告できるだろう。

余談だが、低血圧で体(頭)がふらふらしていたので、何か塩気の強い食事をしようと考え、家に帰った後、自分で蕎麦をゆでて今年初めてのざる蕎麦を食った。ざる蕎麦のつけ汁の成分はほとんど醤油であり、塩気は十分だ。で、予測どおり、半時間もすると血圧は正常に戻っていた。低血圧には、水分と塩分を多量に摂るのがいいようだ。(まあ、それが効き始めるのに時間が本当はどれくらい必要か、私には分からないのだが)

最大の問題は、今朝の血圧、(160~100前後)のような場合に、薬を飲むべきか、飲まざるべきか、まだ私の心が決まっていないことである。

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「老醜」という言葉は死語になったのか?

「さとう内科循環器科医院」というお医者さんのHPから転載。
私はよく医療業界の悪口を書いているが、それはほとんど癌治療と延命治療に関してである。どちらも、無意味な治療であり、医者の金儲け、薬品業界の金儲けのためにだけ存在しているようなものだ。
患者の方にも騙された責任というものはある。そもそも、50年も60年もこの世に生きてきた人間が難病になったからと言って、なぜじたばた騒ぐのか。いったい、何年生きれば十分だと言うのか。
「私、千年も万年も生きたいわ」とは『不如帰』という昔のメロドラマ小説の浪子とかいうヒロインのセリフだったと思うが、千年も万年も生きた婆さん(いや、もはや得体の知れない怪物だろう。スイフトの『ガリバー旅行記』に、そうした不死人間の醜い姿が見事に描かれている。)に誰が用があるもんか。死んで惜しいのは、若者と子供、幼児だけである。彼らはまだ人生を十分に味わっていないから、彼らの未来を病気などで失わせるべきではない。だが、老人には、日常生活を快適に過ごすための医療は必要だが、延命治療など馬鹿げた行為である。癌治療も同様だ。癌とは、広い視野で見れば、「生物的役割が終わった」事の宣告だと私は考えている。もちろん、化学薬品や放射能による若年性の癌はまた別の話である。
さて、下記記事は、珍しく医者の立場から子宮頸がん(なぜ、「癌」と書かないで「がん」とひらがな書きする習慣なのだろうか?)検診と子宮頸がんワクチンの有効性を否定した小論である。文中の「実は子宮頸がん検診がXXXXだということを自ら示しているのです」の「XXXX」は、もちろん「インチキ」という文字が入る。
少し長いが、資料的な価値もあるかと思うので、省略無しで全文転載しておく。

言うまでも無いが、私はすべての老人や「老いること」を否定しているのではない。私自身、他人から見れば爺ィかもしれない。ただ、老人には老人にふさわしい身の処し方があるだろう、と言っているだけだ。特に政界や経済界には、老醜をさらし、世間に害毒を流す老人が多すぎる。そういう人間は早く死んでくれる方が世のため人のためである。
「命長ければ恥多し。長くとも四十に足らぬほどで死ぬこそめやすかるべけれ(感じがいいだろう)」と兼好法師も言っている。もっとも、その当人は四十をはるかに超えて生きていたが。(笑)



(以下引用)*グラフなどは転載できていないので、元記事参照。



子宮頸がん検診で、「がん」患者が「つくられる」

さとう内科循環器科医院 - 宮城県大崎市 (2012年8月 6日 17:57)


グラクソ・スミスクライン(サーバリックス)、MSD(ガーダシル)が、子宮頸がんワクチンのコマーシャルを流しています。
特にGSKは、某女性タレントを使い、「20代の女性に子宮頸がんが増えている」と言わせています....ウソです。
「健診」によって、「がん」患者が「作られて」しまうのです。

「作られて」いるというといかにも人聞きがわるく、「意図的」にそうしているようにとられますが、そうではありません。まず、もともと「がんはあいまいなもの」(下に紹介した福島氏の表現です。とてもいい表現と思います)であるということから始まらなければなりません。「あいまいなもの」に、不適切な方法で無理やり線を引くものだから、「沢山の過剰な診断が生まれる」、ということなのです。

一応、「がんとは何だろうか」という議論から始めなければなりません。マクロ的には「塊」が起こす機能障害と考えます。しかし、一方では「異形」に対する恐怖と不安、というような気がします。
ここに体細胞が一個あって、核の形がおかしいとしても、これを「がん」と決められるでしょうか。組織レベルでは、細胞がある機能を果たす目的に配列しているときは正常、これはいいのですが、そのように見え ないときは「がん」とはならないのです。がんは意外にマクロ的なものなのです。さらに細胞内部の仕組みでは「全くわからないもの」です。がん細胞が生きた細胞であること、体の一部として、10~20年も経過しますから、ますます定義ができなくなります。やはりがんとは、「あいまいなもの」なのです。

