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愛着を受けた物はただの「物」か

私は宝石よりも、草や木の葉の上の露の玉が日の光で輝いているほうがずっと美しいと思う人間だが、それすらも何かへの執着であるわけだ。だが、執着をまったく持たないということは、生きること自体の否定かもしれない。私の考える仏教とは、芭蕉の「俗を捨てて俗に帰る」に似ていて、「生を捨てて生に帰る」であり、愛も憎悪もすべて捨て去った心境では、木石同然の存在でしかなく、そういう生に意味があるのかどうか、少々疑問に思っている。

物への執着、愛着というのは、人それぞれである。愛着や執着とは、悲しみや苦しみの原因にもなるが、生の重大な要素であり、時には生の意義ですらある。

少し前の「断捨離」ブームは、私にはあまり気に入らなかったのだが、それは何かを不要として切り捨てる、その行為自体に、「残忍さ」「軽薄さ」を感じたのではないか、と今にして思う。
もちろん、我々は日々何かを切り捨てないと生きて行けない。だが、自分にとって不要だとしたその何かの「精神的意味」を十分に考えた上で「断ち」「捨て」「離れて」いるのだろうか。はたして、子供の机の中の石ころやドングリは、母親の化粧箱の中の高価な化粧品より無価値なものだろうか。自分自身の所持品だけで考えても、長年使った物は、精神的に自分自身の一部になっていないだろうか。


(以下引用)




            

  1. …他人のものだからぞんざいなのかと思いきや、その人自身 亡くなった夫の持ち物全て処分してるし(夫婦仲は良かったのに)成人した子どもたちのアルバムなんかも一切残してない。自分が趣味で描いた絵や手芸も終われば捨てると徹底してて「それ大事な物だから」を全くわかってくれなかったそうな。
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  3.  
    1. …あ、でもふと思い出したけど、信じ難いレベルで 物に執着しない人ってのもいるんだよね。父が死んだ後、母の手伝いに来てくれた近所のおばさんが父のゴルフのトロフィーとかどんどんゴミ袋に突っ込んでて、母が何するの!って驚いたら「え?だって死んだんだからいらないでしょ?」ってキョトン(続
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    3.  

  1. 他人が大切にしてる物を粗雑に扱う事は絶対してはいけない。それに金銭的価値が有ろうが無かろうが、たとえ貝殻やドングリだろうが、自分の価値観ではどれだけつまらない物だとしてもそれを大事にしてる人にとっては大事に思う気持ちの大きさの分だけ傷付くのだと言うことを知ってほしい(´;ω;`)



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休日には少し足を延ばして

宇多丸と言っても桂歌丸師匠じゃないよwww ネット界の一部では有名な映画通(映画評論家と言うべきか)らしい。岡田斗司男は「オタキング」を自称するオタクの帝王、らしい。町山智浩は、これも映画についてはきびしい評論家、らしい。こうしたうるさ方の面々が、この映画に関しては手放しで絶賛しているわけである。映画会社に媚びて甘々の映画評を書いているのとはまったく違う、「信じられる評価」であることがわかるかと思う。まあ、あまりに誰もが絶賛するから、それだけで「大政翼賛会的だ」と臍を曲げて観に行かないつむじ曲がりもいるかもしれないが、同じ時代に生きて、こういう傑作を見ることができた、という幸運をそれでは取り逃がしてしまいます。そういう、同時代に生まれ合わせることの幸運、というのもある。
たとえば、「七人の侍」のデジタルリマスター版を今見ることと、その映画が初公開された時に、他の人々と共に映画館でそれを観た経験とでは、異なる、ということだ。
別のツィートだが、同じ映画館でちばてつや氏らしい人物がこの映画を観ているのを目撃したというツィートもあり、それもなかなか羨ましい偶然だが、そういう偶然の出会いも、ある場所に出かけることでしか起こらない。何もかも手近なところで間に合う時代だが、少し足を延ばすことで得られる小さな幸運(それが一生の心の財産だったりする。)もある。


