2: 2025/05/28(水) 16:52:37.810
虫がいっぱいいるから
意味がないのは理解しとる
大気汚染や
気の赴くままにつれづれと。
私はまだ、大阪の夢洲(ゆめしま)で開催されている万博には行ってません。行く気もありません。6000円、7000円くらい払うらしいけど、民衆は詰めかける。子供がいたら一緒に行きますから。人は行きたきゃ行くに決まってるんだから。私も別に悪口を言う気もないし、政府がやることですから。人がワッと詰めかければ、万博の主催者である政府と大阪府の勝利になるからそれでいいんです。大阪府知事の吉村が、一番舞い上がってるんだろうけど。
聞いた話では、イタリア館に有名な大理石の彫像が飾ってあると。一つは「ファルネーゼのアトラス」という、高さ2メートルくらいの彫刻。アトラスという古代ギリシャの神がいて、なんでかは知らないけど、天球儀ということになっているけど、地球を抱えているんです。
(ファルネーゼのアトラス 西暦二世紀、高さ2メートル、重さ2トン)
Museo Archeologico Nazionale Di Napoli, Mann ミューゼオ・アルケオロジコ・ナジオナーレ・ディ・ナポリと書いてます。ATLANTE FARNESEとイタリア語で書いてあって、英語で FARNESE ATLAS ファルネーゼ アトラスとなっています。このファルネーゼというのは、イタリア貴族の家系であるファルネーゼ家のことだそうです。
スポンサーの、アルテリアという企業が出品した形になっています。イタリアだから本物ということになるんだけど。
それで、それはですね。男性性器がえらく目立つということで。上に載せた通りなんですが、勃起しているわけではないけどそんなに小さくもない男性器。で、皮をかぶっています。ユダヤ人はサーカムシジョン(circumcision)というのかな。男のチンチン(陰茎)の包皮を切り取る。赤ちゃんの時にやるんです。割礼とか包皮環状切除ともいいます。この彫像のはそれをやってないから、ユダヤ教の儀式はやってない。
この「皮かむり」のチンチンは、金玉である睾丸が下の方についていて、陰毛もちゃんとついている。「皮かむり」のことを包茎というんだけど。男は自分が男性器を持っているから実感でわかるんだけど、これはみんながお互いに「嫌(きら)いあっこ」してて。ちゃんと露出してるのが立派な男性器ということになってるんだけど、真実はみんな「皮かむり」なんです、ほとんどが。だから亀頭が完全に露出してるっていう状態で毎日生活してる男は本当は1割もいないと思う。男たちの世界ではそういうのはお互い見せっこしないことになっていますけど。
真実はヨーロッパ白人系もアジア系もみんな「皮かむり」、包茎なんですよ。それをね、なんかね、誤解させないための展示というか。人類史がついにここまで来たということで。ここまで男性器を目立つように展示するというのも。
この「ファルネーゼのアトラス」は、ルネサンス期よりも古い時代につくられたということになっているけど、なんで地球を抱えているのかが分からない。しかも球体には航海している船が描かれていますから、この船はどう考えてもThe Great Navigationという大航海時代の船ですね。三本マストのガレー船です。下の階に奴隷たちを並べて鎖でしばって逃げられないようにして、風が無い時は漕がせて人力で船を動かすんです。これはスペイン帝国とイタリアにもあるけど。これは1500年代から後の話なのに、なんで2世紀の作品にこんな図柄があるのか理解できない。
だから、この彫像は17世紀くらいの作品だと思う。それを堂々と日本に持ってきて見せているわけで。
イタリア館には、目玉として「キリストの復活」という彫像も飾られている。ミケランジェロの作品だということになっていて、なんと2メートルぐらいの大きな彫刻、十字架を抱えている男(キリスト)が立っている像。
(キリストの復活)
だけど、ミケランジェロがあの頃に十字架が好きなわけがないんですよ。彼らはもうキリスト教会を嫌い始めてますからね。ルネサンス人間である彼らは、初期サイエンティスト、真実を追求する人たちです。だからこんな十字架を抱えているのがミケランジェロの作品だなんて信じられない。ミケランジェロ工房の中の弟子が作ったんだと思うけども、もう真実はわからない。
キリストの復活ね。だからこんなのをね、ミケランジェロが作るわけがないんですよ。だからわざとやってるのかね、こんなこと。カラバッジョの工房で作ったものかもしれないんだけど、確かミケランジェロもカラバッジョ工房にいましたからね。工房は100年以上200年ぐらい続いてるから、そこの中の人が作ったのは事実なんだろうけども、ミケランジェロ作というのは、とても信じられない。それはもういいんだけど。
(フランス館の正面にある「プシュケを誘惑するメルクリウス」)
