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「持ち家・賃貸」比較記事はほとんどステマ記事

本文記事はくだらない内容だったが、コメント9に同感したので、コメント4ともども転載した。
ネットでは実に頻繁に「持ち家より賃貸がいい」という趣旨の記事が登場するが、その理由は、「読者のためではなく、不動産業者のため」であるところに注意を促したいわけである。
こういうのを「ステマ」つまり、「ステルスマーケティング(見えない宣伝広告)」と言うのはご存じのとおりだ。

賃貸より持ち家がいい理由はコメント4が言っているとおりだ。
毎月の家賃に給料(収入)の3分の1から4分の1くらいが消えていき、しかもそれは後に何も残さない、ということのストレスは思っているより大きい。会社を首になれば、明日からは住む家もなくなるわけだ。
(ただし、コメント4氏は、文章冒頭の言と残りの部分が矛盾している。「今ではなくて昔からそうだろう」という言葉は、「持ち家より賃貸がいい」という、記事本文内容を肯定するものだのに、コメント後半では「賃貸より持ち家がいい」としか読めない内容になっている。)

食費や衣服費などは切り詰めることができるが、家賃は切り詰められない。公共料金や税金や健康保険料もそうだ。(国民健康保険は、低収入ならば、役場に言えば減額されるが、言われたとおりに払うとなると、法外な金額である。他人の高額医療費を、医者にも行かない人間が支払っているわけだ。これは相互扶助というだけで片付けられる問題ではない。無駄な医療が膨大にある、というのが一番の問題なのである。)
そのように、「絶対的支出」の金額が増えた分、「切り詰められる支出」はどんどん切り詰められ、その結果デフレになり不景気になる、という悪循環に今の日本社会は陥っている。

まあ、持ち家があれば、ストレスがだいぶ減ることだけは確かである。


(以下「阿**」から引用)



今あえて「持ち家」より「賃貸」がいい、これだけの理由(NEWS ポストセブン)
http://www.asyura2.com/16/hasan112/msg/258.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 8 月 21 日 07:18:15: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 
 
 
 

             買ったつもりで賃貸に住めば貯蓄もできる


今あえて「持ち家」より「賃貸」がいい、これだけの理由
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160821-00000010-pseven-life
NEWS ポストセブン 8月21日(日)7時0分配信


 


(本文記事全文省略www)


   


 






コメント
 



 




 


4. 2016年8月21日 13:39:36 : 4Lt0stQCX6 : O33YHbrUcio[11]
今ではなくて昔からそうだろう。
賃貸10年以上の俺の経験から言わせてもらえれば、問題は如何にして良い物件と良い大家に出会うかなんだな。
そういう意味では官舎や社員寮に住める高級官僚や大企業社員は給料以上に有利な生活を送っているわけだ。
下っ端庶民は悪条件の賃貸や大家に耐え続けねばならず、結局は持ち家を買った方がストレスの少ない生活を送る事ができる。
だからある一定の年齢に達すると、みんな家を買うのだ。金はあの世に持って逝けないから残しても仕方がない。







 




 




 



9. 2016年8月23日 09:10:55 : n0IVto845F : 1ycz0hDbxuE[19]
ただ単に、賃貸が減って不動産が儲からないから賃貸しろとか宣伝してるだけだろう。

一番いいのがローンせずに中古物件を買うこと。


そしたらローンの無駄金をすべて自分の生活に使え、しかも金に困れば家を売れる。


新築なんて金持ちや将来設計が出来ている人向けだよ。10年もすれば半額に値下がりするしね。




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夏バテと夏痩せ

まあ、これが年よりのミスなら認知症を疑っていいレベルである。
ミスが何なのか分からない人は写真を良く見ること。
私はこの前、インスタントみそ汁の小さなパックを開け、切り取ったプラくず部分を流しの三角コーナーに捨てるつもりで、味噌の方を絞り捨ててしまったorz 老人力(既に死語か?)がかなりついてきたようだ。右手と左手で同時に別の作業をするからこうなる。そのうち車のアクセルとブレーキを間違えそうであるww
しかし、下の話で、亭主のほうが「怖々」聞いてきた、という部分も笑える。

最近は「夏バテ」という言葉は聞くが、「夏痩せ」という言葉はあまり聞かない。特に肥満体の男女は夏痩せもしないようである。夏くらい痩せろよ。暑苦しい。昔の女性は「恋患い」とか「夏痩せ」とか風情があったものだがwww

「夏痩せ」と答えて 後は涙かな

これは確か竹久夢二の句だと思う。もちろん、元の句にはカギ括弧はついていない。分かりやすくするために私が付けたのだが、余計なお世話かもしれない。




(以下引用)

