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「運命」序論

幸田露伴の「運命」を、私、酔生夢人が、自分が理解できる範囲で現代日本語に直し、理解できない部分や、現代人の読む「小説」としては省略したほうがいいと思う部分は省略して「編集」してみる。この小説は明の初代皇帝洪武帝の後を継いだ二代目建文帝と、その叔父で、後の永楽帝との闘争の話で、一種の軍記物だが、露伴の批評的文章がその間にかなり含まれる。その大半も割愛することになるかと思う。特に、表記の難しい漢字は当て字にする。まあ、古典的作品のリライトによるライトノベルだと思えばいい。
私自身が疑問に思うのは、なぜ人々は戦争などをするのか、ということだ。これは古代だろうが中世だろうが現代だろうが同じことで、その戦争で利益を得るのはほんの一握りの人間であり、その戦争によって膨大な人間が死ぬのである。もちろん、そのほとんどは、自分の意思で戦うのではなく、戦いに追い立てられるのだが、では、戦争をさせる側の人間は、それで本当に利益を得るのか、というのが私には疑問なわけだ。自分から勇んで戦争に参加した人間の半分は、戦争で負けることでほとんど命を落とすし、勝った側にいた人間も、「狡兎死して走狗煮らる」となる例があまりに多い。
ちなみに、この話の影の主人公と言えるのは、「戦争の原因」を作ってしまった洪武帝だが、その洪武帝(赤貧の百姓の子から皇帝にまで上り詰めた)は「皇帝独裁制」とも言える政治体制を作った結果、一日に彼が専決する問題は600件以上あったという。どの最下級の事務員、役人でも、それほどの仕事はできないだろう。一件を処理するのに10分としても、6000分、つまり100時間が必要であり、一件1分でも10時間、つまり、起きている間はずっと事務仕事をしていることになる。あなたは、それでも皇帝になりたいか? しかも、皇帝という座は常に暗殺の危険があるのである。彼は皇帝になると共に、建国の功臣たちを、その一族も含め、何万人も死刑にした人間だ。つまり、自分の座を脅かす存在をすべて殺していったわけである。あなたは、それでも皇帝になりたいか? これは、あらゆる「英雄たち」に共通した運命である。しかし、その「運命」とは、自分で選んだ結果だ。彼らは、自分の未来が見えてはいなかった。ただ、彼らの置かれた条件や状況が彼らをその運命に導いたのである。それを「騎虎の勢い」と言う。その勢いが彼らに何万もの人を殺させ、かりそめの栄華を手に入れた後、彼ら自身をも滅亡させるのである。
かなりウェットでしかつめらしい序論になったが、幸田露伴のこの作品自体は、読み物として素晴らしいものであることは保証する。若い人なら、思考の「次元上昇」にもつながるかもしれない。



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酔生夢人
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男性
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仙人
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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