1918年のスペイン風邪の伝染は予防接種が原因だった!
http://jphma.org/fukyu/overseas_090806_Spanish_grippe.html より全転載
1918年のスペイン風邪の伝染は予防接種が原因だった!
私は1918年のスペイン風邪の流行の現場を目撃した。
1918年のスペイン風邪が流行したときに生きていた医師や一般の人々は、それが歴史上、世界中で起きた最も恐ろしい病気だと口を揃えて言っている。体力のある元気旺盛な男たちが、発病して、翌日には突然死亡していた。その流行病は黒死病(ペスト)の特徴に加え、チフス、ジプテリア、肺炎、天然痘、麻痺、および、第一世界大戦直後に人々に接種されたすべてのワクチンの病気の特徴をもち合わせていたのだ。実際に、人口に占めるほとんどの人たちが、1ダース(12)以上の病気の「種を植え付けられた」予防接種を受け、または毒性の血清を体内に注射をされたのだ。そして、人々がそれらの当時の医者によって作られた病気を一斉に発症し始め、悲劇的な事態へと発展したのだ。
その流行病は、当時の医師たちが、症状を抑圧しようとしてさらに投与した有毒な薬物によって勢いが保たれ、2年間にわたって続きました。私が知り得た限りでは、予防接種を受けたことのある人しかそのスペイン風邪に罹らなかった。予防接種を拒んだ人たちは罹らなかった。私の家族はすべての予防接種を拒んだため、その流行病の間ずっと元気だった。私たちはグラハム、トレール、ティルデンらの健康についての教えから、体内を毒物で汚染することが必ずや病気につながっていくことを知っていたのだ。
そのスペイン風邪の流行がピークに達したとき、すべての店、学校、事業が閉鎖された。そして、医師たちや看護師たちもワクチンを接種うけており、そのスペイン風邪に罹っていたため、病院も閉鎖されていたのだ。街中の道路には人っ子一人いなかく、まるで廃墟の町のようだった。どうやら私の家族だけがその風邪に罹らなかった。当時医師の往診を受けることが不可能だったため、私の両親が家を一軒一軒回ってできる限り病人の世話をした。細菌、バクテリアや病原菌が病気を引き起こすことが可能だとしたら、一日何時間も病人と一緒に過ごしていた私の両親を襲う機会は山ほどあった。しかし、私の両親はスペイン風邪には罹らず、また私たち子供たちに悪影響を及ぼす細菌を家に持ち帰ることもなかった。当時は地面に雪が積もった冬でしたが、私の家族は誰一人もスペイン風邪に罹ることなく、鼻をグスグスすすることすらなかった。
近くでくしゃみしたり、咳をしたりしている人を不快に思って身をすくませている人をみると、私はその人がその病気-それがなんであろうとーに感染することはないことにいつ気づくのだろうと思ったりする。ある病気に罹る唯一の方法は、誤った食事、飲酒、喫煙、または、体内の中毒を引き起こし、活力を低下させる行為をすることでその病気を自ら発症することだからだ。すべての病気を予防することが可能であり、そのほとんどが-当時の医師に知られていない、また薬物を使用しない治療家の全員にも必ずしも知られていない―正しい方法を用いれば治癒できるのである。
1918年のスペイン風邪は世界中で2千万人の人々が死亡したとされている。しかし、実際には、彼らは、当時の医者による、未熟でひどい治療や、薬物によって亡くなったのだ。これは厳しい告発ですが、薬物を処方しない治療家と薬物を処方する当時の医師の成功率を比較すると、それが事実なのが明らかである。
当時の医師及び病院が抱えていたスペイン風邪患者の33%の死亡率と比較して、薬物を処方しない、バトルクリーク、ケログやマクファデンの治療院では、水療法、入浴、浣腸、断食やその他のシンプルな治療方法の後に献立を綿密に工夫された自然食の食事によって100%近い治癒率を達成していた。
ある治療家は8年間で1人も患者が死亡することがなかった。薬物投与をしなかった治療家のうち、患者を治癒に導き、1人も死亡させることがなかった治療家の治療法について、本書の他の章で「有罪な予防接種」というタイトルで後に出版予定である。