「がんはあいまいなもの」というとき、癌細胞と正常細胞をウイルスを使って細胞融合させると、癌細胞の性質を失うという実験を思いだします。逆ではないのです。

皮膚がん、胃がんのような固形がんの診断は、まず肉眼的に異常と思われる塊を認識して、生検といって、その一部を採取して顕微鏡で観察し、がんの診断に至ります。肉眼的に"腫瘍"を確認する作業は、数学的な表現を使えば、あいまいさ(分散)を小さくしているのです。それでも、「あいまいなもの」という "呪い"(もともと持っているの分散の大きさ)からは、根本的に逃れられません。

胃がん検診では、あくまで肉眼的に異常と思われる塊を見出すことに終始します。顕微鏡によるがんの診断(組織診断)が確実に思われますがそうではありませ ん。炎症性の腫瘍を排除し、胃がんにもいくつかの種類があり、細胞の形、並びより、過去にがんと診断された範疇に入ることを確認しているに過ぎません。が んと診断しても、それが将来大きくなるのか、浸潤したり転移したりする質の悪いものかどうかも、案外決められないのです。胃がんの診断過程に細胞診はありません。

子宮頸がん検診の場合は、触診、視診と、細胞診からなります。細胞診は無条件にすべての対象者の子宮頸部の粘膜を拭い取って細胞を採取し、染色して顕微鏡で観察し「がん疑い」をつけるものです。せっかく視診、触診をしておきながら、細胞診に主役を明け渡します。肉眼的に異常と思われる塊が無ければそこで止めるべきなのです。細胞診を行うために混乱に入っていくように見えます。

ここに奇妙な点があることに気がつかなければなりまあせん。子宮頚がんの悪性度CIN1~CIN3は細胞診の場合、核の大きさ形で決めらえます。もう一方では、下の図で示されているように深達度を表すものとされています。さて、細胞の核の形で深達度が決められるものでしょうか。また、擦過細胞診で標本を採取する場合、上を擦って取るのですから、下の図のCIN2とCIN3のような場合、うまく採取されるのでしょうか。










ヒトパピローマウイルスの感染で細胞の形、核の形が変わります。細胞診に拘りますと、これらの変化を悪性ととらえますから、診断が混乱します。数学的な表現を使えば、さらに分散を大きくする要素を取り込んでいる、ということになります。HPV感染が起こって核の形が変わってしまっていても、実際にがん化するのが2%だとすると、細胞診の段階で50倍の過剰診断が生まれることになります。


(ここでのがん化というのは細胞診、組織診断のレベルである。2%という数字は、下の論文の表の Oncogenic(発がん性) HPV: CIN3 to Cancer 0.002-0,017 を多めに2%として利用した。この論文はGSKの賛助のサーバリックス拡販が目的のものである。しかし、がん化の確率はかなり小さく、HPVががん化させるというのはおぼつかない状況に見える。Non Oncogenic HPV: CIN3 to Cancer 0.008 となっていて、発がん率がOncogenic HPV のそれと重なっているのだから、発がん性と非発がん性を分けられないはずである。HPVはがん化と関係ないとする論文もいくつかある。肺結核が結核菌でおこることには、今は誰も疑問をはさまない。しかし、HPVと子宮頸がんの関係はそうではない。)

Br J Cancer. 2007 Jan 15;96(1):143-50. Epub 2006 Dec 5. Estimating the long-term impact of a prophylactic human papillomavirus 16/18 vaccine on the burden of cervical cancer in the UK. Kohli M, Ferko N, Martin A, Franco EL, Jenkins D, Gallivan S, Sherlaw-Johnson C, Drummond M.



