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「文化防衛論」の考察(後段2)

5)~8)を考察する。

5)日本文化の特質は「再帰性」「全体性」「主体性」の三つに要約される。

(考察)この「三つ」が本当に日本文化の特質かどうか疑問だが、個々の説明から考えてみる。

6)「再帰性」とは過去が現在に蘇る、過去と現在の連続性である。

(考察)過去と現在の連続性はあらゆる文化に共通するものであって、あらゆる「新しい創造物」は過去の何かの焼き直しである。つまり、これは「日本文化の特質」ではない。

7)「全体性」とは文化を道徳的に判断するのではなく、倫理を「美的」に判断し、〈菊と刀〉を「まるごと容認」することである。文化は本来「改良」も「進歩」も「修正」も不可能なものであり、包括的に保持するべきものである。

(考察)日本文化の特質を「全体性」であるという主張は三島の主観(個人的意見)でしかないが、「倫理を美的に判断する」というのが日本的だというのは面白い。というより、倫理とは「美的判断」だ、というのは私も別の文章で書いている。つまり、倫理的であるとは「行動が美しい」ということで、たとえば「潔い」とは「清潔だ」の意味であり、まさに美的判断なのである。
「文化は本来改良も進歩も修正も不可能なものだ」というのも三島の個人的意見である。私は「文化は時代とともに変容する宿命があり、ただその中に民族的個性が連綿と続くことがある」という意見で、つまり「文化全体としては改良も進歩も修正もある」という考えだ。また、「改良」も「進歩」も「修正」も不可能なものを「包括的に保持すべき」であるなら、我々は原始人のまま歴史を重ねるしかないだろう。

8)「主体性」とは、文化継承の主体者たる個人における「形(フォルム)」の継承である。人間が「主体なき客観性」に依拠した単なるカメラや機能であってはならない。

(考察)この第一文は私には意味不明である。あまりに論理性が無いのではないか。「日本文化の特徴は主体性である」という主張の説明になっているか? 三島の言いたいのはこんなことかな、というのを「普通の日本語」で書くと、こんな感じだろうか。「日本文化の特質は、過去の文化的達成の『フォルム』を後継者が受け継いでいくところにある。しかし、その受け継ぎ方は、あくまで後継者が主体的に、かつ創造的に引き継がねばならない。先達の単なる物まね(主体性を捨てた『カメラ』で終わること)(先達のコピーという『機能』としての存在に終わること)は、伝統を「主体的に」引き継ぐものではない」

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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