もし薬物を使用する当時の医師たちが薬物を使用しない当時の治療家と同じぐらい進歩していたなら、当時のスペイン風邪によって2千万人も死亡者が出なかっただろう。
予防接種を受けていない市民と比較して、予防接種を受けている兵士の方が7倍も病気に罹っていた。私が、海外から1912年に帰国したある兵士から聞いた話によると、軍の病院が小児麻痺の症例でいっぱいになっていたとのことだった。その兵士は何故成人した男性が乳児のかかる病気に罹っているのかが不思議だと言っていた。このことにより、私は、それらの麻痺がワクチンによる中毒の後遺症だということが分かったのだ。戦争に行かず、家を守っていた人たちは、1918年の世界的な予防接種のキャンペーンの後に、初めて麻痺の症状を発症していったからである
原文は、ワクチン海外総合情報サイト で見ることができます。
(転載終了)
当時の医学界は、この大量殺人とも言える流感の原因が
予防接種であったことを隠すため、「スペイン風邪」などという
訳の分からない病名を付けてごまかしていた。
「ガンは治って当たり前」(明窓出版)著書 から抜粋引用 ↓↓
2千万人の死者を出したスペイン風邪は今世紀初頭に大流行した。
この2千万という数字は、第一次世界大戦の戦死者の2倍に匹敵する。
公式にはスペイン風邪の原因は不明とされているが、
被害者と生存者には特有のパターンが見られる。
被害者は、強制的に予防接種を受けた若い人々であり、
その結果、軍事病院のベッドは戦争の負傷者ではなく、
ワクチンの被害者で埋まってしまった。
反面、賢くも予防接種を拒否した者は生き残った。
そして当時の医学界は、この大量殺人とも言える流感の原因が
予防接種であったことを隠すため、「スペイン風邪」などという
訳の分からない病名を付けてごまかしていた。
しかし大流行の原因が「予防」接種そのものであったのは
史実として認めざるを得ない。
★1979年以降の小児マヒは、全て『小児マヒワクチン』自体が
引き起こしたものである(ワシントンポスト誌)
★小児マヒの強制予防接種が行われた地域では、
小児マヒ発生率が、行われなかった地域に比較して7倍増加
「ガンは治って当たり前」(明窓出版)著書 から抜粋引用 ↓↓
1950年代の後半、小児マヒの世界的流行に伴い、何千匹ものサルが
米国に輸出され、長い針で小児マヒのウィルスがサルの腎臓に注入された。
当然ながらサルは発病し、非常に苦しみ始めた。
その苦しみが最高潮に達した時点でサルは殺され、腎臓が摘出された。
その膿が分離・培養されて、めでたく小児マヒのワクチンが完成した。
確かにワクチン中、小児マヒのウィルスは死んでいるのだが、
シュヴァイツァー博士が最も恐れていた、サル特有のウィルスが
サルの腎臓からワクチンに紛れ込んでいた。
この恐るべき新ウィルスが混入している知る者はいたが、沈黙は守られた。
かくして製造されたワクチンを画期的発明であるとして誉めそやしたが、
宣伝の騒音に隠れて、子供たちの受難が始まった。
高熱、幻聴、幻覚、恐怖感、絶望感、体力減退、思考力減退、精神異常など。
やっとワクチンの異常に気づいた無責任な医学会は、今度は蒸留水の
「まやかしワクチン」を代わりに注射し続け、騒ぎの収まるのを待った。
人体に進入したサルのウィルスの特異点は、レトロウィルス、
つまりRNAのウィルスであり、環境に応じて次々と変異する。
さらには宿り主の健康状態に応じて、何十年でも潜伏を続ける。
強制予防接種がおこなわれた地域では、小児マヒ発生率が、
行われなかった地域に比較して7倍という増加を示した。
1988年になってやっと報道されたワシントンポスト誌の記事によると、
1979年以降の小児マヒは全て小児マヒワクチン自体が
引き起こしたものであり、自然タイプのものは1979年以降、
1件も発生していない。
さらに米国の小児マヒは、ワクチンによるものである、とのことである。