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「文化防衛論」の考察(前段)

三島由紀夫の「文化防衛論」の考察をしてみる。まず、その内容のエッセンスと私が考える部分を箇条書きにしておく。長いので、考察は後で行う予定である。意味不明な用語や表現もあるが、そのまま書いておく。

1)生きた文化とは単なる〈もの〉ではなく、「行動及び行動様式」をも包含した「ひとつの形(フォルム)」であり、「国民精神が透かし見られる一種透明な結晶体」である。
2)日本文化は「行動様式自体を芸術作品化する特殊な伝統」を持ち、「動態」を無視できない。
3)日本文化は「菊と刀」を包摂する。
4)日本文化は「オリジナルとコピーの弁別」を持たない。
5)日本文化の特質は「再帰性」「全体性」「主体性」の三つに要約される。
6)「再帰性」とは過去が現在に蘇る、過去と現在の連続性である。
7)「全体性」とは文化を道徳的に判断するのではなく、倫理を「美的」に判断し、〈菊と刀〉を「まるごと容認」することである。文化は本来「改良」も「進歩」も「修正」も不可能なものであり、包括的に保持するべきものである。
8)「主体性」とは、文化継承の主体者たる個人における「形(フォルム)」の継承である。人間が「主体なき客観性」に依拠した単なるカメラや機能であってはならない。
9)日本文化の「全体性と連続性の全的な容認」が大事であり、「菊」と「刀」の一方に偏するような圧制者の偽善から文化を守らねばならない。
10)文化が文化を守ることはできず、言論で言論を守ることはできない。「守る」とは常に剣の原理である。
11)「献身的契機」のない文化の「不毛の自己完結性」が〈近代性〉と呼称(誇称)され、「自我分析と自我への埋没といふ孤立」により文化の不毛に陥る。「文武両道」とは「主体と客体の合一」が目睹され、「創造することが守ること」となり、「守ること自体が革新することであり、同時に〈生み〉〈成る〉こと」である。
12)文化伝統・言語統一のなされている日本での文化の連続性は、「民族と国との非分離にかかっている」。そして日本には真の意味での「異民族問題」はない。
13)「文化の無差別的包括性」を保持するために「文化概念としての天皇」の登場が要請される。
14)文化概念としての天皇は〈菊と刀〉を包括した日本文化全体の「時間的連続性と空間的連続性の座標軸」(中心)であり、「国と民族の非分離の象徴」である。
15)文化概念としての天皇は、国家権力の側だけではなく、「無秩序」の側に立つこともある。もしも権力の側が「国と民族を分離」せしめようとするならば、それを回復するための「変革の原理」ともなる。
16)「〈菊と刀〉の栄誉が最終的に帰一する根源」が天皇であり、「天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくこと」こそが日本および日本文化の危機を救う防止策になる。


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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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