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スポーツという「遊び」に人生の大半を捧げる生き方

「リテラ」から転載。
5ページもある長い記事だが、その最初のページだけ転載した。
この問題提起だけでも十分であり、後は読む人がそれぞれ考えたほうがいい。
私はスポーツ観戦は好きだが、スポーツを過度に称賛する社会風潮にはうんざりすることも多い。たとえば、京都マラソンなどで、市内への車の乗り入れ禁止とか、迷惑この上ない。商店なども商売の邪魔だろうに、よく文句を言わないものである。何で、あんなにスポーツやスポーツ選手は優遇されるのか。ある意味、彼らも「上級国民」である。まあ、その末端だ。

彼らの辛苦と努力は凡人にはマネのできない凄いものだが、はたして、そういう人生を自分が送りたいかと言われたら、まったくノーである。哀れな人生だと思う。
嫌味な言い方だが、お前は名馬に生まれてGⅠで何勝もして人々から称賛されるのと、一生ホームレスで、人にさげすまれて生きるのとどちらがいいか、と聞かれたら、私は後者を選ぶ。スポーツ選手の生き方は、私には競走馬の人生にしか見えないのである。
これは音楽家(演奏家)でも同じことだ。他人の娯楽のために自分の人生を捧げているようなものだ。(他人の娯楽に奉仕して生きていると言えば芸能人も同じだが、今の芸能人は楽をしてカネを稼いでいる。芸人は鍛錬が必要だが、芸人と芸能人はまったく別の種族である。)はたして、それは偉いのか、馬鹿なのか。



(以下引用)

伊藤美誠、白井健三、池江璃花子…五輪選手の親はみんな“毒親”なのか? 感動物語の裏で虐待スレスレの英才教育

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 日本選手たちの期待以上の活躍、メダルラッシュに、日本中が湧き返っているリオ五輪。マスコミも五輪一色で、朝から晩まで感動物語を伝え続けている。


 その盛り上がりに水をさすつもりはないが、一方で、どうしても違和感がぬぐえないのが、メダリストが誕生するたびに報じられるあの“親と子の絆”の話題だ。「5歳の頃から父親が徹底的に鍛え上げてきた」「小学生の頃から母親と二人三脚で夢に向かってきた」……親による英才教育エピソードがやたら美談として垂れ流されているのを見ていると、思わず「大丈夫かよ」とつぶやいてしまいたくなるのだ。


 たしかに、リオでメダルを取ったり活躍をしている選手は、親が小さい頃からつきっきりで英才教育をしていたケースが多い。体操の内村航平、卓球の福原愛、レスリングの吉田沙保里、重量挙げの三宅宏美など、五輪の常連選手はもちろん、今大会ではじめて注目されたニューフェイスもほとんどがそうだ。


 たとえば、15歳で卓球女子団体の代表選手に選ばれ、銅メダルを取った伊藤美誠選手は、元実業団選手だった母親が妊娠中から胎教で卓球の試合実況中継を聞かせ、3歳の頃から毎日7時間ものスパルタ訓練をさせていたという。


 16歳という若さで6位入賞の快挙となった水泳の池江璃花子選手も、元陸上選手だった母親から徹底的な幼児英才教育を受けてきたことで有名だ。0歳から運動能力向上のためうんていにぶら下げ、2歳には逆上がりができるようになった。


 女子レスリング63キロ級で金メダルをとった川井梨紗子選手は、両親とも競技経験者でレスリング選手という一家だ。とくに母親は全日本で優勝経験もあり現役時代五輪を目指したが、当時、レスリングは正式種目ではなかった。川井は小学2年生のときから母のその思いを引き継いだというエピソードが大々的に報じられた。


 体操男子団体で金メダル、種目別で銅メダルを獲った若手のホープ・白井健三選手も両親が元体操選手で父親はジュニア体操クラブを運営していた。幼少期に特注のトランポリンをつくり、両親と二人三脚でひねりの才能を開花させたというエピソードが紹介されていた。


 また、体操に関しては、今回のリオ五輪に出場した団体選手5人のうち実に4人は実家が体操教室を営んでおり、同じように幼い頃から英才教育を受けていたという。


 とにかくどの選手も、「小さい頃から親と……」のオンパレード。親が同じ競技種目をやっていた元アスリートで、徹底した英才教育を行っていたケースもかなりある。


 でもこれって、本当に美談として賞賛されるような話なのだろうか。むしろ「3歳の頃から毎日7時間トレーニング」とか「0歳から運動能力向上のためにうんていをさせる」とか、一歩間違えば“毒親による幼児虐待”ではないのか。




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人間関係のギャップという問題

宋文州のブログから転載。読者コメントも興味深いので、取捨せずに全部載せた。一番最後のコメントは、嫌味だなあ、と思うが、それも載せておく。
「従僕に(とって)英雄無し」という言葉があるが、成功した人間も日常では凡人でしかないのは当然の話だ。凡人のほうが幸福ですらあるのではないか。
いずれにしても、面白い文章である。「外的生活」と「家庭生活」のギャップという問題だけではない。成功すると、凡人時代を知る人間は疎ましくなる、という心理は確かに多くの成功者に見られるようだ。逆に、成功者を「自分のレベルに引きずり下ろしたい」という嫉妬心は多くの凡人に共通する心理だろう。


