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平等主義www

「バカ国民帝国日本の滅亡」から抜粋転載。
書かれていることには半分くらいは同意見である。

「男女同権」と「男女平等」は厳密には違うと思うが、その違いを人はほとんど考慮しないし、「男女平等」とは、実はある面では「男の低い水準に女を落とす」ことだったという皮肉な事実については、孔徳秋水氏のようなシビアな批判家(「批評家」というと職業みたいだから、「批判家」としておく。)でないと口にしない。
(「男女同権」という言葉がいつのまにか消え、「男女平等」が主に使われるようになったことも、注意していいことかもしれない。マスコミは「権利」という言葉を極力使わないようにしているのではないかというのが私の邪推である。)
女性は「生活を美化する」という点では男などの及ばない感性を持っており、その点では大多数の男など、豚のようなものだ。放っておけば、同じ服しか着ないし、部屋の掃除もしない。
だが、そういう男でも社会人となれば奴隷の象徴であるネクタイの柄にも気をつかうものだ。
で、女性が家庭内の奴隷から社会の奴隷へと「進化」したのが「男女平等」であったわけであるwww  ただ、そういう「昇格」が当人たちに多大な満足を与えたことも事実だろう。その満足はやがて自分の首を絞める首輪を喜ぶことだったわけだが。
(「昇格制度」は奴隷支配の基本戦略である。昇格制度の無い組織はほとんど無い。その「昇格」がただの胸飾りの勲章にしかすぎない場合も多いし、それに気づかない奴隷もたくさんいる。)
私はどんな意味でも奴隷制度(たとえば一部の部活も学校教育そのものも奴隷制度の面がある。)反対論者だから、女性の「家庭内奴隷であることからの解放」という面を無視しているような下の文章には半分しか同意しない。片手落ちの議論だと思う。
今でも、九州の男や女の間には「家庭内奴隷制度」が当然であるという気質が存在すると聞いたことがある。(その意味では沖縄は九州とは別の文化圏だ。)

「平等主義」については、「フルメタル・ジャケット」の鬼教官の言葉を思い出す。大意「俺は平等主義者だ。ユダ公もイタ公も黒んぼもみんな平等にクソだ」というような言葉だ。これが「下と同じ水準に扱う」平等主義であるww 今の経営者の大半もそういう意味では労働者を「最低水準に押し下げる」平等主義者たちだろうwww

なお、「(女性の)欲望の解放」は、別に論じるべき重要な文明論的論題だと思うので、別の機会に論じたい。これは日本だけの現象ではなく、現代文明そのものの特徴である。特にヒュー・ヘフナーによる「ヌードの社会的承認」は現代の色情狂的世界をもたらしたと私は思っているが、それもまた「女性解放」だとするべきなのかどうか。イスラム教圏のような「禁欲的社会」ははたして人間性の抑圧なのか、簡単には判断できないだろうと思う。


(以下引用)


戦後民主主義で解放されたのは、女性の魂ではなく、欲望であった




嫉妬や憎悪であった…





昨今の「男女平等」主義は、何を「解放」したのであろうか?





男が”社畜”として扱われ、”モノ扱いされているなかで…




男の解放そっちのけで、「男女平等」などとやったせいで、




男女なかよく平等に”社畜”となり、どっちが優秀な”社畜”かと”競争”させられているのだ…





このような巧妙なプロパガンダに気づかず、チンパン踊りをしてしまうのは、考えが足りないからだ。





「考え」てはいるが「思考」はしていないのだ。





思考しなければ、魂は活動してこない…




解放すべき”魂”を日本人はもたないわけだから、ますます家畜になるしかないのである。





それが、あなたのしあわせだというのなら…私はなにも言うことはない…



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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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