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世界に届けるべき映画

原作を知らないままで観ることができる人は、ある意味この上なく幸運である。おそらく、中盤からの展開は、先を知らない人のほうが衝撃的だろう。もちろん、原作を既に読んでいる人は、ほぼ100%この映画を観に行くだろうし、アニメの表現でしか為しえない部分も映画にはたくさん含まれていて、さらなる感動を得るはずである。
逆に、原作漫画の中の、このエピソードもこのエピソードも、この場面の絵もこの場面の絵も欲しかった、というところも幾つもあるだろうが、それは子供のわがままと言うものだ。とにかく、漫画のアニメ化として、稀有な、おそらく今後も達成されることの無い水準に達した傑作なのだから。(原作とは違う形にすることで傑作となった例はたくさんあるのだが、オリジナルに忠実な形でのアニメ化という点では二度と到達不可能、ということである。)


(追記)今、「エキサイトレビュー」の中の「この世界の片隅に」を絶賛する記事を読んでいたのだが、その末尾に引用されているのんさんのこの言葉は、この映画の本質を一番良く表しているようだ。大山くまお氏のこの映画の評全体も素晴らしいが、長くなるので転載はしない。


「生きるっていうだけで、涙があふれてくる」というのは、のんが完成披露試写の挨拶で語った言葉だ。この言葉とともに映画の内容を振り返ると、やっぱり涙があふれてくる。『この世界の片隅に』、ぜひ劇場でご覧ください。
(大山くまお)



(再追記)今、このような記事を見つけたので、一人で喜んでいる。マスコミが芸能プロの圧力などで無視しても、宝石は自ら光を放ち、人を呼ぶのだろう。いや、この作品のために自らのブログで多くの発信を続けたゆうきまさみ氏や他のブロガーの働きも大きい。弱小無名ブログの私も貧者の一灯として、その末端に加わったつもりだ。




「この世界の片隅に」 全国各地の映画館で満席が続出

ざっくり言うと

  • 「この世界の片隅に」が12日に公開され、各地の映画館で満席が続出している
  • わずか63館でのファーストランながら、全国映画動員ランキングで10位
  • イギリス、フランスなど14カ国での配給も決定し、世界からも注目されている

わずか上映63館で10位! パンフ品切れ続出!『この世界の片隅に』現象が日本を席巻中


わずか上映63館で10位! パンフ品切れ続出!『この世界の片隅に』現象が日本を席巻中

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 公開前からマスコミ試写や先行上映会で異例ともいえる賞賛を集めていた映画『この世界の片隅に』が12日に公開され、わずか63館でのファーストランながら全国映画動員ランキングの10位に食い込む快挙を成し遂げた。


 同作は『マイマイ新子と千年の魔法』『アリーテ姫』などで知られる片渕須直監督が6年の歳月をかけた力作。公開初日には、テアトル新宿、テアトル梅田、シネ・リーブル梅田で全回満席。その勢いはとどまらず、翌13日にも全国各地で満席が続出し、さらに上映終了後には拍手喝采が沸き起こる現象が発生するなど、かつてない熱狂を巻き起こしているという。


 また作品への高い満足度から主要劇場でのパンフレット購買率が驚異の30%以上を記録。公開初日から品切れになる劇場が続出し、初日夕方から追加発注の問い合わせが相次いでいる状態。


 さらに、先日閉幕した広島国際映画祭2016にて「ヒロシマ平和映画賞」を受賞、池袋HUMAXシネマズで行われた舞台挨拶ではLINE LIVEの生配信を実施。期待度の高さから30万人以上が視聴し、放送直後は公式ランキングで第1位を獲得。Twitterのトレンドでも第2位にランクインし、「ぴあ映画初日満足度ランキング」と「Filmarks初日満足度ランキング」ともに堂々の第1位を獲得するなど、日本中が『この世界の片隅に』の感動に包まれている。


 今後、全国50館以上の上映がすでに決定、累計100館以上の劇場が決まっており、また、イギリス、フランス、南米を始め世界14カ国での配給も決定し、日本のみならず世界からも注目を集めている『この世界の片隅に』。2週目以降も、さらに数字を伸ばすことは間違いなさそうだ。


●劇場用長編アニメ「この世界の片隅に」公式サイト
http://konosekai.jp/












(以下引用)

ぴあ映画初日満足度ランキング

ぴあ映画生活で紹介している上映中映画を満足度の高い順にランキングしています。

毎週、新作映画の公開初日に、ぴあ出口調査隊が映画館前でアンケートを実施して独自に集計しているランキングです。


順位作品名満足度調査人数
1
この世界の片隅に
95.2 111 
2
弁護人
92.3 63 
3
オケ老人!
90.8 67 
4
華麗なるリベンジ
90.3 95 
5
ミュージアム
88.2 109 
6
ジャック・リーチャー NEVER GO BACK
86.9 107 
7
ホドロフスキーの虹泥棒
80.4 38 
8
誰のせいでもない
79.3 30 
■ぴあ映画初日満足度ランキング概況■
2016年11月14日(月)時点

ぴあ調査による2016年11月11日、12日のぴあ映画初日満足度ランキングは、広島を舞台に、18歳で呉に嫁いだ主人公すずの日常を描いたアニメーション『この世界の片隅に』が首位を飾った。

劇場には10代から70代までの観客が来場しており、出口調査では「胸が苦しくてなにも答えたくない」と話す人もいたが、「戦争の内側を知ることができた。主人公が抱える葛藤が印象的で、戦争について考えるきっかけになった」(21歳・男)、「130分の中に戦争の悲惨さと希望を描いていて、バランスがいい」(41歳・男)、「全編を通じて日常を描いているが、何かが迫ってくる感覚が濃厚で、あの日がやってくるという流れはわかっていても衝撃的で、気が付いたら泣いていた」(45歳・男)、「当時はしんどかったと思うが、それが日常であることがわかる。苦しくなる場面も多かったが、懐かしさを感じる田舎の風景に、温かい気持ちになるシーンもあった」(37歳・男)、「キレイな絵と感情移入しやすいすずという主人公が映画をより面白くしている。自分の隣にいた子が突然いなくなってしまう、そんな非日常が実際に起きてしまったら…と考えさせられた」(24歳・男)など、感じたことをじっくりと話す観客の姿が目立った。

そのほか、「アニメーションでよかった。リアルで観るよりも冷静に事実を受け止められた」(64歳・女)、「平和について改めて考えた」(18歳・男)、「この映画を観て、生きたいという気持ちが強くなった。生きる力をもらった」(24歳・女)、「絶望的な状況に置かれながらも、懸命に生きようとする姿に心を打たれた」(41歳・男)、「玉音放送のシーンが印象的で、すべてが変わってしまうときの衝撃は言葉にできない」(18歳・男)というコメントや、「『君の名は。』『映画 聲の形』を観た人は、アニメ大作3本目として、ぜひ観てほしい」「家族や大切な人と観てほしい」「戦争を知らない多くの人に観てほしい」という声もあがっていた。