(以下引用)


なぜ成功した人に離婚が多いか

成功すれば傲慢になるからです。結婚相手の恩義を忘れるからです。成功者を誘惑する人が寄って来るからです。より良い相手を見付ける能力を持つからです・・・
以上の答えの中に多分、あなたの思いにぴったりの答えがあると思います。(ない場合、ぜひブログやfacebookのコメント欄に書いてください)

人は成功する前、皆成功していない凡人です。凡人同士が結婚してお互いに相手の欠点が見えてきます。結婚する前の恋愛感情で盲目になり見えていなかった欠点が結婚数年後に次第に見えてくるのです。

離婚しないのは離婚コストが掛かるからです。もちろんここで言うコストとは単なる経済的なコストだけではなく、モラル的なコストから育児的なコストまで或いは世間体的なコストなども含まれています。さらに言うとなかなか今の相手よりもっと魅力的でもっと自分に熱心な相手が現れないからです。

それでも世界的に離婚の確率は4割を超えているのでコストがかかっても我慢せず離婚を選んだ人が半分に近いとも言えます。最後まで我慢している夫婦も計算に入れれば、最後まで維持できた幸せな結婚は2割前後だろうと私は勝手に推測しています。

離婚において成功した人と普通の人との違いは成功前後の環境の違いにあります。凡人の彼あるいは彼女は成功した後に急速にカリスマや特殊な存在になっていくのです。特に成功者の周りでは人材の流動性が高く凡人時代の彼や彼女を知らない人がどんどん増えて行きます。

気がつけば成功者は徐々にみんなの注目と羨望の的になります。彼らを褒める言葉と尊敬の眼差しに次第に慣れていくのです。正直、成功したのに羨望の眼差しや褒める言葉を心の底から拒否する人はいません。なぜならばそれこそが成功したい重要な理由の一つだからです。成功していない人もそのような眼差しと言葉を喜ぶはずです。ただ成功していないから手に入らないだけだからです。

ところが、成功した彼や彼女が家に戻ると別世界が待っています。成功の事実を知っていても凡人の彼や彼女を知っている相手にとって、成功以外は何一つ変わっていないのです。相変わらず排泄し、体の欠点を晒し出し、些細なことでイライラする凡人の姿です。成功するまでの彼や彼女を支えた自負(本当は普通にしてきただけの場合が殆どですが)と、彼や彼女を見付けた自慢が混ざり合って、凡人以下に見える相手にはとても尊敬や羨望もできません。

人によってはこんなしょうもない凡人も成功できるならば私がやればもっと成功できるはずだと思う人もいるでしょう。

北海道の岩やコンクリートは本州より何倍も早く壊れます。理由は冬の寒さです。寒い外気に触れる側面は零下20度にもなりますが、奥にある側面は暖かいのです。温度差が大きいほど、物質は歪みが大きくなり、壊れやすくなるのです。実は人間の心もこの物質に例えられます。成功前から結婚している相手から受ける昔のままの態度と、成功後の環境下でその他の人達から受ける態度の温度差が大きくなればなるほど、成功者の心に歪みが生じるのです。放置した場合、やがて耐えられなくて破綻するのがむしろ普通でしょう。

成功すると昔の相手に飽きてより美しくより若い相手が見付かると思いがちですが、決してそれだけではありません。年齢と外見で大差のない相手と再婚した人はたくさんいます。離婚につながった最大の理由は旧相手側から見えない中と外の態度の違いです。

実は同じ心理は同僚や部下が社長になった時も起きます。
「何偉そうに言ってる。昔あいつだって同じドジを踏んだ。」

「○○君は俺の三つ年下だよ。あいつの新人教育は俺が担当した。しかし、社長になるとは思わなかったな。」

「あいつが社長になったのは単なる運だよ。上に好かれているだけだよ。」

どうですか?あなたはこんな話を聞いたこと、言ったことがありませんか?実はこれらの話は外れている訳ではなく全部当たっているのです。しかし、このような話をする人は間違いなく社長と同じ、あるいはもっと長く会社に居ながら、出世できない人々です。社歴の短い社員(年齢と関係なく)には決して思い付かない文句です。

出世できないのは悪くありませんが、出世できないのにずっと居座って出世した仲間や後輩の悪口を言うのが悪いのです。そんな態度をついついとるから若手の社長や上司にとって離婚したい相手になるのです。まあ、会社の場合は社長が我慢するしかありませんが。

