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卯の花腐(くた)しの季節

毎日新聞記者の「誤報」が、単なる筆の滑りなのか意図的な読者誘導(洗脳)なのかは不明だが、事実と異なる記事を報道した時点で新聞としての重大な過失だろう。私としては「木村花と結びつけたほうが読者の目を引く記事になる」という、記者としての「スケベ根性」のなせる業だと思っている。まあ、毎日新聞が「東京スポーツ」レベルの新聞会社になったわけだww

なお、記事中の「腐す」を記事タイトルで「くさす」と書いているが、これは平仮名書きが普通だろう。「批判する」「けなす」意味で「腐す」と書くのは少し異様な感じだ。「腐す」と書かれると、俳句などをやる人間は「くたす」と読み、これはそのまま「腐らす」意味である。ちなみに、五月雨を「卯の花くたし」と言う風流な言葉もある。四月の花である卯の花が、五月雨によって腐るからだろう。五月雨というのも、人を瞑想的気分に誘うものでなかなか風流なのだ。

「五月雨や 色紙剥(へ)ぎたる壁の跡」(芭蕉)


(以下引用)

誤報に釣られSNSで主催者をくさす人々も

 6月6日に行われたツイッタージャパン社前での抗議活動について毎日新聞社が同日夜、抗議活動の趣旨について実際とは異なる内容を報道した。これについて筆者が抗議活動の主催者に事情を確認の上、毎日新聞社に取材を申し入れたところ、同社は翌日に問題の記事と動画を削除。こちらの質問に対して具体的な回答を一切せず、「取材の過程で行き違いがあることが判明しました。このため、該当記事はウェブサイトから削除しました」とだけ回答した。  実際の抗議活動は、Twitterにおける差別投稿やヘイトスピーチの放置といった「差別投稿問題」と、差別を批判する側のアカウントへのツイッター社による「不当凍結問題」に抗議する趣旨だった。しかし毎日新聞の記事は、先月亡くなったプロレスラー・木村花さんをめぐって現在問題されているネット上での誹謗中傷についての抗議であったかのような内容になっている。  現地でのスピーチやシュプレヒコールでは、木村さんをめぐる誹謗中傷問題は一切話題に上っていなかった。毎日新聞の後藤由耶記者のインタビューを受けた際も主催者はこれに言及していなかったが、後藤記者が敢えて無関係な木村さんのケースを持ち出して主催者に語らせ、さもそれが抗議の趣旨であるかのような記事を執筆した。  抗議活動を主催するのは今回が初めてという主催者の女性は筆者の取材に対して、「事前のコメント確認の際に異を唱えたが、後藤さんに受け入れてもらえず引き下がってしまった。掲載された毎日新聞の記事を見てショックを受けた。(コメント確認時に断固として拒否しきれなかった)自分が世間知らずだった。もうこういった活動はしたくない」と語っている。毎日新聞社への抗議や記事の削除要求等は表明していない。  毎日新聞が削除した記事の全文は、以下の通り。
“毎日新聞:「憎悪や差別の投稿放置は暴力への加担」 ツイッター社前で100人が抗議  毎日新聞2020年6月6日 22時39分(最終更新 6月6日 22時39分)  ツイッター上の個人への中傷や差別的な投稿などを速やかに削除し、安心して使えるように運営してほしいと、市民ら100人が6日、東京都中央区のツイッタージャパン本社前で抗議活動を行った。  先月、急死した女子プロレス選手の木村花さんのアカウントに多数の中傷ツイートがされていたことについて、抗議を呼び掛けた大阪府の主婦、○○さん(50)は「木村さんは(投稿に)殺されたようなもの。憎悪や差別のツイートを放置することは暴力への加担だ」と厳しく批判。また、米ミネソタ州で発生した暴動に対し武力鎮圧を奨励したトランプ米大統領のツイートに「暴力を美化し、利用規約に違反する内容」との注釈を掲載した米ツイッター社を引き合いに出し「ツイッタージャパンも倣ってほしい」と訴えた。  参加した在日コリアンの会社員、●●さん(65)は「在日コリアンと分かるアカウントはヘイト投稿の標的になるので、ツイッターをやめる人も多い。ヘイト投稿の放置はマイノリティーの声を潰すことにもなる」と話した。  ツイッタージャパンは毎日新聞の取材に、「安心して利用できる環境の整備に努め、より健全なサービスを提供することにこれまで以上に注力していく」とコメントした。【後藤由耶】”
※記事中の「○○さん」は主催者及び被取材者の氏名。「●●さん」は別の参加者の氏名。筆者が伏せ字とした。記事の転載は主催者及び被取材者の了承を得ている。  同社の報道を受けて、「カルト問題」や「表現の自由」関連の活動で知られる山口貴士弁護士はTwitterとFacebookで「他人の死を利用する反ヘイトの方々」と投稿。決して多くはないものの他のユーザーからも、毎日新聞の報道をもとに抗議活動を疑問視する投稿が見られた。 〈そもそも木村花さんが受けてた言葉の攻撃媒体ってInstagramだったはずなんで、何故Twitterに行ってるのか意味不明〉 〈木村花さんに対する誹謗中傷の主な場はTwitterじゃなくInstagramだったはずだが。。。 この程度の雑な認識で社会を変えようとしないで欲しいわ。。。〉  木村さんへの誹謗中傷はTwitter上でも行われていた。しかしそれはそれとして、毎日新聞の報道が、抗議活動を愚かな活動だと捉える人々を生み出した。主催者だけではなく抗議に参加した全ての人々の声を蔑ろにする報道で、主催者・参加者への非難や誹謗中傷が殺到する「炎上」に至らなかったのは不幸中の幸いだ。  SNS上で抗議活動を腐した人々も、大手新聞社による映像付きの報道を見て、まさかここまで極端に事実に反する報道だとは、通常はなかなか想像できないだろう。決してメディアとの付き合いが浅いわけでもない弁護士ですら、これなのだから。  日頃から反差別運動やその関係者を腐したいという意識を持っているがゆえに、嬉々として毎日新聞の報道に乗っかった人も中にはいるかもしれないが、全ての原因と責任は毎日新聞にあり、上記のSNSユーザーたちはそれに釣られただけの、これもまた被害者だ。