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煙草悪玉論への一批判

まあ、煙草を吸うと肺がんになる、とは限らないが、体に合う人と合わない人がいるのは確かだろう。何十年煙草を吸っていても平気な人はゴマンといる。
煙草の栽培なんて簡単だろうから、今のように煙草の値段が上がったら、闇煙草を作って売ればよさそうなものだが、大麻などとは違って、闇煙草栽培や販売で逮捕された話はまったく聞かないのはなぜだろうか。煙草栽培農家から栽培のノウハウを聞けば、簡単だと思うし、もともと煙草栽培なんて高度な農業だとは思えないのだが。それこそ、農薬すら不要ではないか。煙草が健康に悪いなら、虫だって自分の健康を守るために、煙草の葉は喰わないだろうwww


酒を飲んで酔っ払って暴力事件を起こすなどという話は珍しくないが、煙草を吸って興奮してキチガイみたいになる、という話は聞いたことがない。これほど平和的な嗜好品は無い。煙草の匂いが臭い、というのも慣れの問題であり、香水の匂いなどよりはるかにいい匂いだと私は思っている。私自身は気管支が弱いので煙草常飲者ではないが、他人が吸う煙草の匂いはむしろ好ましい。まあ、室内で吸われると、家具やカーテンなどに匂いが付くからいやだ、という女性の心理は理解できなくもないが、それもまた生活の匂いの一つで、生きるとはそういう「自分にはあまり好ましくないもの」ものとも妥協していくことではないだろうか。それがいやなら一生独身で生きるべきだろうが、最近は男も煙草を呑まない(吸わない)者が多くて、その点での揉め事が少なくなったのは慶賀の至りである。そのわりに男女とも独身者比率は毎年のように高くなっていっているのだがwww




(以下「大摩邇」から引用)論理の理解が面倒くさい部分が多いから「流し読み」しただけだし、言っていることのすべてに同意するわけでもないが、趣旨が面白いから転載しておく。



20:34

嫌煙ブームを完膚なきまでに叩きのめす!!タバコを吸っても肺ガンにならないし、受動喫煙なんて真っ赤なウソ!!

愛詩tel by shigさんのサイトより
http://blog.goo.ne.jp/1shig/e/391a49f727c995e5590c08d8ec7f5c08
<転載開始>

武田邦彦ブログより
2012年03月16日

まず、このグラフを見て欲しい


奇っ怪な結果?? 
タバコを吸うと肺がんが減る?!

(なにか悪い夢を見ている感じです) 
先回、がんセンターなどが言っていること
「タバコを吸う人は吸わない人に対して肺がん死の可能性が1.6倍になる」
ということを前提に計算してみると、
「タバコをすうと30人に1人が肺がんになる可能性がある」
という結果になることを示しました。


この数字は「タバコを吸うと肺がんになる」という表現は不適切で、
「タバコを吸っても肺がんになることは難しいが、
人に迷惑をかけるからできるだけ遠慮しよう」
という程度だろうという私の感想を書きました。

 ・・・・・・・・・


でも、なにか釈然としなかったので、
1955年頃から1985年頃までの統計的データから、
「タバコを吸うと何倍ぐらい肺がん(気管、気管支を含む)になりやすいのか?」
という計算をしてみました。
基礎となるデータは厚労省やがんセンターなどから出ている男性のものを使い
(下の図。データ自体は誰も異議がないと思います)、次の前提を起きました。
 


1) タバコの害は継続的に20年ぐらい吸った人が、
さらに20年ぐらい後に肺がんになる
(そのために1985年以後の喫煙率のデータは使えません。
1985年の20年後は2005年になり、それ以後はデータがまだ無いからです)、


2) ガンは年齢と共に増えるので、
粗死亡率(その年に肺がんで死んだ人の数)
ではなく、それを年齢調整した死亡率をとる。


この結果からデータ処理(連立方程式を解く方法)をしてみると、
実に驚くべきことが判ります。
それは「タバコを吸わない人に対して、
タバコを吸うと肺がんの死亡率は10倍以上減る」
(増えるのではなく、減る)のです。


ここで「驚くべきこと」と言いましたが、
実は計算する前から判っていることです。

つまり、このグラフを一見すると
「喫煙率が下がると、(年齢調整)肺がん死が増える」
という結果になっているからです。

「タバコをすると肺がんが格段に減る」
という真逆の結果が得られたのでしょうか? 
タバコを吸う人は呼吸器系の病気が増えるので肺がんにもなりやすい
という推定はできます。
でも、科学はあらゆる面から見て事実を説明しようとする努力であり、
先入観や利害で結論を出してはいけません。

 「タバコを吸うと肺がんの危険性が吸わない人に比べて10分の1以下になる」
というのですから、「タバコは肺がん防止薬」です。
実に奇妙なので、最終結論を出す前に、
もし読者の方でこのグラフから逆の結果がでれば
お教えいただきたいと思います。

・・・・・・・・・

この問題は、
相関関係(喫煙率と肺がん死の関係)と
因果関係(タバコを吸うと呼吸器が痛む)、
それに的を絞った調査
(コホート:喫煙者と非喫煙者の肺がん死を個別に調べたもの)
の結果が相互に合致しないことによります。


厚労省から研究費がでるようになって
「タバコを吸ったら」、「野菜を食べたら」・・・
という類の研究が盛んで、多くの結果が得られています。
でもその研究の多くはきわめて一面的で、
他の結果との整合性を検討せず、調査した学者の最初の思い込みだけ
が結果に出ているように思えます。


ただ、がんセンターなどのように権威のあるところから
断定的に発表されるために一般の人はそれを信じるしかありません。
でも、公表されている結果で整理すると明らかに
「タバコを吸った方が肺がんが減る」
と言うことになるのですから、考えなければなりません。

ーーーー

かれこれ30年も前に、
「タバコを吸うと、肺がこんなに真っ黒になる」

画像 池田脳神経外科のHPより


という写真を厚生省(当時)が発表され、その時から
「タバコを吸うと肺ガンになる」
というデマが一人歩きし始めました

しかし

教育用のよく見る黒い肺の写真は、
それを撮影した技師本人が、あれは着色したと証言しています。


生きている細胞って、内出血以外では着色しないです。

イチゴシロップを舐めると舌が赤くなります。
でもそれは赤色色素が舌の上に載っているだけで
舌細胞が染まったわけではありません。

食パン1枚か白米1膳も食べれば取れてしまいます。
それは着色したとは言いません。

火事現場から出てきた消防士は面体を装着していても、
ボフッと咳をすればまるでドリフのコントみたいに黒い粉を吐きます。

おそらく、その時点で肺を切開してみれば黒いススだらけでしょう。
でもそれは、着色ではなく表面に載っているだけですよ。


万一、一時的に色が着いたとしても、細胞って常に入れ替わってます。
ずっとそのままというのは却って難しくて、
イレズミのように皮下組織の限られた微妙なところに
着色料を定着させるには技術が要ります。

