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「脚気」と明治天皇の良識・慧眼

良識(ボン・サンス)はあらゆる人が本来持っているものだ、というデカルトの言葉は前に書いたが、専門家ほど「専門知識」に束縛され、その良識が鈍化する傾向があるようだ。(ワクチン問題など、一部の専門家による意図的犯罪加担は、別の話だ。)

下の引用は岩波新書の小長谷正明著「医学探偵の歴史事件簿」の一節だが、「素人の良識」の例として明治天皇の事例をそこから引用する。ここには為政者の取るべき態度と、患者としての良識のふたつがある。

該博な知識を持つ「医者(病気の専門家)」でもあった森鴎外すら脚気の原因を知らなかった頃の話である。また、精白米に欠けた栄養素としてビタミンBを日本人科学者が発見するのははるか後の話だ。そこからあらゆるビタミンの発見が続くのである。

(以下引用)一部、夢人による補足がある。冒頭の(明治10年)など。

(明治10年)六月下旬より、(明治天皇は)睡眠中にこむらがえりを起こすようになり、七月十二日には、左脚に浮腫(むくみ)がみられた。尿量も減少したので、侍医は腎臓病を疑ったが、十六日になって腎臓に故障がないことが明らかになり、脚気症と確定された。

(中略)

明治十一年四月一日、右大臣岩倉具視は天皇に離宮造営を奏上した。当時、脚気は転地療養が一番と言われていたのだ。しかし、天皇はこれを次のように却下した。「脚気病は全国民の疾患にして、朕一人の病に在らず。土地を移すの事朕之れを能くすべし。然れども全国の民悉く地を転ずべからず。故に全国民のため別に予防の方法を講ぜんことを欲す」と。四月二三日に脚気病院設立費として二万円を東京府へ下賜され、七月十一日に開院した。
天皇はさらに言う。「該病(その病気)は西洋各国に存せずして只本邦にのみ存すると聞く。果して然らば其原因誠に米食にあるべし。朕聞く、漢医遠田澄庵なる者あり。其の療法、米食を絶ちて小豆・麦などを食せしむと、是れ必ず一理あるべし」。後に明らかになった脚気の病因に照らし合わせると含蓄のある言葉だ。遠田澄庵は脚気の名医と言われていた町医者である。












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