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珈琲道

私も「コーヒーを淹れている時間」が好きで、茶道ならぬ「珈琲道」(むかし、そういう題名の大衆小説があった。)をやっている気分である。ついでに、淹れている間は爪先立ちしたり片足立ちしたりして、一日分の「運動」もしているwww つまり、「ヨガ」の時間でもある。
しかし、何千回淹れても、「至高の味」にも「究極の味」にも至らないので、商売にはならない。まあ、もともと味覚など人間が違えば異なるものだが。
ちなみに、最初のひとくち(ひと啜り)だけはブラックで味わい、後は気分で砂糖もクリームも入れて飲む。最初の一杯は淹れたてで飲むが、後は、ポットに入れた一日分のコーヒーを電子レンジで温めて飲む(煮詰めないので味はほとんど変わらない。水や湯で薄めた超アメリカンをお茶代わりにブラックのまま飲むこともある。)だけなので、コーヒーを淹れる際の「珈琲道」は一日に三分程度である。




(以下引用)

ばりすた
ホットドリンク
脳神経内科医
@bar1star
·
これは脳の医師としてではなくただのコーヒー好きとしての感想ですが、じっくりコーヒーを淹れる時間は、ヨガや瞑想してる時みたいな程よい集中と香りの相乗効果でめちゃくちゃ充実した時間が過ごせます。おすすめ。








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老人用素人ホストクラブ素人キャバレー

読んでも今一つ現場の状況がつかみにくい記事だが、要するに、カラオケ店が「老人たちの素人ホストクラブ、素人キャバレー」になっていたということかwww
まあ、私もだいぶ前に久しぶりに再会した兄弟姉妹と昼カラオケに行って懐メロを歌ってなかなか楽しかったので昼カラにはむしろ好感を持っているが、さすがに素人キャバレー化したカラオケ店は敬遠したい。と言うか、なかなか化け物屋敷感がありそうだ。
もっとも、そういう店で新コロ感染がどうこうという話ではない。老い先短い老人たちなのだから楽しく過ごすのは結構なことで、純粋に美的感覚の問題だ。私の頭は昭和頭脳なので、老人は「東京物語」の笠智衆と東山千栄子(東山千恵子か?)みたいなのを好ましく思うのである。


(以下引用)


札幌では今月にはいって昼にカラオケができる喫茶店で、高齢者の新型コロナウイルス感染が広がっています。第2波の拡大期のあとになぜ感染は拡がったのか。クラスターが発生した店を知る女性への取材などから、複数の要因が浮かび上がってきました。