どうですか?今日は単なる成功者の再婚率の話だけではないことに気付きましたか?
この記事へのコメント
良い話です。私の経験と同じです。中では社長、外では、先生と言われて生活をしているうちに家に帰って来ると腹が立つことが多くなりました。何故か?気がつきました。女房だけが社長でも先生でも無かった当時と同じ口の利き方をしているのです。
Posted by 田口立基 at 2016年08月19日 08:33
成功者が、偉くなったと勘違いすることが一番の問題だ。
とはいえ、相手の欠点に堪えられない状況ってのも問題ですが。(-_-;
Posted by カルロス青木伸哉 at 2016年08月19日 09:06
どんな人の人生も多面的で教訓に満ちたものですね。社長どころか、その後経済団体に熱心に活動した人が、とんでもない発言をしてみたり、思わぬ人生を送る人も時にはいますから。
これとは別ですが、巨額の宝くじに当たった人の半分以上が数年後には自己破産をしていると言う統計を聞いた事とがありますが、これはこれで勉強になりますね。
平凡な人生が終わりに近づいている小生にとっては勉強になる程度ですね。
Posted by 旧旧車 at 2016年08月19日 09:08
漢の始祖の劉邦と呂雉にも同じことがいえるのでしょうか。劉邦の没後、生前の皇帝に推戴されて以降の劉邦に何のリスペクトもない極端に専横的な振る舞いを見せた呂雉の態度と行動の変化はこの話の例なのかなという気が。
Posted by 小林祐也 at 2016年08月19日 09:37
なるほどと思いました。そこで一つ質問です。
宋さんは、我慢して結婚生活を続けますか?それとも我慢しないで離婚しますか?

私は後者を選びました。けして成功者ではありませんが、離婚するコストはその後の生活で回収できプラスにできたと感じます。

この話は、主従関係である関係にすべてあてはまりそうですね。
Posted by 黒田 at 2016年08月19日 09:44
いつも拝見しています。上から目線的で申し訳ないのですが、『そのとおりだ!』と思うことが大半で、時に、「偏ってるな」と思うときもあります。
ところが今回のは秀逸です。目からうろこの着眼の素晴らしさと現状分析です。
宋さんのご夫婦はどうなっているのでしょう。最後の2割なのでしょうね。
今後も素晴らしいレポートをお待ちしています。

Posted by 上野 則男 at 2016年08月19日 09:58
いつも楽しく読んでおります。
今回のお話は特に『キレ』が良くて、ついコメントしたくなりました。
次回も楽しみにしております。
お身体、ご自愛ください。
Posted by 小原 at 2016年08月19日 10:31
わざとだと思いますが、ほとんどの人がひっかかると思いますよ。
「成功」ってなにか?

すべて他人のものである大企業での肩書きなんて私からしたら「成功」でもなんでもありません。

私は自分自身の人生は成功だと思っています。
その成功ノウハウを家族とわかちあっています。
そうやって、成功の本質を教えた子どもたちは他の人より早く、そして私よりも「成功」してくれると思っています。

成功とは人それぞれの人が己の価値観で決めることであり、他人がうらやましがる「成功」は本当の成功かどうかはわかりません。

自分の価値観を確定させることは、一生かかります。にもかかわらずなぜカンタンに「成功」を定義できてしまうのか?

中国でいうなら、孔子は結果的に生涯プータローでした。が、彼の生涯は失敗ですかね?

偽りの「成功」を求めた人は離婚もすることでしょうよ。
Posted by たかお at 2016年08月19日 11:27
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漫画も映画も文化の集積

「紙屋研究所」から転載。
私は映画館で映画を見ることは滅多に無いので、「シン・ゴジラ」は未見だが、ネットに溢れる「シン・ゴジラ」談義を読むだけでも楽しい。
下の文章には、それに加えて、私の愛する漫画家の一人である杉浦茂の漫画の一コマまで載っているので、資料的価値あり、である。言うまでもなく、杉浦茂は、漫画を愛する人なら、ほぼ全員が愛している漫画家であり、過去、模倣された回数ではナンバーワンの絵柄だろう。ストーリーはどうでもいいから、その、のほほんとした絵を眺めているだけで幸福になる、という稀有な漫画家だ。私自身、ご本人の漫画より、その模倣漫画を見た回数のほうが圧倒的に多いところからも、その影響力の凄さが分かる。
ネットテレビではブームに便乗したのか、過去のゴジラ映画がたくさん出ているが、私は第一作だけでゴジラは十分と思っているので、ほとんど見ていない。たぶん、「シン・ゴジラ」も映画館では見ないと思う。ただ、昨日は甲子園野球がお休みなので、「ゴジラVSビオランテ」という奴を見たが、序盤はなかなか面白かった。懐かしい俳優の顔ぶれで、金田龍之介とか高橋幸治とか、久々に見た。峰岸徹が三国連太郎(連は「蓮」の字だったか?)みたいな顔になっていたが、役柄は相変わらず重厚さの無い、チンピラが年を取っただけ、という感じで残念であった。顔だけなら三国連太郎並みだのになあ。当時は新人だったらしい鈴木京香が、脇役とチョイ役の中間的な役どころで出ていたのも面白かった。映画は、こうした「俳優の記録」でもあるから面白い。
余談になるが、三国連太郎の演じた役の中で私自身の選ぶベストは「切腹」の青年官僚的な冷酷な家老と、「戦争と人間」の雇われテロリストの役である。後者は、ほんの少ししか登場しないが、実に格好がいい。外国の昔の映画には、ときどきこういう脇役だのに格好いいというのがいるが、日本の映画では珍しい。三国連太郎自身、主演より脇役のほうが光る役者だ。