(以下引用)


            

  1. 宇多丸が「この世界の片隅に」について「とりあえず5000億点」とか「クラウドファンディングしときゃよかったー!」とか完全にただの作品好きなオタクと化しててわろてる
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  3.  
  1. この世界の片隅に 町山大賞 キネマ旬報レビューオール星5 岡田斗司夫100点満点 宇多丸5千億点 グランドスラムだ
  2. 189件のリツイート 141 いいね


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あなたのおカネ預かります

で、その凍結口座は銀行の資産に繰り込まれるのか? いい商売だねえ。だから、銀行にカネを預ける時には、いろいろと注意して。まあ、そもそも他人にカネを預ける時点で、騙されない用心が必要なんだが、なぜか銀行だと頭から信じてしまうのが庶民である。
さて、タンス預金は泥棒の標的になるから、家にカネを置いておくのも危険だが、一番いいのは、カネの無い暮らしか。少なくとも、カネを盗まれる心配だけはないwww 政府が庶民にカネを持たさないのは、あれは一種の親ごころだったのかwww

真面目な話、本人死亡で凍結された口座は、どう処理されることになっているのだろうか。当然、一定の手続きを踏んで遺族に返されることになっていると思うのだが、どうなのか。下のツィートの「死亡届」と「死亡証明書」の違いもよくわからない。そもそも死亡届はどこに出すのか。死亡証明書はどの機関が出すのか。死亡証明書があれば遺族による銀行預金引き出しは可能になるのか、それともさらに面倒な手続きが要るのか。
まあ、一番いいのは、死なないことだwww あるいは、死ぬ前に銀行からカネを全部降ろしておくことだ。もっとも、「生前贈与」した後で長々と生きるということもありそうだ。そうすると、現代版「リヤ王」になったりして。





            

親の葬式出したことがまだ無い人は 覚えておいて欲しいのね。 死亡届が出ると本人名義の 銀行口座が凍結されて 引き落としできなくなる。 死亡証明書がでたら、 どんな手を使っても真っ先に 口座から全額下ろさないと、 明日の食費すら無い事態になりかねない。


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全国民生活保護待ったなし

年収330万円で高額所得者ってwww こりゃあ、まともに働いていたら生活保護費以下の年収しか得られない。もはや、国民全員平等に生活保護、待ったなしだwww まあ、月額一人頭10万円でも給付されたら、家族4人なら40万円の家族所得で、年額480万円の高額所得者であるwww そうなれば、独身者より家族が多いほうがいい暮らしができるから、若者はどんどん結婚する。子供は増えて、日本万歳だ。まあ、生活保護だけの日本人が増えるんだがな。

誰がこうしたかと言えば、もちろん小泉と竹中である。そしてそれを加速したのが安倍だ。


(以下「ネットゲリラ」から転載)

世の中、下には下がある

| コメント(17)

所得格差という話なんだが、給与所得者のうち、年収1500万以上は上位1パーセントだそうで、年収1000万で上位5パーセント。まぁ、そんなもんだろう。「不労所得」が入らないと、いくら給料高くても知れたもんだ。不動産収入とか、株の配当とか、上納金とかw 寝ていてもそういうのが入って来て、初めて、金持ちです。でも、そういう金持ちは日本には少ない。それは相続税がガッポリ持ってかれるので、資産を継承できないんですね。

上位1%の超富裕層と聞くと、プライベート・ジェットに乗っているような大富豪を想像するかもしれません。
米国など諸外国の場合にはあながちウソではないのですが、日本の場合、だいぶ様子が異なります。
ピケティ氏が利用している、世界の所得格差を調べたデータベースによると、2010年における日本のトップ1%の平均年収は約2100万円です。しかしこれは平均値ですので、所得が極めて高い一部の人が数値を押し上げている可能性があります。
別なデータを見てみましょう。国税庁の調査によると、給与所得者のうち上位1%に該当する年収は1500万円以上となっています。