20歳代の女性に、40歳以降のがん年齢で生ずるような癌細胞が見つかることは少ないことを考えるならば、若い女性の子宮頸がん検診は、HPV感染による細胞の核の変化ばかりみていることになります。これが若い女性に子宮頸がんが増えているということの実態、と考えることができます。

細胞診で「がん疑い」とされた方には通知が行きます。コルポスコピーで腫瘍の有無の確認をし、細胞診を再度行うのだと思いますが、子宮頸部の円錐切除(一種の巨大な生検)を行い、顕微鏡による組織診断をします。これも、分散を小さくする過程です。しかし、組織診断も顕微鏡の細胞診に、細胞の配列という要素が加わっただけです。細胞診の混乱(分散の大きさ)はあまり小さくなりません。結局同じ混乱上にいることになります。
YouTubeに円錐切除のビデオがありましたが、私の目には全く悪性腫瘍の印象が無いのに、何故円錐切除をするのだろうと不思議に思っておりました。子宮頸部は胃と違って小さく丸いので、"治療"という意味も兼ねて一挙に切ってしまうのだろうと想像いたします。


* 要するに、顕微鏡で「がん」と診断してはいけない、必ず、肉眼で「異常と思われる塊」を認識してから、次の検査をすべきである、といことです。(研修医のころ、細胞診で悪性細胞と診断が出たために、患者さんに意味の無い手術を強いてしまった反省があります。)

細胞診はまず、臨床検査技師である臨床細胞検査士(cytotechnologist)が染色し、顕微鏡で悪性細胞かどうか決めます。基本的に核の大きさ、形で「がん疑い」の程度を決めるのです。「がん」か「正常」かではなく、「がん疑いの程度」を述べているものなのです。それは殆ど「核の形が変だ」という印象に基づいているものなのです。臨床病理部の医師が細胞診の結果を確認するところは無いと思います。医師はそういう仕事に向いていませんし、興味を持ちません。円錐切除の標本は臨床病理の医師が確認しています。簡単過ぎる言い方かもしれませんが、核の濃染度と細胞の配列で診断しているのです。それ以上の診断基準を挙げられるでしょうか。

こう言ったら言い過ぎかもしれませんが、臨床細胞検査士、臨床病理の医師が「がん」といったら「がん」なのです。ところが、ほとんどの場合、この二者は腫瘍を肉眼では見てはいないのです。一応、生検箇所が撮られたフィルム、あるいは医師のスケッチが仲介していますが。

(*に戻ってください。)

さらに悪いことに、臨床の場で、「がん」という言葉が発せられますと、医師も患者も冷静さを失い、処置、手術を急いでしまうのです。また、一度「がん」という言葉が発せられたら、それを否定するのは非常に困難なのです。

腫瘍を目で確認できる場合でも、癌の早期発見を目的に健診を行った場合、必ず過剰診断、過剰手術がおこるのです。肺癌、乳がん、胃がん、どの健診でも必ず起こります。

この辺の問題については、必ず、近藤 誠氏、岡田正彦氏、福島敬宣氏の著書をお読みください。



コバルト:罹患率

マゼンダ:死亡率

黄色:罹患率/死亡率











このグラフは、「20代の女性に子宮頸がんが増えている」と言って、ワクチン接種推進のためによく出てくるものです。GSKのパンフレットのグラフから数字を読み取り、Excelでつくりなおしたものです。

罹患率は子宮頸がん健診で「子宮がん」と診断されたものとおもいます。罹患率を死亡率で割り算したものは、子宮頸部がん検診の有効率の逆数みたいなものですが(過剰診断率?、誤診率?)、システムの一貫性をチェックするときの指標として使えると思います。
もともとこの2つの変数は密接に関連していますから、その比は一定であることが期待されます。値が小さいほど、検診が有効であることを示しています。

上の図をみれば、40歳を堺にシステムの一貫性が無いことがわかります。彼らが「20歳代の女性に子宮頸がんが増えている」という事を示すために出しているグラフは、実は子宮頸がん検診がXXXXだということを自ら示しているのです。(相武サキのコマーシャルでは、死亡率のカーブが消えています。)

XXXXな検診結果をもとに、社会に恐怖を流すことは罪が大きい。
XXXXな検診結果を示して、女性を脅し、ワクチンとは名ばかりの「毒」を注射するように誘導するのでしょうか。

さすがに、このような子宮頸がん検診の結果をもとに円錐切除をやったり、子宮を切除したりはしていないと期待しております。

日本人に子宮頸がんが増えている、20歳代に子宮頸がんが急増するといって脅し、ワクチンをさせようとします(2012年6月29日の一面広告の記事)。この言い方は非常におかしい。
まず、40歳代くらいまでは殆どがんにならないのです。40歳代以上を「がん年齢」という言い方は正しいと思います。
次に日本人女性では子宮頸がんによる死亡は減っているのです。下の図はファクトシートにあったものです。ファクトシートも見てないのでしょうか(黒の破線は私がひいたものです)。

20歳代に胃がんが急増する?、20歳代に肺癌が急増する?、20歳代に卵巣がんが急増する?
そんなことを言っている人は常識を疑われるのです。






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