あれはインクを入れる層の細胞を殺して一旦カサブタにしちゃうんです。
その色着きのカサブタが表皮から透けて見えているわけです。
死んだ組織だから代謝しない。

以前は肺細胞は再生しないと言われていましたが、
近年、金沢大学の研究グループが肺細胞も代謝しているのを発見しました。




そしてなにより、
細胞が黒くなるものであれば、
胸部健診のレントゲン撮影がマトモに出来なくなります。


みなさん、ご自分の胸のレントゲン写真をご覧になった事が有るでしょう。

まだらになってましたか?
なってないですよ。
肺になにか映ってれば即刻入院ですもの(笑)。
 

gosr_naoさん


ーーーー


30年ほど前に
タバコを1日20本だかを吸い続けると
吸わない人に比べ、肺ガンになる確率が 高くなる
というデータを見て笑ってしましました


平成12年の国立がんセンターの発表によると、肺がんで死ぬ確率は、
タバコを吸わない人が0.3%(300人に1人)であるのに対し、
20才から毎日20本吸い続けた人は16%(6人に1人)、
20才から毎日40本吸い続けた人は28%(3.5人に1人)でした。


これ、統計のウソだと、僕は即座に見抜きました


だって、これ、どうやって出した数値でしょう?
平成12年の段階で、
過去20〜30年の喫煙率をどうやって出したのか?
さらに、
20才から毎日20本吸い続けた人は
20才から毎日40本吸い続けた人は

何mgのタール、ニコチンを含むタバコを吸ったのか?
途中禁煙した場合はどうなのか? 
当時、思わず吹き出したのを覚えています


では、もう一つの決定的なウソ
副流煙による受動喫煙について

再び
武田邦彦ブログより
2012年05月08日

副流煙・・・受動喫煙について(その1)
女性の肺がん(腺がん)

このブログをお読みになっている人のほとんどが
「タバコの副流煙は有害だ」と信じて疑わないと思います。
でも私は「自分の目でデータを確かめて納得してから」
しか自分の考えを述べないようにしています。
なにしろ、今の日本社会は、たとえば温暖化にしてもIPCC(国連の機関)は
「温暖化すると南極の氷は増える」と言っているのに、
日本人は英語を読まないだろうと高をくくって
国内では「減る」と言うぐらいですから、油断できないのです。
(多くの人は今でも「政府はウソをつかない、NHKは本当のことを言う」
と信じておられますが、決定的なことで事実と違うことを言って来たのです。
原発でも「震度6で壊れる」ということがわかっていたのに
「政府が安全だというから安全だと報道しても問題は無い」
というスタンスだからです。副流煙もまずはそのように考えて調べています。)


 


・・・・・・・・・


 


副流煙はまず次の2つの問題があります。
1) 世界で最初に副流煙の害について論文をだした厚労省の平山論文は
事実記載に乏しく、データの提出と求められても提出に応じなかった。
2) タバコの追放を続けているWHOは副流煙の健康被害について調査をしたことろ、
副流煙の環境にいた人の方が肺がんが少なかったので、発表を見合わせた。


 


そして、より具体的には、2008年に厚労省が発表した多目的コホート研究があります。
これはタバコを吸う人と一緒に住んでいた女性が
どのぐらい肺がんになったかという調査です。
調査は対象者が2万8千人で期間は13年間。
調査中に109人の人が肺がんと診断されています。


 


特にこの研究では4種類の肺がんのうち、
主たるものである腺がんに絞って整理をしています。
腺がんは肺がん全体の約3分の2ですから、
109人のうち約72人が腺がんと推定されます
(詳細なデータは公表されていない)。
従来の研究では腺がんのうち、2割が女性の喫煙者で、
もともと女性の喫煙者は2割ですから、
タバコを吸っている人の割合と、腺がんの割合は一致しているということでした。


 


ところが、この調査では
女性が喫煙せず、夫が喫煙している場合、腺がんが2倍に増えたと書いてあります。このときに夫の喫煙率は50%ですから、
72人のうち、14人が喫煙者ですから残りの58人がタバコを吸わない女性で、
そのうち29人が夫がタバコをする女性、29人が夫がタバコを吸わない女性となります。


 


「タバコを吸っている夫とともに生活している女性は腺がんが2倍になった」
ということが本当なら(数字が発表されていないので怪しいが)、腺がんのうち
39人が夫がタバコを吸っていて、19人が吸っていないということになります。
「変わらない」という結果に対して、
わずか10人の出入りで「2倍」という数字が出てきています。
2万8千人の13年間の調査という触れ込みなのですが、
その実体は10名の前後で2倍になったりならなかったりするということなのです。


 


つまり、もしこの10名が統計的なばらつきではないとしても
(タバコと肺がんの全体的な関係でも同じですが)、
タバコをすう夫と一緒に住んでいる女性は1万4000人で、
そのうち、10名が「夫がタバコを吸うために腺がんになった」ということですから、
その可能性は1400人に一人ということになり、確率は0.07%にしか過ぎません。


 


とうてい、
「夫がタバコをすると妻が肺がんになる」などと言うことができる数字ではないのです。
逆に「夫がタバコを吸っても妻が肺がんになることは希だ」
と言った方が科学的には正しい程度の数字です。
また良心的な学者なら大きな母集団の中で29人と39人で
このぐらい大きな違いを言うのに良心の呵責にさいなまれるでしょう。
普通なら「調査したがハッキリした結果は得られなかった」というと思います。


 


ところでこの報告のきっかけとなった有名な
平山論文(論文と呼べるものかどうか怪しいが)では
タバコを吸う夫とともに生活をしていた
40才以上の「タバコを吸わない妻」約92000人を調査し、
そのうちの174人が肺がんで死んでいるので、
「タバコを吸う人と一緒に生活していた妻は肺がんになる」
という結論を出しています。


 


この場合は、
「タバコを吸っていた夫とともに生活し、肺がんで死んだ妻」は、
530人に1人という低率です。
530人のうち1人が肺がんで死んだという事実を正直に表現すると、
「夫が喫煙者でも肺がんにはならない。極めて希に肺がんになる妻もいるが、
あまりにその割合が低いので、他の原因も考えられる」とするべきでしょう。


 


というのは、肺がんの原因は、タバコの他に、排気ガス、空気の汚れ、
核実験の放射性降下物、台所や家の中のほこり、農薬や殺虫剤の粉など
多種類があるからです。これらの発ガン率の範囲に入ります。


 


・・・・・・・・・


 


科学としてこの調査を見ると、「タバコ以外の要因」をまったく無視しています。
おそらくタバコを吸う家庭の平均収入は、吸わない家庭に対して低い
と考えられますし、
町中のアパートに住んでいる人が多いと考えられますので、
自動車の排気ガスもより多く吸っているはずですし、
衛生環境自体も望ましくないでしょう。


 


科学的に整理するもので、何かに注目するのは良いのですが、
注目したもの以外の原因を無視すると正しい結果は得られません。
温暖化騒動が盛んだった頃、
「最近は気温が高くなった」ということと
「最近はCO2濃度が上がっている」という二つを結びつけて、
「CO2が上がると気温が高くなる」という人がいました。
気温は太陽活動や都市化などいろいろなものが関係しますから、
CO2にだけ注目すると、CO2が原因という結果が得られます。


 


当時、私はそのような説明をする学者に、
「最近、私の年齢が上がってきていますので、
私が歳を取ると気温が高くなるのではないですか?」
と冷やかしたものです。
このデータは
日本の厚労省などが「副流煙は危険だ」という基礎的なデータになっていますが、
実に不誠実なものであることがわかります。


 


このほかにもアメリカ保険局などのデータがありますが、
いずれも「結論ありきで整理した」というもので、とうてい、
国民の健康を心配したようなまじめなものではないものばかりです。
大きな研究費と出世が絡んでいる研究を私はイヤと言うほど見てきましたが、
その多くがこのようないい加減なデータで決定的なことを言う場合が多いのです。


 


学問への誠実さ、研究者の倫理をシッカリしてもらいたいものです。
実はこの研究グループのトップが食品汚染の暫定基準を決めるときに
「食料が足りなくなるから、基準は高くする」と発言した人で、
セシウムで1年5ミリ、全核種で約17ミリの被曝を給食でさせました。
このような人は、いつもその時、その時、ですね。


ーーーー


最後に、最大の疑問


なぜ、このようなデタラメを国を挙げて、いや、世界を挙げて流し続けるのか?