年収600万で上位10パーセント、年収330万で上位20パーセント、という数字も出ているんだが、「え? そんなに少ないの? オレって高額所得者?」という声もあるんだが、考えてみりゃ、どこに行ってもバイトやパートさんばかり。例えばスーパーマーケットで20人働いているとしても、店長は一人しかいないし、正社員も何人いるのやら。一方でパートさんが20人中15人くらいいる。飲食はもっと凄い。正社員が一人もいない牛丼屋なんてアタリマエw 時給で働くパートさんばかりの世の中では、そら、年収330万でも高額所得者ですw




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雪と紅葉

「雪と紅葉」というのは「雪と金閣」くらい映える。いや、それ以上か。京都も今の時期に雪が降れば、「雪と紅葉と金閣」という凄い組み合わせになるのだが。




            

今日は雪景色の写真が多くタイムラインに流れていますが、座間のこの雪景色はとてもすてきでした。まるでどこかの庭園みたいな感じじゃないですか。市内緑ヶ丘のかにが沢公園だそうです。 こちらも写真は座間のFacebookページ「WE LOVE ZAMA」からの転載です。




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「この世界の片隅に」のテレビシリーズ版を熱烈期待!

「そんあな」は「そんな」の誤記か? まあ、絶対に無理、などと言わずに、ぜひテレビシリーズ化して、毎年毎年、繰り返し放映されるようにしてほしい。かつての大阪では「じゃりン子チエ」はそうだったらしい。実は、原作はある意味、短編を続けて長編にしている(毎回オチがある)作品なので、テレビシリーズアニメのほうが向いているのである。テレビシリーズなら、映画では「不真面目に見えるのではないか」という危惧からかと思うが、カットされた楠公の「まじ美味し!」も見られるだろう。私はあのギャグが一番好きなのである。遊女のりんさんのエピソードもきちんと見たいし。
まあ、「鉄は熱いうちに打て」ですよ。今が、決断する最上のチャンスです。
テレビシリーズ用に新たに作った版と映画版を20分ずつ交互に放映していっても12回シリーズになるだろう。映画版で、編集段階で切られた部分もあるのではないか。あるいは、脚本から削られた部分もあるのではないか。それらを再利用するのは、別に「完璧な映画版」への冒涜ではないと思う。むしろ、原作の豊穣さに対する誠実な行為ではないだろうか。

実は、昔、NHK朝ドラで「この世界の片隅に」の実写ドラマ化をしてくれないか、と考えていたのである。その時、主役のすずにはのん(当時は能年レイナ。名前の漢字は失念)がいい、いや、彼女しかいないと思っていたのだが、それがアニメの声優として、ある意味私の希望が実現したのである。願い事は、それが世間のためにもなる場合はかなうことが多いものだ、と思う。今回の「この世界の片隅に」のクラウドファウンディングによる実現は、多くの人の願いが生み出した、一つの奇跡のようなものである。


なお、「浅利与一義遠」は漫画家のあさりよしとお氏で、私の好きな漫画家の一人である。あまり知名度は高くないかと思う(失礼!)ので、応援の意味もあって最新作はちゃんと新刊で買いました。


(以下引用)