昼から気持ちよくカラオケに興じる「
昼カラ」。札幌市東区にあるカラオケ喫茶です。こちらで行っている新型コロナウイルス対策は。
(磯貝記者リポート)
「検温していただいて、さらに消毒をして店内に入りますと、このようにお客様の間には仕切り壁が設置されていて、密接しないよう対策がとられています」
この店ではマイクの除菌はもちろん、歌う際は1人で専用の仕切りの中に入るなど、新型コロナウイルスの対策を徹底しています。
(けんちゃんリズムダンス・カラオケ 阿部けんじマスター)
「年寄りになるとみんな行くところがない。みんな楽しみにしているので、伝統を伸ばそうと思う。そうしてこの対策を強化している」
これまでになかった対策をとる理由。それは他の店で起きた思いもかけない集団感染でした。
(札幌市 秋元市長)
「昼とカラオケがセットでされている。行動歴の中にこういった経歴がある方が多く散見される」
札幌及びその近郊で昼カラができる15の店で、高齢者が新型コロナウイルスに相次いで感染。そのうち2店で感染者が10人以上の、クラスターに発展しています。
(クラスターが起きた店を知る女性)
「大きいですね。40人、50人が入れる店。かなりの客が入れる店。まさか本当に新型コロナが出るとは」
取材に応じたのはクラスターが起きた札幌市内のカラオケ喫茶をよく知る女性。
(クラスターが起きた店を知る女性)
「カラオケ、ダンス教室もあった。歌に合わせてダンスも踊る。ダンスで気軽に体をつけてお話して。(歌って踊るのは)こういう世界では一般的です。一般常識といいますか」
札幌市もダンスを把握していて、現在感染との因果関係を調査中です。以前この店を利用した男性は。
(クラスターが起きた店を利用したことがある男性)
「カウンターとテーブルがあって、結構広い。あとステージがある。ここはすごかったよ。一番混んでいた。だいたい(客で)びっしりだったね。カラオケも30分から40分待たないと順番が来ないくらい」
また、クラスターが起きた2店は近くにあり、その両方を利用していた客もいて、「客の行き来」が感染を広めた可能性もあるといいます。
(クラスターが起きた店を知る女性)
「その日は行けなくても次の日はこっちの行きつけのカラオケ。あさっては(別の店)みたいに歌っている客も少なくない。どこへでも行って違う方に会って、お話したいという人も結構いる」
昼カラでの感染が確認されたのは5月1日以降。5月と言えばカラオケボックスには休業要請が出されていましたが。
(札幌市の担当者)
「(喫茶店に)カラオケがついていると、念頭に置いた指導はなかった」
カラオケ喫茶は休業要請の対象外で、市は昼カラの対策を念頭に置いていませんでした。高齢者の憩いの場で、想定外の感染が広がっている新型コロナウイルス。感染を防ぐには店側はもちろん、利用する側の対策徹底も求められます。









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「天皇制」と戦うとはどういうことか(3)

検討対象の文章の、ここでの対象部分だけ先に引用する。

(以下引用)
(3)天皇という権威の規定力は、天皇の霊性の呪縛力に由来する。
(4)それが物質的規定力を発揮するのは、「主権者」が天皇の霊性の価値を内面化し、被統治者たることに甘んじる限りにおいてである。
(5)「主権者」が天皇の霊性に畏怖も敬慕も感じ無くなれば、天皇の統治機能は消滅する。
(6)以上から明らかなように、統治形態の観念上の<敵>は、被統治者の、天皇の霊性に対する畏敬にほかならない。
(7)天皇への畏怖や敬慕によって産出される幻想の呪縛を、隣人の作り出す関係の相互信認が凌駕すれば、現在の統治の規定力は消滅する。
(8)権力の獲得に先立って隣人の相互信認を形成するには、市民社会の只中で、権力に対抗するヘゲモニーを形成するグラムシのいう「陣地戦」の実践が不可欠である。
(引用終わり)

(3)から(6)は前回でも論じたが、(7)と(8)は「天皇制」打倒の方法論で、私から見ればナンセンスの極みであるが、それは後で論じる。先に(3)から(6)の疑問点から書く。