僕のニュースさんより
2008年07月04日

嫌煙運動はユダヤの陰謀


世界禁煙デーロゴ 


悪の枢軸ロゴ 左から国連、世界保健機構、国際原子力機関
世界で禁煙を勧めている組織の大元は同じ

意外に知られてないんだが、嫌煙運動はユダヤの陰謀なのだ。

ロリコン禁止法もそうなんだが、
カネのためなら日本人を絶滅させようが、へっちゃら、という連中だな。


ロリコン禁止法でもっとも得をするのは誰か?
本来、性欲盛んでセックスしたくてたまらない年頃にその対象となるべき
十代の娘を対象とする事を禁止し、
青少年に「セックスは罪」と強烈に刷り込む。
これで人口を減らせるわけだ。

で、嫌煙というのも、得をするのはユダヤだけ、という現実がある。 


日本で嫌煙やりはじめたのはキリスト教福音派のセブンスデーアドベンチスト。 

一時朝鮮人の司祭がトップに就いてかなり信徒を減らしたらしい。 
地球温暖化とおなじでタバコと健康被害の因果関係は突き止められてない。 

「肺が真っ黒」「医療負担が下がる」これらは無根拠。 
SDAつながりは厚生省にもいて、SDA出身者をWHOに派遣する。 
SDA偽データはWHOから発表されて日本に逆輸入されるため
データが検証できない。 

この教団はいくつか病院を持ってて、最近では「死ぬ死ぬ詐欺」で名を挙げた。 

ムスリム移民が増えてる地域では嫌煙でやつらを追い出せるから支持されてる。 
地球上でタバコを買う金を持ってるイスラム教徒は約13億人いて、
薄利でもいい商売になる。 


世界のタバコ会社を買い集めた日本タバコ産業がタバコ部門を投げ売りしたら、
ユダヤが買ってイスラム教徒にタバコを売るだろう。 



つまり、「タバコ一箱1000円」の真実は、 

  日本タバコを潰せばユダヤはたっぷりお金儲けができる 

って話。

そして中川秀直は首相の座に一歩近づく。 

税収が上がる?んなわけない。 
タバコを吸うしか娯楽がないような貧乏人に 1箱1000円が買えるわけがないだろ。 
コレについては以前、書いた覚えがある。
探してみたらひみつ倉庫にあった。

2007/5/21です。
以下、再録。


禁煙ブームはユダヤの陰謀

毎回ネタにして申し訳ないような気もするんだが、きち@石根さんで。
禁煙ブームというのがどうにもアヤシイとおっしゃっておられます。


というのも、煙草産業というのは異常に儲かる商売である上に、
なぜかユダヤ資本とは無縁の存在で、独自の資本グループを形成しているわけだ。
これは、おいらもちょっと調べて気がついた。
きち@石根さんもそうなんだが、おいらもパイプ吸いで、
色々と歴史をたどってみると面白いわけだ。


で、
穀物メジャーのようにはならない・・・
統制的基準の出来にくい産業に莫大な安定的収益構造ができてしまうと
余剰な資本は安定的に金融市場への投資へと向かいます。
これはどういうことかというと
賭場に本業日給100万の博徒が参加してくるようなものです。


つまり、子供がベーゴマやってるところに
大人がトラック一杯のベーゴマ持参して参加するようなもんだと。


こんなヤツらに出て来られては喧嘩にならないわけだ。
しかも煙草産業はどこの国でも大事な税収になっているので、
既得権で守られていてユダヤ資本といえども参加しにくい。


そのため、何とか喫煙率を下げて煙草資本が儲けすぎないようにしないと、
ユダヤ資本が潰されてしまう。


煙草産業が統括的資本にもたらす余剰利潤を、
一般的な産業の利潤水準まで落とすには
先進国レベルで喫煙率10%程度まで下げる必要があるといいます。
 


つまり、国際金融資本にとって、
どこに利潤が集約されるか(障害か)というより産業構造自体が生み出す、
永久機関のような収益構造自体に問題があり
それが国際的な金融市場にもたらす影響のほうが問題であったわけです。


スリランカに行った時に見たんだが、あの国ではイギリスの煙草が独占しているわけだ。
現地人は貧乏なので、めったに吸えない。
町では一本ずつバラ売りしていて、買うとサービスで火を点けてくれる。
つうか、現地人は買えないので、そこら辺に生えているマリファナを吸っている。
マリファナは無料だからね。


日本でも煙草は栽培していて、
おいらも子供の頃、浜岡で栽培しているのを見たことがある。
なんと、葉っぱの一枚、一枚が登録されていて、
必要以上に伸びないように頭が切ってあった。


煙草産業は物凄く儲かるのだ。


 


 


拍手

空から暴力が降ってきた

実は、昨日、一般公開初日に「この世界の片隅に」を見てきたのだが、その感想をここで書くつもりは無い。全日本国民が国民的義務としてでも一度は見るべき作品であり、見たことをけっして後悔はしない、それどころか一生の心の財産の一つになるだろう(原作漫画も同様である。)とだけ言っておく。
今日になって、この映画のことを振り返った時、思い出したのが、何と、私が馬鹿にしていたオバマ大統領の広島演説の言葉「空から死が舞い降りてきた」だった。いや、私はそれを「空から暴力が降ってきた」として想起したのだが、これこそが、あの映画の中でもっとも印象的な呉市の空爆シーンを表す言葉であり、それは戦争が庶民にとってどういうものであるかをもっとも適切に表したものだ、と私には思える。「戦争が廊下の端に立っている(いた?)」という有名な川柳(反戦川柳とでも言うのか)があるが、戦争というものは廊下の端に「カオナシ」のように不気味に立っているものというより、空から、突然我々の頭上に舞い降りてくる、というのが庶民にとっての戦争の実感ではないか。それは空爆だけのことではない。我々の手の届かないところで誰かが勝手に決定したことによって、我々の存在のすべてが或る日突然に奪われる、そういう極限的な暴力が戦争なのではないだろうか。