片渕須直 この世界の片隅に 上映中@katabuchi_sunao 11月17日

そんあなプランも最初の企画書に書いたかねえ。 映画で120分作って、あと120分作り足すだけで、テレビシリーズ12本……。 ……。 無理です。絶対に無理。


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異文化交流と経済的グローバリズムの混同をすべからず

「ネットゲリラ」から転載。
私は、外来種のアイデアを洗練させて日本独自と言っていいほどのものに高めること自体が日本の文化だと考えているので、そのアイデアがどこの国の起源かなどという問題にはまったく興味が無い。欧米人がよく言う、日本は猿まね文化だ、という悪口は悪口になっていないと思っているわけである。新しい発想は「軋轢」や「衝突」から生まれるのだから、軋轢や衝突自体を避け、それが「存在しない」ことにすらする日本人が新しい発想などできるわけがない。異人種間の衝突や軋轢が日常的である、日本以外の国だからこそ、その衝突や軋轢のなかで新しい発想も生まれるのである。異文化に触れ、その中にある「見知らぬもの」に触発されることで新しい発想も出てくる。(「新しいもの」に圧倒され、萎縮してダメになる、ということもあるwww大学の新入学とか、初めての会社就職とかは、まさに「異文化」との遭遇だ。)
それが異文化交流の意義だが、単なる経済的なグローバリズムは、「安い労働力を労働単価の低い国に求める」だけの話であり、それに伴って労働単価の高い先進国では賃金低下と国民貧困化が自動的に生じるから、私は反対し続けてきたのだ。なお、江戸末期の開国体験で、日本は外国による金銀交換比率の差を利用した詐欺的取引で国家全体の貧困化を招いている。これが最初の経済的グローバリズム体験である。
ついでに言えば、低賃金国の労働単価もしだいに上がるが、儲けるだけ儲けた資本家は新しい貧乏国に労働力を求めて生産地を移転する。それが一巡し、経済的なフロンティア(未開の地)が無くなれば世界中が同一労働同一賃金という、ユニクロの柳井が言っていたような時代になるわけだ。だが、それは現在の先進国の労働者の賃金が最低水準に落ちるということだ。まあ、その最低賃金でも幸福な生活が送れるような社会体制を考えだし、構築していくのが「頭のいい人々」の課題になるのではないか。
現在の日本は、結婚すらできない若者を大量に生み出しているが、それによって若者が「プロの独身」として幸福な生活だと言うのなら、年寄りなどが何を言うこともない。だが、そうすると、子供はますます生まれなくなるし、移民労働者はどんどん増えていくことになる。つまり、在来種の「日本人」は存在しなくなるわけである。
現在は「金融資本主義」が終わって、企業自体が在来的な金融業を不要とする時代に変わりつつあるのだと私は見ている。つまり、大企業の資産蓄積によって銀行などは不要な存在になりつつある、ということである。もちろん中小企業は銀行融資を喉から手が出るほど欲しがっているが、リスクの大きい中小企業に銀行はカネを貸さない。大企業は銀行融資を必要としない。それで銀行は日本国債を買うだけで何とか生き延びているのだが、そんな銀行に何の存在意義もあるわけもない。まあ、庶民の貯金箱の意味だけである。その貯金に「マイナス金利」までかけるとなれば、誰も銀行にカネなど預けないwww


(以下引用)

茶は、南方の嘉木なり

| コメント(14)

茶道の起源が日本だ、という話なんだか、中国には8世紀に既に「茶経」というのがありまして、お茶に関する百科事典みたいなもんだが、その時代にはお茶の知識が教養にまで高められているわけだ。凍頂烏龍茶の生産が盛んな台湾では、「お茶を飲む時に聴くCD」なんてシロモノまで作られている。もちろん、お茶を点てるお作法というのもある。東南アジアで何度も体験した。日本の茶道は独特だが、オンリーワンではない。

記事によると、中国由来なのに日本のものだと思われている九つのものとは、桜、和服、相撲、下駄、茶道、畳、華道、芸者、さしみだ。
これに対し、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。
「日本文化の8割は中華由来だと言える」
「中国が由来だから何だっていうんだ?中国人は大事にしているだろうか?」
「日本人はこれらのものを輝かしいものにしたが、われわれはしなかった。誰を責めるというのだ?」
「こんなことを言っても意味がない。われわれのものであっても継承していないのだから」
「日本は古典と現代の融合が完璧な国だと思う」
「われわれの文化や礼儀が、敵とみなされている国で保存され伝承され、われわれの方はきれいさっぱり忘れてしまったというのは、実に悲しむべきことだ」

茶経というのは、いまだに世界一のお茶の教科書です。なかなか良い本です。いまではネットで全文読める。著作権を主張する人はいないw

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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