(1)引用文(3)~(5)の中の「天皇の霊性」とは何か。通常の人間には無い霊性なるものが天皇にあると言うのか。それとも、誰にでもあるのか。それなら、なぜ「天皇の霊性」だけが問題になるのか。仮に、先の戦争、あるいは明治以来の天皇制における「現人神」宣伝を筆者が問題視しているなら、今さら象徴天皇制において「天皇の霊性」が問題になるはずもないことは自明だろう。仮に、天皇が庶民の崇敬の対象となるなら、それはその天皇の人格力によるものであり、それを事々しく「霊性」と言う必要性を私は認めない。まして、その「霊性」とやらに「呪縛力」があるなどというのはカルト宗教的発想だろう。
(2)引用文(5)の中の「天皇の統治機能」は、象徴天皇制においてはナンセンスな言葉であり、天皇の精神的影響のことを「統治機能」と言うのなら、それは天皇の個人的資質によるものであって、「天皇だから」ではない。その証拠に、天皇を特に尊敬していない人間が無数にいる。他人の人格を察知し、それに影響を受けるには、影響を受ける人間の資質も必要なのである。現代人が地位や肩書だけで他人を崇敬すると筆者が信じているなら、相当にナイーブな話である。
(3)引用文(6)は、文章自体が曖昧模糊としているが、「統治形態の観念上の〈敵〉」とは、「統治形態を変革する上での観念上の敵」の意味かと思う。それとも「統治形態の観念」の上での敵、ということか。しかし、「観念」に敵がいる、というのもよく分からない。まあ、いずれにしても、その前後の文脈から言えば、「天皇制こそが統治形態を変革する上での敵だ」という趣旨だろうと思う。少し前で言ったとおり、なぜ天皇制が敵なのか、私には理解できないし、天皇制反対論者の意見で納得するものを読んだこともない。

(4)引用文(7)(8)は論じるにも値しないと思う。「隣人の作り出す関係の相互信任」という持って回ったような言い方を簡単に言えば「身近な人間同士の信頼関係」となるだろうが、それがなぜ「天皇制」という国家的体制と対峙できるのか。向こう三軒両隣が信頼関係を作れば「天皇制」が打破でき、「先の戦争」も起こらなかった、とでも言うのだろうか。(先の戦争と「天皇制」は無関係だとは私もまったく思わないが、現在の「象徴天皇制」からはそうした「君主制ファシズム」への移行はありえないだろう。)

以上で、引用した文章への批判的検討を終わる。

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「天皇制」と戦うとはどういうことか(2)

先に、検討対象の文章を、要点のみもう一度掲載しておく。

(以下引用)
  現在の天皇制に対する認識と、それに対する闘争に関する前回までの論旨は次の諸点に集約できる。
(1)現憲法下の天皇は憲法に「象徴」と規定され、国政の権能は持たない。しかし、「幻想の共同性」が収斂する中心、即ち国家権力の権威として機能する(日本会議派の1章改憲の目的は、天皇を象徴より便宜のよい権力の花飾りにすることだから、天皇に権力の実体を移すとは考えられない)。
(2)天皇制との闘争の目的は、国民国家日本の統治形態の転倒である。
(3)天皇という権威の規定力は、天皇の霊性の呪縛力に由来する。
(4)それが物質的規定力を発揮するのは、「主権者」が天皇の霊性の価値を内面化し、被統治者たることに甘んじる限りにおいてである。
(5)「主権者」が天皇の霊性に畏怖も敬慕も感じ無くなれば、天皇の統治機能は消滅する。
(6)以上から明らかなように、統治形態の観念上の<敵>は、被統治者の、天皇の霊性に対する畏敬にほかならない。
(7)天皇への畏怖や敬慕によって産出される幻想の呪縛を、隣人の作り出す関係の相互信認が凌駕すれば、現在の統治の規定力は消滅する。
(8)権力の獲得に先立って隣人の相互信認を形成するには、市民社会の只中で、権力に対抗するヘゲモニーを形成するグラムシのいう「陣地戦」の実践が不可欠である。
(引用終わり)

疑問点を挙げておく。

(1)この文章によれば、「天皇制との闘争の目的は国民国家日本の統治形態の転倒である」とされている。つまり、「革命」である。しかし、なぜ革命が必要なのか、その理由は書かれていない。安倍政権の政治に不満なら打倒すべきは安倍政権であるだろうが、「革命」ならば、日本の政治形態そのものを「転倒」する必要があるわけだが、その政治形態のどこが問題なのか、書かれていない。つまり、「天皇制」さえ無くせば、無条件で地上の天国が出現するらしい。
(2)上記(1)から生じる疑問として、「天皇制」の無い社会のどこがどのように今より優れた社会なのか、読み手には分からない。
(3)「天皇制」の問題点は、天皇という「権威」が国家権力のアシストをしている点にある、というのが筆者の考えらしい。(引用文(1)による。)現在の象徴天皇が(悪い意味で)国家権力のアシストをしているという事実があるか。
(4)引用文(3)~(6)は、国民の中に存在する天皇への崇敬の念自体の批判である。要するに、それは「内面化された奴隷制度」だと言いたいらしい。(7)で言う、「幻想の呪縛」とはそういうことだろう。なぜ崇敬の念自体は批判されないのに、「天皇への崇敬」は批判されるのだろうか。それとも筆者は上長への敬意そのものが悪慣習だという意見だろうか。もちろん、天皇は上長ではないが、それだけにいっそう無私の崇敬であり、尊い、という考えはおかしいのだろうか。