下に、オバマ大統領の広島演説の全文を和訳と英文と両方とも載せておく。ここに並んだ言葉の中には、もちろん原爆を落とした国としての謝罪の言葉など無い。米国の大統領として、そんな謝罪などできるわけもないのである。大統領の立場とはそういうものだ。だが、現役大統領として初めて広島慰霊祭に出席し、このスピーチを残したことは、彼の数少ない功績の一つだ、と今の私は思う。そして、このスピーチの内容は、スピーチライターが書いたものとはいえ、戦争を否定する気持ちは十分に表れている。今の今も、世界のどこかで戦争を続けることが国家事業化している米国の大統領が反戦の気持ちを表明するという、苦しい課題に、見事に応えている文章だと言えるだろう。もちろん、あちこちに、米国の立場を顧慮した、曖昧な表現、いわば、ごまかしの部分はたくさんある。しかし、その中にも、「庶民にとっての戦争の意味」と「戦争という罪悪を否定したい気持ち」は明瞭に表れていると思う。そうした、いわばモザイク模様のスピーチとしての傑作なのではないだろうか。


(以下引用)私が特に「価値あり」と思う部分を色文字にしておく。その色字部分だけをつなぎあわせて読めば、それが「この世界の片隅に」の私の感想だ。

オバマ大統領演説(和訳)


71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。閃光(せんこう)と火柱が都市を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示した。


われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な力に思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。


その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。


広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。


いずれの大陸も文明の歴史は戦争で満ちており、食糧不足や黄金への渇望に駆り立てられ、民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせき立てられた。帝国は台頭し、そして衰退した。民族は支配下に置かれ、解放されたりしてきた。転換点において罪のない人々が苦しみ、数え切れない多くの人が犠牲となり、彼らの名前は時がたつと忘れ去られてきた。


広島と長崎で残酷な終焉(しゅうえん)を迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国家間で勃発した。彼らの文明は偉大な都市と素晴らしい芸術を育んでいた。思想家は正義と調和、真実という理念を発達させていた。しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同様に支配あるいは征服の基本的本能により生じてきた。抑制を伴わない新たな能力が、昔からのパターンを増幅させた。


ほんの数年の間で約6千万人が死んだ。男性、女性、子供たちはわれわれと変わるところがない人たちだった。撃たれたり、殴られたり、連行されたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えさせられたり、毒ガスを使われたりして死んだ。


世界各地には、勇気や勇敢な行動を伝える記念碑や、言葉にできないような悪行を映す墓や空っぽの収容所など、この戦争を記録する場所が多くある。


しかし、この空に上がった、きのこ雲のイメージが、われわれに人類の根本的な矛盾を想起させた。われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、自然とは違う能力、自然をわれわれの意志に従わせる能力、これらのものが無類の破壊能力をわれわれにもたらした。


物質的進歩や社会革新がこの真実から、われわれの目を曇らせることがどれほど多いであろうか。高邁(こうまい)な理由で暴力を正当化することはどれほど安易なことか。


偉大な全ての宗教は愛や平和、公正な道を約束している。一方で、どの宗教もその信仰が殺人を許容していると主張するような信者の存在から逃れることはない。


国家は、犠牲と協力を結び付ける物語をつむぎながら発展してきた。さまざまな偉業を生んだが、この物語が抑圧や相違を持つ人々の人間性を奪うことにも使われてきた。科学はわれわれに海を越えてコミュニケーションを取ることを可能にし、空を飛び、病気を治し、宇宙を理解することを可能にした。しかし同じ発見は、より効果的な殺人機械へとなり得る。


現代の戦争はこうした真実をわれわれに伝える。広島はこの真実を伝える。人間社会の発展なき技術の進展はわれわれを破滅させる。原子核の分裂につながった科学的な革命は、倫理上の革命も求められることにつながる。


だからこそわれわれはこの地に来た。この街の中心に立ち、爆弾が投下されたときの瞬間について考えることを自らに強いる。惨禍を目にした子供たちの恐怖を感じることを自らに課す。


無言の泣き声に耳を澄ませる。われわれはあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いをはせる。


単なる言葉でその苦しみを表すことはできない。しかし、われわれは歴史を直視し、そのような苦しみを繰り返さないために何をしなければならないかを問う共通の責任がある。


いつの日か、生き証人たちの声は聞こえなくなるだろう。しかし1945年8月6日の朝の記憶は決して風化させてはならない。記憶はわれわれの想像力を養い、われわれを変えさせてくれる。


あの運命の日以来、われわれは希望をもたらす選択もしてきた。米国と日本は同盟関係を築くだけでなく、戦争を通じて得られるものよりももっと多くのものを国民にもたらす友情を築いた。


欧州の国々は戦場に代わって、交易や民主主義により結ばれている。抑圧された人々や国々は自由を勝ち取った。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を規制、削減し、完全に廃絶するための機関を創設し協定を結んだ。


それにも関わらず、世界中で見られる国家間のテロや腐敗、残虐行為や抑圧は、われわれがすべきことには終わりがないことを示している。われわれは人類が悪事を働く能力を除去することはできないかもしれないし、われわれが同盟を組んでいる国々は自らを守る手段を持たなければならない。


しかし、わが国を含む、それらの国々は核兵器を貯蔵しており、われわれは恐怖の論理から抜け出し、核兵器のない世界を希求する勇気を持たなければならない。こうした目標は私の生きている間は実現しないかもしれないが、粘り強い取り組みが惨禍の可能性を引き下げる。


われわれはこうした保有核兵器の廃棄に導く道筋を描くことができる。われわれは、新たな国々に拡散したり、致死性の高い物質が狂信者の手に渡ったりするのを防ぐことができる。しかし、まだそれでは不十分だ。なぜなら、われわれは今日、世界中で原始的なライフル銃やたる爆弾でさえ恐るべきスケールの暴力をもたらすことができることを、目の当たりにしているからだ。


われわれは戦争そのものに対する考え方を変えなければならない。外交を通じて紛争を予防し、始まってしまった紛争を終わらせる努力するために。増大していくわれわれの相互依存関係を、暴力的な競争でなく、平和的な協力の理由として理解するために。破壊する能力によってではなく、築くものによってわれわれの国家を定義するために。そして何よりも、われわれは一つの人類として、お互いの関係を再び認識しなければならない。このことこそが、われわれ人類を独自なものにするのだ。


われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない。われわれは学ぶことができる。われわれは選択することができる。われわれは子供たちに違う話をすることができ、それは共通の人間性を描き出すことであり、戦争を今より少なくなるようにすること、残酷さをたやすく受け入れることを今よりも少なくすることである。


われわれはこれらの話をヒバクシャ(被爆者)の中に見ることができる。ある女性は、原爆を投下した飛行機の操縦士を許した。本当に憎むべきは戦争そのものであることに気付いたからだ。ある男性は、ここで死亡した米国人の家族を探し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じであることに気付いたからだ。


わが国は単純な言葉で始まった。「人類は全て、創造主によって平等につくられ、生きること、自由、そして幸福を希求することを含む、奪うことのできない権利を与えられている


理想は、自分たちの国内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、決して容易ではない。しかし誠実であることには、努力に値する。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。


全ての人にとってかけがえのない価値、全ての命が大切であるという主張、われわれは人類という一つの家族の仲間であるという根本的で必要な概念。われわれはこれら全ての話を伝えなければならない。