(以下引用)

2016-08-19 『シン・ゴジラ』を観てきた

『シン・ゴジラ』を観てきたAdd Starsumidaamieparfumsotsusotsu





 以下、ネタバレあり。




 『シン・ゴジラ』を一家でみる。


 一言で言って、娯楽作品として大いに楽しんだ。


 ゴジラ津波原発を想起させる存在だと思いながらも、ゴジラによるドハデな破壊、ゴジラの制御不能ぶりに右往左往しつつアタックを繰り返す様子を、ワクワクしながら観たのである。ハリウッドのアクションを観る感覚に近い。


 特に第4形態への変態を遂げたゴジラ巨神兵よろしく街を滅ぼし尽くすエネルギーを四方八方に放射し続けるシーンは、「ドキドキしてスカッとした」(小並感)。一瞬「あ、だいたいおさまったかな…?」的に安心しかけたところにゴジラのこの異例の攻撃。街が壊されまくるのに何もできない。「手の施しようがない」という感覚がぼくの中に起こり、(娯楽的な意味で)戦慄が走った。




 唐突に白状するが、ぼくはテレビシリーズの『新世紀エヴァンゲリオン』の中で第拾話「マグマダイバー」と 第拾参話「使徒侵入」が圧倒的に好きだ。


 「マグマダイバー」はシンジとアスカが何のかんの言いながらイチャついて戦闘を組むのが好きだけども、「使徒侵入」はシンジたちやエヴァもほとんど出てこないにもかかわらず、テンポよく並べられる官僚軍隊的組織の命令・報告口調の連続がたまんないのである(特にマヤ萌え)。


シグマユニットAフロアに汚染警報発令」


「第87タンパク壁が劣化、発熱しています」


「第6パイプにも異常発生」


「タンパク壁の浸蝕部が増殖しています。爆発的スピードです」


「汚染区域はさらに下降。プリブノーボックスからシグマユニット全域へと広がっています」


人工知能メルキオールより自律自爆が提訴されました。否決。否決。否決。否決」


「今度はメルキオールがバルタザールをハッキングしています」


 エヴァ第拾参話はこんなので埋め尽くされている。うぅ、この口調。思い出してもヨダレが出るわい。


 「右舷に被弾は漢(オトコ)の浪漫」という諺があるが(ない)、戦闘・危機状態の官僚軍隊的組織の命令・報告口調は、たぶん、ぼくが「オトコの子」だったころの「漢の浪漫」を呼び起こすのだろう。


 ゴジラが急速に進化し続けるというアイデアや、官僚軍隊的組織の命令・報告口調の激しい連続っぷりは、まさに「使徒侵入」のそれである。『シン・ゴジラ』における前半の会議や報告のカットのすさまじいラッシュは、もともとの長大な(冗長な?)シナリオを急速に消化するためらしいけども、それが画面の中で危機感をあおるものになった(いっしょに見に行ったつれあいは「キーとなるセリフがいたるところで聞き取れんかった」とその効果に対してむしろ激おこぷんぷん丸だった)。




 官僚・政治組織の面々の描写は興味深かった。


 ラスト以外に、ウェットな「救国の信念」の吐露、セリフ、描写がない。


 無駄で役に立たないオモテの会議のウラで集まったのは、環境省の役人=尾頭ヒロミなどのオタクである。


 現代において実際に国の危機を救う理性は、暑苦しい政治信念を話す人ではなく、このような有能なギーク(ややコミュ障の気のある)たちではないか――そういう感覚が小気味よかった。


 『真田丸』を見ながら、有能すぎる事務官僚石田三成のコミュ障ぶり、そしてそのあからさまな敗北に忸怩たる思いを抱く人々は、自分もオタクであり、「オタク(この場合、フリークとかギークの意味に近い)こそ世界を救うのに…。何やってんだ三成」という気持ちがあるからだろう。『シン・ゴジラ』での尾頭ヒロミ萌える構造と裏腹である。


#真田丸 第三十二回 ツッコミが間に合わない。辛い。コミュ障三成とタヌキ家康の「応酬」みんなの感想+補足TLまとめ - Togetterまとめ #真田丸 第三十二回 ツッコミが間に合わない。辛い。コミュ障三成とタヌキ家康の「応酬」みんなの感想+補足TLまとめ - Togetterまとめ


