私も「猫も杓子も」と思っていたのだが、「禰子も釈子も」という解釈もあったのか。(「釈」の旧漢字が出て来ないので、新漢字で代用。)そもそも、神社の氏子を「禰子」ということはまったく知らなかった。「釈子」は昔の本にはよく出てくる。まあ、猫と杓子が同類視されている時点で、「猫も杓子も」はかなりシュールなイメージの言葉ではある。
下の「猫ぢゃ猫ぢゃ」の絵は可愛い。でも、「猫踊りゐて裏がへる盆の月」の「裏返る」がよく理解できない。かなり俳句の達者な人だな、と思うし、旧仮名遣いも正確だと思うのだが、この「裏返る」は何なのだろう。月が裏返るのか。おそらく、行事としての盆と什器としての盆を掛けて、猫の盆踊りを見て腹を抱えて笑った月が、お盆のように空で裏返ってしまった、ということか。マザーグースの世界みたいだ。
羽海野チカ世界展8/4〜17池袋西武 @CHICAUMINO 21時間前
- ねこじゃねこじゃだーー! RT
@you721:@CHICAUMINO 羽海野てんてー、夜遅くまでお疲れ様です…。急いでいるのにこれは無理!ってなったら日中にでも担当さんに緊急連絡☆しちゃってくださいね…。pic.twitter.com/RqNGL8rQc1
- ねこじゃねこじゃという、猫が踊るお祭りの踊りがあって、その時ねこは踊りの衣装として手ぬぐいを頭にのせるのだと猫の浮世絵展の時知りまして…。それからこのねこじゃねこじゃという踊りが気になります。
- こういうお話大好き!素敵! RT
@tokumaru:@CHICAUMINO 寝床で先生のツイート読んでたら、さっきのイラストの踊る猫が神社の禰子で、お祭を楽しみしてたのに太鼓の皮が破れたと聞いて、ホッケを獲りに海を目指して旅立つ…という夢を見そうですヾ(o゚ω゚o)ノ゙
- 「だんだん良くなるほっけ(法華)の太鼓」これは母の口癖?だったのだけれど、私はほんとについ最近まで「そうか、昔はホッケ(魚)の皮を太鼓にはってたんだ…」「そしてだんだん年月が経つにつれ、ホッケの皮はいい音をたてるようになるんだ…!」と本気で思ってました。はずかしい…
- なる程!そうか!おお〜〜〜(´ω`)ねこちゃんだとばかり…! RT
@b1_reme:@CHICAUMINO 猫も杓子もは、禰子も釋子も(神社の氏子も、寺の信者も)という意味だと言ってる人がいますね。
- 私は毎年夏休みのお盆の頃新庄に行っていたので、新庄まつりに行けた事が無いので、母の新庄まつりの思い出を混ぜてみようと思います!がんばります(´ω`) RT
@Fe0vpTtccUs1t2Y: こんばんは!新庄出身の大学生してる者です市報の表紙楽しみにしております
- 今日は母の誕生日だったので、右手では下描きをしながら電話で長く話した。母の子供の頃の新庄祭りの話を聞いた。「村中楽しみにしていて猫も杓子もみんな行った」との話を聞いて、原稿の端に描いたイメージ図。お母さん誕生日おめでとうpic.twitter.com/gBgQxHTTBC
(追記)気になって、今、少し調べたら、「猫踊りゐて」の句を作った人は本格的に俳句をやっておられる方らしい。どちらかというと、鋭いナイフで世界を切り取るような、私の苦手なタイプの俳人らしいが、そのような人が、「ねこぢゃ! ねこぢゃ!」のようなイラストを描くのが面白い。
「剥製の吊られてゐたり 晩夏光」
晩夏の光をあっさりと「晩夏光」と表現するのは、並みの人間には、簡単なようで実は難しいのではないか。しかも、「剥製」と「晩夏光」の二文字で、この室内の埃っぽい感じも出ているように思う。(本当は空調の利いた室内だろうが、これはイメージの問題。)いやまあ、私などは最初から剥製など見たくもない人間だが。人間の内臓とか虫とか皮膚病とか死体とか、見たくないものは見ないで生きていければ、それが一番だという弱虫だwww
「朝焼の窓へ凭れぬ 巻煙草」
煙草と言えば巻煙草以外には見たこともない人が現代では多数派だろうが、これは単に語調の関係で五音の言葉にしただけだろうか。嫌煙派全盛のこの時代に愛煙家であることを広言するのはなかなか「反時代精神」があって偉いと思う。そもそも俳句をやっているというだけでも反時代的ではあるが。「朝焼け」と「煙草を窓辺で吹かす」というのは、いいイメージだと思う。
- 大阪市立自然史博物館に魅了されて早幾年。また面白そうな企画をしていらっしゃるので誰かデートしよ。剥製とか化石とかを見てひとり悶えまくっていても引かない方でお願い致します。 http://www.mus-nh.city.osaka.jp