だからこそ、われわれは広島に来たのだ。われわれが愛する人々のことを考えられるように。朝起きた子供たちの笑顔をまず考えられるように。食卓越しに、夫婦が優しく触れ合うことを考えられるように。両親の温かい抱擁を考えられるように。


われわれがこうしたことを考えるとき71年前にもここで同じように貴重な時間があったことを思い起こすことができる。亡くなった人々はわれわれと同じ人たちだ。


普通の人々はこれを理解すると私は思う。彼らは、さらなる戦争を望んでいない。彼らは、科学は生活をより良いものにすることに集中すべきで、生活を台無しにすることに集中してはならないと考えるだろう。


各国の選択が、あるいは指導者たちの選択がこの単純な分別を反映すれば、広島の教訓は生かされる。


世界はここ広島で永久に変わってしまったが、この街の子供たちは平和に日常を過ごしている。なんと貴重なことであろうか。これは守るに値し、すべての子供たちに広げていくに値する。これはわれわれが選択できる未来なのだ。


広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとしてでなく、道徳的な目覚めの契機の場として知られるようになるだろう。そうした未来をわれわれは選び取る。


出典:産経新聞

オバマ大統領演説(英文)


Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.


Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner.


Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.


It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind.


On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time.


The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.


In the span of a few years some 60 million people would die: men, women, children -- no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.


There are many sites around the world that chronicle this war -- memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.


Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity's core contradiction -- how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction.


How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause?


Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.


Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.


The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.


That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.


We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.


Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.


Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.


And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war.


The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.


Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man's capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to defend ourselves.


Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.


We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough, for we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.


We must change our mindset about war itself -- to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they've begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build. And perhaps above all we must reimagine our connection to one another as members of one human race -- for this too is what makes our species unique.


We're not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.


We see these stories in the Hibakusha: the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.


My own nation's story began with simple words: "All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness."


Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.


The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.


That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.


We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us.


Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it.


When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.


The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.


That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.


出典:共同通信



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Fling dirt enough and some will stick.

マスコミの常套的手法というものは、古いことわざや格言などでたくさん注意されている(もちろん、マスコミだけを対照としたものではないが。)のだが、世間の多くの人は相変わらずそれに騙される。
私の持っている英語のことわざ・格言の本から幾つか抜粋してみる。解説部分も、その本の中の解説部分を概訳したものである。

1 Give a dog a bad name and hang him.

bad name とは「悪評(汚名)」のことで、どれだけその非難が根拠の無いものであっても、それはその人間の名声や評判を破滅させる。そして、hang him(縛り首にしろ)、すなわち、彼が正直で尊敬すべき市民であるという名誉を回復する機会は永久に失われる。


2 Give a lie twenty-four hours' start , and you can never overtake it.

もしもその嘘が即座に論破されなければ、それは口から口へと伝わり、やがてすべての人に真実として受け入れられる。

3 Fling dirt enough and some will stick.

ある人に関して嘘の限りを尽くすがいい。そのうち幾つかは信じられることになる。このプロセスは最近の言葉ではsmear campaignとして知られている。
「私は他人がどう言っているかなど気にしない。それはすべて嘘なんだから、気にする必要など無いだろう?」
「古いことわざを忘れるな。『ありったけの泥を投げろ。幾らかはくっつくさ』と言うぜ」

(*小沢一郎が民主党内で失脚した時のことを思い起こさせる。また、最近の米国マスコミの反トランプキャンペーンもまさにそれだった。それで露呈したのはむしろ米マスコミの正体だったのだがwww)

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酒や煙草の販売は詐欺よりはマシ

ここに挙げられた職業は、マスコミなどの刷り込みで思い込まされたものもあるだろう。実際には、煙草や酒の与えるプラス面もあるしマイナス面もある。実際、それらの無い世界など生きるに値しないと思う人もいるのではないか。それらが健康に悪いにしても、人間、何も健康のためだけに生きているわけではない。たかが胸飾り(勲章)のために銃弾の前に突進する連中もいるwww
ところで、下の職業の中に教師とか政治家とか株屋などは入らないのだろうか。フォーブス自身、世界をより悪くしているマスコミ業であるwww

まあ、どんな仕事でも仕事自体が悪いというより、その仕事を利用して悪事を働く人間がいるわけで、その割合が多いのは、「口先商売」である、とだけは言えそうだ。


(以下引用)



「世界をより悪くしている」かもしれない業種 トップ10
 
 


© atomixmedia,inc 提供 人は、自分の仕事が世界をより良いものにすると感じたいものだ。もちろん、誰もが”大いに社会貢献をしている”と主張することはできないが、少なくとも、自分が社会に及ぼしている影響がネガティブなものではないと信じたい。


だが、一部の業界では、自分たちの仕事が社会に悪影響を与えていると考える人々がいるのだ。


報酬情報サイトのペイスケール(Payscale.com)は10月末、働いている人を対象に、「自分の仕事や業界が世界をより良いものにしているか」を尋ねた調査の結果を発表した。


調査は2014年10月3日から2年間にわたり、米国の労働者46万7,883人を対象に実施された。前述の質問に対して、回答者の38%は「世界をより良くしている」、28%は「少し良くしている」、16%は「とても良くしている」と回答。17%が「していない」と回答した。


回答の最後の選択肢にあった「自分の仕事は社会に悪影響を与えているかもしれない」を選んだ人は、回答者全体のわずか1%。その回答者らが働いている業界はさまざまだった。


その1%の回答者にさらに注目すると、彼らが仕事に対して不満を抱いていることが分かる。例えば彼らのうち80%は、今後6か月以内に今の会社を辞めて別の仕事を探す予定だと回答。また仕事内容に満足しているかという質問に対して、「満足している」と回答した人はわずか29%だった。


給与の面では、自分の仕事や業界が世界をより悪い場所にする可能性があると感じている人の平均年収は、4万600ドル(約420万円)と最も低かった。


「社会に悪影響を与えている」という回答が多かった業種の上位10位は以下のとおり。


1.たばこ製造業(11.9%)


2.弾薬製造業(10.9%)


3.農薬製造業(9.4%)


4.住宅ローンのブローカー(あっせん・仲介)(9.3%)


5.小型武器製造業(9.1%)


6.映画配給業(8.3%)


7.ビール、ワインおよび酒類販売店(5.9%)


8.洋服・アクセサリー販売店(5.5%)


8.紙袋・表面加工紙製造業(5.5%)


10.飲酒施設(5.3%)






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世界経済の中のシーソー関係

「しいたげられたしいたけ」氏のブログから転載。
論旨には必ずしも同意しない、と言うか、同意も否定もしないが、このグラフが少し面白いので転載しておく。つまり、グローバリズムの意味を視覚的に表現しているところが有益だ、と思うわけだ。視覚的に、とは直覚に訴える形での表現だということで、それだけに理解が体に浸み込む。ただし、このグラフ自体がどの程度正確なものか、保証は無いとも思う。特に先進国の中低位層の所得はこのグラフの言うように「わずかな増加にとどまっている」のではなく、「明白に低下している」はずである。だからこそ世界的に移民排斥運動や排外主義的傾向などが起こっているのだ。