#真田丸 の三成は、仕事できるのかもしれんがこいつアカンわってのがすごく説得力あります。簡単に人をバカって言うし、ホスト役しない(できない?)くせに宴開くし、対人仕事がほんとダメすぎて上に仕えてこその人材だなと。「自分は滅多に間違わない」は、笑うところでした。


https://twitter.com/a_okina/status/764791697351979008

◯◯先生タッチで描いてみた尾頭ヒロミまとめ - Togetterまとめ ◯◯先生タッチで描いてみた尾頭ヒロミまとめ - Togetterまとめ




 ウェットで大上段な熱い演説をぶつような政治家やヒーローはいらない。もし救国のリアルが描きたいなら、それはこういう黙々と、そして嬉々として自分の領分の仕事をこなしていく「有能なオタク」が選ばれるべきなのだ――そういう観念が今の日本には広く行き渡っているに違いない。




 うう、オタクスペシャリスト以外にもジェネラリストとしての政治家は出てくるよな。「ラーメンのびちゃった」とぼんやりという、あの一見役立たそうな首相代理。あいつは、熱い演説なんかしねえ。その代わりにオタクというスペシャリストたちの仕事を、あちこちを調整して成就させてくれるのだ。


 ジェネラリストの役割は熱い信念じゃなくて、そこなんですよ。ボンクラっぽくてもいい。風通しを良くしてくれさえすれば。みたいな。




 「ラスト以外に」と書いたのは、ラストにおける主人公・矢口蘭堂の、やや湿っぽい使命感溢れる訴えや、「この危機を救えるのは自衛隊しかない」的な大声でのセリフにかかった過剰なニュアンスに少しばかり白けるからである。




 ただ、『シン・ゴジラ』に政治的なものを見出す人もいるようだが、全体的にぼくはそういう色彩のものとしてみることはできなかった


 「自衛隊が救国の組織として活躍するプロパガンダ映画」だとか「日本は捨てたもんじゃないというナショナリズム称揚映画」だとか「緊急事態条項の必要性を訴えたアベ映画」だとか。


 あるいは逆に「制御不能の原発を人知によって押さえ込み、核兵器を人間の力で使わせないようにした反核映画」だとか。


 だいたい、『ゴジラ』シリーズにおける自衛隊の協力はもはや長年の伝統になっていて、そこである意味滑稽なまでに「遵法」の構図を見せられるのは、もう「お約束」の域である。


このように自衛隊の実際の出動は、必ず法律に則って行われる。自衛隊が協力した『ゴジラ』や『ガメラ』では、その出動命令あるいは要請シーンを律儀に挿入することで、自衛隊が勝手な判断で出動することはないことを、くどいほどに強調しているのだ。(須藤遙子『自衛隊協力映画』大月書店p.111-112)


 今回も律儀にこのシーンは挿入された。しかも、民間人がいるために発砲できないシーンまでご丁寧に入れられて。


この『ガメラ』以降は自衛隊からの注文が細かくなり、「こうやったらリアルですとか、こんなシチュエーションはありえませんとか、防衛庁から返ってきた資料をもとに脚本を直す」というのが通例となっていく。(須藤前掲p.108)



自衛隊協力映画のストーリーは、このように製作側と自衛隊の双方の意向を折衷し、多くの過程を経て決定される。(同前p.102)


 須藤によれば、自衛隊が映画に協力する基準があり、例えば「防衛省自衛隊の実情または努力を紹介して防衛思想の普及高揚となるもの」「防衛省自衛隊を悪者にするなど、マイナス効果になっていないか」などの項目がその中にはある(須藤p.54)。




 つまり自衛隊にいいように描かれている、ということなのだが、須藤もそのこと自体を問題にしていないように、ぼくも言いたい。だからどうだというのだ。


 『シン・ゴジラ』には実在の組織が出てくるけども、はっきりと1から10まで物語の全体が虚構であるという構えで見るので、現実評価などが忍び込みようがない。


 逆に言えば、そういう心づもりで見るので、反核メッセージだとか3.11の比喩だとかという現実連関もスッパリ棄て去り、頭を空っぽにして見ることになる。


 まあ、中には本気で「自衛隊SGEEEEE」「日本も捨てたもんじゃない」のように見てしまう人もいるんだろうけど、『太陽にほえろ!』とか『西部警察』とか『踊る大捜査線』とか『相棒』とかを見て「警察カッコイイ! あれが警察というものだ」と思ってしまうのに似ている。んなわけねーだろ。


 そんなものが見たいのなら、現実の3.11における自衛隊の活動や原発事故収拾の活動のドキュメントを見た方がよっぽどいい。


 そして、反対に、ここから反核メッセージなんかも読み取らなくていい。


 こんなところでうっかりもらった「反核」の心なんか、2分後くらいにはもう忘れている。




原水爆漫画コレクション4 残光 1955年に描かれた杉浦茂ゴジラ』は、映画『(初代)ゴジラ』を換骨奪胎したマンガで、一応映画のストーリーに似せてはあるし、原水爆のことも色濃く描かれているのに、一抹のシリアスさもない。下の図にあるようにゴジラ爆雷で死なないことが水爆との関連で描かれているが、セリフにも画面にも微塵も深刻さはない。反核メッセージはほとんど消え失せている。