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「天皇制」と戦うとはどういうことか(1)

某ブログに引用されていた文章だが、「天皇制」(私はこの言葉自体に懐疑的であり、現在の象徴天皇制を、まるで天皇が権力の中心であるかのように錯覚させる言葉だと思う。)を打倒することを切望する人もかなり存在しているのはネットを見ても分かる。だが、その「根拠」として納得のいく意見を私は見たことがない。
参考までに、この文章を「『天皇制』批判の一例」として分析しようと思うが、残念ながら、この文章は「なぜ『天皇制』を打倒する必要があるのか」ではなく、「いかにして『天皇制』を打倒するか」という方法論のようだ。まあ、大方の「天皇制批判論者」の考えは「民主主義社会において、なぜ天皇だけが『特権的』存在とされるのか」という、素朴な感情であり、その感情の半分くらいは、「上級国民」への嫉妬や嫌悪や不満が、天皇という「象徴」への嫌悪と置き換わったのだろうと私は思っている。
まあ、とりあえず、検討の対象となる文章(要点部分だけ)を引用する。何回かに分けて論じるかもしれないが、シリーズタイトルは、あえて、私が批判の対象とする下の文章とほぼ同じにする。もちろん、意味は正反対である。下の筆者は「天皇制」と戦え、と言っており、私は「なぜ『天皇制』と戦うのだ?」と疑問を呈しているわけだ。

(以下引用)
特別連載】天皇制と闘うとはどういうことか 第八回(最終回)
Ⅷ.国家への幻想を超える隣人相互の信認の形成へ
菅孝行(評論家、変革のアソシエ運営委委員)
■ 隣人相互の信認へ
  現在の天皇制に対する認識と、それに対する闘争に関する前回までの論旨は次の諸点に集約できる。
(1)現憲法下の天皇は憲法に「象徴」と規定され、国政の権能は持たない。しかし、「幻想の共同性」が収斂する中心、即ち国家権力の権威として機能する(日本会議派の1章改憲の目的は、天皇を象徴より便宜のよい権力の花飾りにすることだから、天皇に権力の実体を移すとは考えられない)。
(2)天皇制との闘争の目的は、国民国家日本の統治形態の転倒である。
(3)天皇という権威の規定力は、天皇の霊性の呪縛力に由来する。
(4)それが物質的規定力を発揮するのは、「主権者」が天皇の霊性の価値を内面化し、被統治者たることに甘んじる限りにおいてである。
(5)「主権者」が天皇の霊性に畏怖も敬慕も感じ無くなれば、天皇の統治機能は消滅する。
(6)以上から明らかなように、統治形態の観念上の<敵>は、被統治者の、天皇の霊性に対する畏敬にほかならない。
(7)天皇への畏怖や敬慕によって産出される幻想の呪縛を、隣人の作り出す関係の相互信認が凌駕すれば、現在の統治の規定力は消滅する。
(8)権力の獲得に先立って隣人の相互信認を形成するには、市民社会の只中で、権力に対抗するヘゲモニーを形成するグラムシのいう「陣地戦」の実践が不可欠である。

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あの人は逮捕されず、退職金を得て無事退職だったような記憶が……

えっ、賭け麻雀って違法だったんだ。
あの、法の番人である検察局の偉い人が………。

(以下引用)



 札幌市のマンションの一室で賭けマージャンをした疑いで、暴力団幹部ら5人が逮捕されました。
 逮捕されたのは指定暴力団山口組系誠友会の幹部、高橋哲雄容疑者と八木俊幸容疑者、そして札幌市内の会社役員の男らあわせて5人です。高橋容疑者らは11日夕方、札幌市中央区にあるマンションの一室で、金を賭けてマージャンをした疑いが持たれています。警察は5人の認否を明らかにしていません。警察は、チップを現金で購入する形で1日に数万円から十数万円が動き、常習的に賭博が行われていたとみていて、事件への組織ぐるみの関りがあったのか調べています。

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それだけで人生は生きるに値します。

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