それはそれとして、先進国の中低所得層の所得減少は、後進国の中低所得層(後進国上位所得層よりこちらが重要)の所得増加との交換関係、あちらが上がればこちらは下がるというシーソー的関係だ、という点はもっと掘り下げて論じる必要がありそうだ。
そりゃあ、お手手つないで一緒にゴールインみたいな幼稚園的「全員平等主義的競争」ができるならそうしてもいいが、それじゃあ「競争」にも「競走」にもならないwww


(以下引用)


2016-11-11

米大統領選におけるトランプ氏勝利と「グローバル化の象」

政治 社会

トランプ氏が下馬評を覆しての勝利を収めた米大統領選が11月8日、奇しくもその2日前の朝日新聞朝刊別刷り「Globe」11月6日付に、こんな記事が載っていた。


globe.asahi.com


記事中のグラフが、とても印象的だった。記事によると、元世界銀行エコノミストのブランコ・ミラノビッチ氏が作成したものとのこと。


f:id:watto:20161111200357j:plain


上掲記事より


現代の国際社会が途方もない複雑系であることは、肝に銘じておかなければならないと常々思っている。わかりやすすぎるものは、時として危険だ。しかし、このグラフはトランプ氏勝因の一端を、わかりやすく示唆しているとは言えないだろうか。


「サンダース上院議員が民主党の大統領候補予備選に敗れたので、共和党のトランプ氏を支持した」とされる層が、少なからず存在すると言われる。それらは、上掲グラフの横軸目盛り80~90%に相当する層だと想像すれば…サンダース氏への期待は100%付近の成長の再分配を期待したものであり、トランプ氏への鞍替えは同氏が50~60%付近を叩いてくれると期待してのことと…


上記は根拠のない私のただの想像である。「Globe」の記事は、米大統領選に直接言及したものではない。記事がどのような文脈でグラフに言及しているかは、直接リンク先を読んでもらうのが一番早いだろう(同日付「Globe」中には米大統領選の記事もあった「[Part3]トランプに託す過去の栄光/米国 -- 反発する民意 -- 朝日新聞GLOBE」)。


ただし、あえて想像を重ねるとしたら、もしトランプ氏が大統領就任後もこれまでの主張に固執するのであれば、同氏の政策が奏効するとは思えないことも述べておきたい。なぜなら上掲グラフ50~60%付近の成長著しい部分と、同氏が選挙戦において攻撃してきた相手は、とうてい一致しているとは言えないからだ。


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今こそが日本独立の最初で最後の機会かもしれない

ダニエル・スナイダーという外国人は写真などを見たことが無いので、本物の外国人か、日本人の偽名かは分からない(その手法を日本のマスコミはしばしば使う。)が、書かれている内容は、まるで日本の官僚が書いたような内容である。
しかし、そうした中にも、幾つか興味深いところはあるので、資料の一種として保存しておく。
まったく、趣旨(日米安保同盟堅持すべし、TPP推進すべし、など)に賛同しての転載ではないが、トランプの日本観、日本人観は、おそらくここに書かれたとおりだとは思う。
さて、こうした日本観を持ち、日本が安保ただ乗りをしている、とトランプが思っているなら、今こそ日米安保条約解消の最初で最後の機会かもしれない。その機会を安倍総理はうまくつかめるだろうか。それとも、どこまでも安保官僚の傀儡のままでいるだろうか。
まあ、谷間の百合さんのように、安倍総理による国軍創設に危惧の念を持つ考えも理解できるが、どうせ安倍などあと数年で死ぬ(笑)のだから、日本が対米自立した後に軍国主義化するかどうかは、新しい時代の人々の問題でいいのではないだろうか。私は、安倍と麻生あたりが死ねば、日本の軍国主義化は退潮すると思っている。とすれば、対米自立こそが、当面の最大の目標でいいのではないだろうか。




(以下引用)





日本人は、「トランプ大統領」を甘くみている 過去の「トンデモ発言」には信念がある
 
 
「トランプ大統領」誕生で、米国と日本、アジア諸国との関係はどう変わるのか(写真: Carlo Allegri/ロイター)© 東洋経済オンライン 「トランプ大統領」誕生で、米国と日本、アジア諸国との関係はどう変わるの…  

 ドナルド・トランプ氏が米大統領選で衝撃的な勝利をはたしてから3日。安倍晋三首相がトランプ氏と電話会談し、米ニューヨークで現地時間17日に会談することが決まった。「緊急会談」の目的は明らかにされていないうえ、政権移行の準備も本格化していない中での会談がはたして良いアイデアかどうかもわからない。ただ、ひとつだけハッキリしていることがある。今回の会談を通じて安倍首相が、米国でいったい何が起きているのか、そしてこれが日米関係にどう影響するのかを知りたがっているということだ。


 トランプ氏の勝利は、民主党、エリート層、さらには共和党員の多くが大敗を喫したというような単純な話ではない。それよりも衝撃的なのは、同氏の当選により、冷戦以降二大政党共通の外交政策の柱となってきた、介入による国際協調主義が明確に否定されたということだ。

「米国は日本にやられてばかりだ」

 2015年6月16日にトランプ・タワーで行った立候補表明の冒頭から、トランプ氏はグローバルな自由貿易システムや、欧州、アジアでの同盟体制の堅持、独裁政治への反対といった国際協調主義の根幹部分のいくつかをやり玉に挙げていた。


 インタビューや演説、討論会、さらにはツイートに至るまで、トランプは繰り返し自らの世界観、すなわち孤立主義へと至るナショナリズムを明確に表明していた。排他主義や人種差別ともとれる言動の対象は、メキシコ人にかぎらず、イスラム教徒、アジア系、最終的にはすべての「外国人」に及んだ。11月8日には相当数の米国人がこのイデオロギーを受け入れ、トランプ氏に票を投じたのである。


 さて、「トランプ大統領誕生」は日本にとって、さらにはすべてのアジア諸国にとってどういうことを意味するのだろうか。それを知るにはまず、トランプ氏の立候補表明演説を思い出してもらいたい。


 「わが国は深刻な事態に陥っています。米国はもはや負けてばかりです。以前は勝っていましたが、今は違います。米国が最後に勝ったのはいつのことでしょうか――強いて言えば、中国と貿易協定を結んだときでしょうか。米国は中国のせいで破綻しています。私はつねに中国をたたいています。ずっとです。米国が日本に勝ったためしがあるでしょうか? 日本は何百万台単位で(米国に)自動車を送り込んで来ますが、それに対して米国はどう対処しているでしょうか。東京をシボレーが走っているのを最後に見かけたのはいつでしょうか。皆さん、シボレーは消えたのです。米国は日本にやられてばかりなのです」


 今回の選挙戦中、トランプ氏は、環太平洋経済連携協定(TPP)を中止し、協定を破棄しないとすれば、再交渉を行うと誓い、北米自由貿易協定(NAFTA)も同様に破棄すると宣言した。NAFTAのせいで日本企業がメキシコに工場を設立し、米国に輸出するに至ったと言うのが彼の言い分だ。


 その数カ月後、英エコノミスト誌とのインタビューで、トランプ氏は日本についての見解を詳しく述べ、米国が軍事同盟を結ぶ必要性に疑問を呈し、貿易不均衡と「雇用流出」について非難。なぜ米国が中国から日本を守っているのか理解に苦しむとして、こう述べている。