 杉浦『ゴジラ』と庵野のこの『シン・ゴジラ』は一味である。


f:id:kamiyakenkyujo:20160819020455j:image


杉浦茂ゴジラ」/『原水爆漫画コレクション 4 残光』平凡社p.51)





 ただまあ、面白い映画には間違いなかったが、もう歴史を変えるほどの面白い作品かというと、そこまではアレだった。ネットの評価が高すぎるなと言わざるをえない。




 うちの家族はしばらく「第一第2形態」*1が話題だった。


 魚類と両生類の中間のような、あの眼のキモさ。


 「キモいー、キモいー」と言いながら、今日も小3の娘は、第一第2形態の死んだ魚のような眼のマネをしているし、つれあいは「第一第2形態が落としていった、あの赤いドロドロがキモかった」と騒いでる。


 どんだけ好きなんだ、お前ら。





*1ブコメで指摘があったので訂正。一家で勘違い。


(夢人追記)実物を見ないで空想している段階が、一番楽しいのではないか、と思うのが、この「シン・ゴジラ」で、下の記事もその空想のいい材料になる。なるほど「リオ・ブラボー」か。あるいは、同じハワード・ホークスの「ハタリ!」の感じかな。「日本沈没」の映画も見たが、あの映画の中の丹波哲郎総理大臣はじつにかっこ良かった。これは多くの人(たとえば竹熊健太郎氏など)が同意見のようだ。日本の男、日本の男優のカッコ良さというのは、アニメ顔のジャニーズ風タレントではなく、おっさん俳優が演じたものが多い。三船敏郎が「世界のミフネ」であったように、これは世界的にそう見られていると思う。笠智衆のようなお爺さん俳優もいいが、今や、そういう役者はほとんど死んでいる。



            


新聞読んでたらこんな記事。学識経験者を演じた人。









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平等主義www

「バカ国民帝国日本の滅亡」から抜粋転載。
書かれていることには半分くらいは同意見である。

「男女同権」と「男女平等」は厳密には違うと思うが、その違いを人はほとんど考慮しないし、「男女平等」とは、実はある面では「男の低い水準に女を落とす」ことだったという皮肉な事実については、孔徳秋水氏のようなシビアな批判家(「批評家」というと職業みたいだから、「批判家」としておく。)でないと口にしない。
(「男女同権」という言葉がいつのまにか消え、「男女平等」が主に使われるようになったことも、注意していいことかもしれない。マスコミは「権利」という言葉を極力使わないようにしているのではないかというのが私の邪推である。)
女性は「生活を美化する」という点では男などの及ばない感性を持っており、その点では大多数の男など、豚のようなものだ。放っておけば、同じ服しか着ないし、部屋の掃除もしない。
だが、そういう男でも社会人となれば奴隷の象徴であるネクタイの柄にも気をつかうものだ。
で、女性が家庭内の奴隷から社会の奴隷へと「進化」したのが「男女平等」であったわけであるwww  ただ、そういう「昇格」が当人たちに多大な満足を与えたことも事実だろう。その満足はやがて自分の首を絞める首輪を喜ぶことだったわけだが。
(「昇格制度」は奴隷支配の基本戦略である。昇格制度の無い組織はほとんど無い。その「昇格」がただの胸飾りの勲章にしかすぎない場合も多いし、それに気づかない奴隷もたくさんいる。)
私はどんな意味でも奴隷制度(たとえば一部の部活も学校教育そのものも奴隷制度の面がある。)反対論者だから、女性の「家庭内奴隷であることからの解放」という面を無視しているような下の文章には半分しか同意しない。片手落ちの議論だと思う。
今でも、九州の男や女の間には「家庭内奴隷制度」が当然であるという気質が存在すると聞いたことがある。(その意味では沖縄は九州とは別の文化圏だ。)

「平等主義」については、「フルメタル・ジャケット」の鬼教官の言葉を思い出す。大意「俺は平等主義者だ。ユダ公もイタ公も黒んぼもみんな平等にクソだ」というような言葉だ。これが「下と同じ水準に扱う」平等主義であるww 今の経営者の大半もそういう意味では労働者を「最低水準に押し下げる」平等主義者たちだろうwww

なお、「(女性の)欲望の解放」は、別に論じるべき重要な文明論的論題だと思うので、別の機会に論じたい。これは日本だけの現象ではなく、現代文明そのものの特徴である。特にヒュー・ヘフナーによる「ヌードの社会的承認」は現代の色情狂的世界をもたらしたと私は思っているが、それもまた「女性解放」だとするべきなのかどうか。イスラム教圏のような「禁欲的社会」ははたして人間性の抑圧なのか、簡単には判断できないだろうと思う。


(以下引用)


戦後民主主義で解放されたのは、女性の魂ではなく、欲望であった




嫉妬や憎悪であった…





昨今の「男女平等」主義は、何を「解放」したのであろうか?