 「米国が日本と結んでいる条約は興味深い。なぜなら米国がどこからか攻撃されても、日本には米国を助ける義務はないのだから。それでいて、もし日本がどこからか攻撃されたら、米国は日本を守らなければいけない。そんな取引を米国はしているのだ」


 また、今年3月には、トランプ氏はニューヨーク・タイムズ紙の記者に「もし日本と韓国がさらなる自衛措置を行わなければならない事態が生じたとき、中国と北朝鮮に対処するために日韓が核の開発をしたとしたら反対するか」と質問されている。このときの同氏は、「核兵器拡散に反対」という長年に渡る米国の立場を捨て去ることにほとんど無頓着で、米国の状況次第では、「日韓の核兵器保有はあり得る」と答えている。

外交政策関係者はすでにトランプシフト

 こう見ていくと、トランプ氏が米国と北東アジアの間で結ばれている同盟の歴史的な成り立ちについて、ほぼ無知であることがよくわかる。米メデイアでも指摘されてきたように、日韓が自国に拠点を置く米軍の支援に多大な貢献をしているのを、トランプ氏は無視している。さらに深刻なのは、東アジア全体の平和の維持と安定のために、こういった軍事力が果たす戦略的役割を、どうやら理解していないらしいということだ。


 トランプ氏のこうした見解は、日本ではすでによく知られており、選挙中には米国の外交関係者らが、日本やアジア諸国の指導者・関係者に対して、「(トランプ氏やヒラリー・クリントン氏の言動は)選挙活動のために誇張されているだけ」と伝え、安心させる努力をしてきた。


 彼らはもともと、クリントン氏が当選することを前提に動いていたが、選挙結果が判明した数時間後には、トランプ氏の「後援」にまわり、同盟国や友好国に対して「トランプはああ言っているが、結局は戦後の国際主義に戻る」と伝えると同時に、進行中の外交政策を共和党ベテラン勢に引き継ぐ作業を始めた。たとえば、知日派で知られるリチャード・アーミテージ氏は選挙中トランプ氏を批判していたが、すでに接触可能なトランプ陣営の高官たちに歩み寄ろうとしているようだ。


 これは非常に堅実なアイデアであるうえ、トランプ氏側がこれを受け入れる可能性もある。同氏の側近には、外交や安全保障、そして国際経済政策を担える人材も少なからずいる。が、多くの役職を埋めるには、共和党の保守本流の人材(その多くは独断的な米国による介入など、いまだに古典的な外交政策の原則を支持している)を使わなければならない。


 一方で、トランプ氏が外交政策において、共和党保守本流に「外注」を頼むことはないだろうという、理由もいくつかある。第一に、トランプ氏はこうした高官たちから何も恩恵を受けていない。同氏は彼らから資金援助を受けていないし、選挙スタッフにも共和党の中核派は含まれていない。同氏は、自ら共和党の支持基盤やイデオロギーを変えることで同党のリーダーになったのである。


 もうひとつの理由は、少なくとも1980年代後半の日米貿易摩擦の時代から一貫して、トランプ氏は上記の述べたような見解を示してきたことだ。つまり、彼が言っていることは、選挙対策でペンシルベニア州の元製鉄所工員たちにアピールするために作られたスローガンではない。これは、トランプ氏の強固な信念であり、それを放棄する気配は今のところ見られない。

「日本人に食い物にされている」

 トランプ氏のゴーストライターが書いた『The Art of the Deal』(1987年)では同氏がどのようにビジネスを行うのかが説明されているが、その中で同氏は日本人とのビジネスがどれだけ難しかったか不平をもらしている。その年、同氏はニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、ボストン・グローブ紙に、日本の防衛のために米国がカネを出しているすきに、意図的に安くされた円を基盤に日本が強い経済を築いたと、日本人を非難する全面広告を出した。


 さらに翌年、テレビ番組の司会者として彼はこう言った。「われわれは、日本を祖国に入れて、何でもかんでも投げ売りさせている。こんなのは自由貿易じゃない。もし日本に行って何か売ろうとしているなら、そんなことはやめちまえ」。


 さらに、日本人がニューヨークの不動産を買いあさっていた1990年に行われたプレイボーイ誌のインタビューでは、トランプ氏は日本を信用ができない、二枚舌の同盟国であると辛らつな表現を使って非難した。


 「日本人は最も優秀な科学者にクルマやビデオ機器を作らせている。そしてわれわれは最も優秀な科学者にミサイルを作らせて日本を守らせている。なぜわれわれは、支払った費用の補償を受けていないんだ? 日本人は米国を2重に食い物にしている。まず米国人に消費財を売ってカネを得て、そのカネを使ってマンハッタンを丸ごと買おうとしている。どちらにしても、われわれの負けだ」。


 彼の最近の言動から見ると、トランプ氏の考えや日本への見解は1980年代からまったく変わっていない。変わったのは、中国や韓国、ベトナムに対しても同様の見解を持つようになったことくらいだ。


 ここで重要なのは、実際にトランプ氏がこうした見解を維持したまま大統領に就任し、この見解に基づいた政策を実行するかどうかである。まず、貿易については、トランプ氏がTPPの批准を支持するとは考えがたい。続けるとすれば、振り出しに戻して交渉を再び行うことを求めるだろうが、最悪の場合はTPP自体を単純に拒否するだろう。


 さらに最悪な場合は、NAFTAの撤回もありうる。そうなった場合、日本政府は現実を受け入れなくてはならない。メキシコやカナダに工場を持っている企業も、大きな戦略転換を迫られるかもしれない。

中国は「プーチン化」する?

 より予測が困難なのは、日本と米国の安保体制だ。米首都ワシントンの当局者たちは間違いなくトランプ氏に、日米同盟が、台頭する中国を押さえるために必要不可欠であることを説明するだろう。すでに、トランプ政権による準孤立主義を利用して、中国がより積極的な行動に出るのではないか、との憶測が広がっている。米フォーリン・ポリシー誌のジェームス・パルマー記者は、「中国は、トランプの中国に対する無知につけ込みながら、プーチン風にトランプを褒めそやすかもしれない」と書いている。


 これによって、アジアのいくつかの国は、時流に乗って中国側につくかもしれない。また、日本、韓国、台湾のような国が、米国に見捨てられる恐れに駆り立てられ、米国の抑止力による保証に代わりとして、自ら核兵器の開発を目論むこともまったくないとは言い切れない。


 一方、強烈な国家主義のレトリックに身を包んだ人物がトランプ政権にいて中国を挑発しようとした場合、日米同盟の価値が再び明白になるだろう。そもそも、トランプ氏自身、中国と南シナ海問題でもめることは望んでいないだろうし、ましてや東シナ海の防衛力増強など考えていないはずだ。中国にしたって、中国製品に巨額の関税を課し、米国企業の工場を中国外に移転すると話しているトランプ氏を刺激したくないはずだ。


 当選以降、トランプ氏の「軟化」が取りざたされているが、同氏が早々に自らの考えを捨てたと考えるのは早すぎるだろう。


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