男が”社畜”として扱われ、”モノ扱いされているなかで…




男の解放そっちのけで、「男女平等」などとやったせいで、




男女なかよく平等に”社畜”となり、どっちが優秀な”社畜”かと”競争”させられているのだ…





このような巧妙なプロパガンダに気づかず、チンパン踊りをしてしまうのは、考えが足りないからだ。





「考え」てはいるが「思考」はしていないのだ。





思考しなければ、魂は活動してこない…




解放すべき”魂”を日本人はもたないわけだから、ますます家畜になるしかないのである。





それが、あなたのしあわせだというのなら…私はなにも言うことはない…



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お盆のような月が~♪

私も「猫も杓子も」と思っていたのだが、「禰子も釈子も」という解釈もあったのか。(「釈」の旧漢字が出て来ないので、新漢字で代用。)そもそも、神社の氏子を「禰子」ということはまったく知らなかった。「釈子」は昔の本にはよく出てくる。まあ、猫と杓子が同類視されている時点で、「猫も杓子も」はかなりシュールなイメージの言葉ではある。
下の「猫ぢゃ猫ぢゃ」の絵は可愛い。でも、「猫踊りゐて裏がへる盆の月」の「裏返る」がよく理解できない。かなり俳句の達者な人だな、と思うし、旧仮名遣いも正確だと思うのだが、この「裏返る」は何なのだろう。月が裏返るのか。おそらく、行事としての盆と什器としての盆を掛けて、猫の盆踊りを見て腹を抱えて笑った月が、お盆のように空で裏返ってしまった、ということか。マザーグースの世界みたいだ。




羽海野チカ世界展8/4〜17池袋西武 @CHICAUMINO 21時間前

  1. ねこじゃねこじゃだーー! RT : 羽海野てんてー、夜遅くまでお疲れ様です…。急いでいるのにこれは無理!ってなったら日中にでも担当さんに緊急連絡☆しちゃってくださいね…。
  2.     
    1. ねこじゃねこじゃという、猫が踊るお祭りの踊りがあって、その時ねこは踊りの衣装として手ぬぐいを頭にのせるのだと猫の浮世絵展の時知りまして…。それからこのねこじゃねこじゃという踊りが気になります。
    2.     
    1. こういうお話大好き!素敵! RT : 寝床で先生のツイート読んでたら、さっきのイラストの踊る猫が神社の禰子で、お祭を楽しみしてたのに太鼓の皮が破れたと聞いて、ホッケを獲りに海を目指して旅立つ…という夢を見そうですヾ(o゚ω゚o)ノ゙
    2.     
    1. 「だんだん良くなるほっけ(法華)の太鼓」これは母の口癖?だったのだけれど、私はほんとについ最近まで「そうか、昔はホッケ(魚)の皮を太鼓にはってたんだ…」「そしてだんだん年月が経つにつれ、ホッケの皮はいい音をたてるようになるんだ…!」と本気で思ってました。はずかしい…
    2.     
  1.  


(追記)気になって、今、少し調べたら、「猫踊りゐて」の句を作った人は本格的に俳句をやっておられる方らしい。どちらかというと、鋭いナイフで世界を切り取るような、私の苦手なタイプの俳人らしいが、そのような人が、「ねこぢゃ! ねこぢゃ!」のようなイラストを描くのが面白い。

「剥製の吊られてゐたり 晩夏光」

晩夏の光をあっさりと「晩夏光」と表現するのは、並みの人間には、簡単なようで実は難しいのではないか。しかも、「剥製」と「晩夏光」の二文字で、この室内の埃っぽい感じも出ているように思う。(本当は空調の利いた室内だろうが、これはイメージの問題。)いやまあ、私などは最初から剥製など見たくもない人間だが。人間の内臓とか虫とか皮膚病とか死体とか、見たくないものは見ないで生きていければ、それが一番だという弱虫だwww

「朝焼の窓へ凭れぬ 巻煙草」

煙草と言えば巻煙草以外には見たこともない人が現代では多数派だろうが、これは単に語調の関係で五音の言葉にしただけだろうか。嫌煙派全盛のこの時代に愛煙家であることを広言するのはなかなか「反時代精神」があって偉いと思う。そもそも俳句をやっているというだけでも反時代的ではあるが。「朝焼け」と「煙草を窓辺で吹かす」というのは、いいイメージだと思う。




松本薬夏 @you721 8月4日

  1. 剥製の吊られてゐたり晩夏光
  2.     
  1.  
    1. 大阪市立自然史博物館に魅了されて早幾年。また面白そうな企画をしていらっしゃるので誰かデートしよ。剥製とか化石とかを見てひとり悶えまくっていても引かない方でお願い致します。
    2.     

  1. 朝焼の窓へ凭れぬ巻煙草


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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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