フランス館の正面には、大きな背の高いレプリカの塑像があってですね。足がスラーッと長すぎるようなやつが。この男と女が抱き合ってる像はね、「プシュケを誘惑するメルクリウス」で、これは有名な題材なんです。誘惑するというのは abduction(アブダクション 略奪、拉致する)と言います。それでこのプシュケというのは、これは psycho サイコですね。魂、霊魂、精神、思考、知能です。そういう名前の女性を略奪している。奪い取って性行為を行うわけですが、まあ別にこの女神の方も嫌がってるわけじゃなくて、愛し合ってるわけですが。
要するに略奪っていうのは、別の言葉で言えば強姦でもあるわけで、無理やり犯されましたという話でもあるんです。誘惑っていうのはそういう概念でね。
日本人は誘惑までは許すけれども、アブダクションになると暴力行為で無理やり引っさらっていくわけですから、それはもうレイプするわけで強姦行為になりますから、許されないことになるんだけど。
だけどそれ(誘惑 abduction)が、一貫したヨーロッパの男女の関係の基本のところにあります。
それからフランス館の横にある像。女神像は、おっぱいは見えるけど下半身はベール1枚かぶってて露出していません。横で立ってる男、アポロニウスかなんかの像は、これももう男性器がちゃんと露出して飾ってある。やっぱり「皮かむり」がほぼ正確な形状でついてて、小さいんだけど。この小さいチンチンぐらいが普通、これが真実なんです。で、まあ7、8センチしかないんだけど、これは勃起すると15、6センチとかなるのがいて、私なんか(ピー)しかないんですが、17センチ、20センチのもいるんだけど、大ききりゃいいってもんではないんだということで。これはLGBTQのゲイの男性たちを強調しているわけです。
だから、どうしてこれらを飾っているのかというと、それはLGBTの時代ということです。去年の8月のパリオリンピックの前のフェスティバルで、わざとLGBTのお祭り、私は悪魔の祭だと思う。わざとそれを徹底的にやってみせて、世界中から顰蹙(ひんしゅく)を買いましたが、その流れがまだ残っているんですね。だけどイタリア人フランス人は自分たちが世界最先端だと思っているから、そういう芸術監督のデザイナーみたいな人たちにしてみれば、これが最先端だと、どうとして堂々とやっているわけで。
(LGBTQのお祭り)
アメリカ館やイギリス館が何を展示しているかわからないけど、「月の石」程度ですから。笑い話にもならないわけで、しょんぼりシューンとしてるはずなんで。だから今、そういう時代なんだと。
女性の裸の像、女神像がずっと基本だったんだけど、ようやく男の裸の像がね、人類史の中で正面に堂々と飾られる時代が来ました。というのが今回の大阪万博の最大の中心テーマなんだと思います。なんでちんちんばっかり見せてるんだろうって、女たちがどう思うかは私にもわからない。
(終わり)
弟子の曇林が伝えるところ[3]によると、菩提達磨は西域南天竺国において国王の第三王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶。5世紀後半から6世紀前半の人で、道宣の伝えるところによれば南北朝の宋の時代(遅くとも479年の斉の成立以前)に宋境南越にやって来たとされている[4]。
北宋時代の景徳年間(1004 - 1007年)に宣慈禅師道原によって編纂され禅宗所依の史伝として権威を持つに至った『景徳伝燈録[5]』になると、菩提達磨は中華五祖、中国禅宗の初祖とされる。この灯史によれば釈迦から数えて28代目とされている。南天竺国香至[注 2]王の第三王子として生まれる[6]。中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて面壁を行う。確認されているだけで道育、慧可の弟子がいる。彼の宗派は当初楞伽宗(りょうがしゅう、楞伽経にちなむ)と呼ばれた。
普通元年(520年)、達磨は海を渡って中国へ布教に来る。9月21日(10月18日)、広州に上陸。当時中国は南北朝に分かれていて、南朝は梁が治めていた。この書では南朝梁の武帝は仏教を厚く信仰しており、天竺から来た高僧を喜んで迎えた。武帝は達磨に質問をする。
帝問曰「朕即位已來、造寺寫經度僧不可勝紀。有何功德。」
師曰「並無功德。」
帝曰「何以無功德。」
師曰「此但人天小果有漏之因、如影隨形雖有非實。」
帝曰「如何是真功德。」
答曰「淨智妙圓體自空寂、如是功德不以世求。」
帝又問「如何是聖諦第一義。」
師曰「廓然無聖。」
帝曰「對朕者誰。」
師曰「不識。」
帝不領悟。師知機不契、是月十九日,潛回江北。— 『景徳伝灯録』巻三
帝は質問した。「朕は即位して以来、寺を造り、経を写し、僧を得度すること数え切れない。どんな功徳があるだろうか。」
師は言った。「どれも功徳はありません。」
帝は言った。「どうして功徳がないのか。」
師は言った。「これらはただ人間界・天界の小果であって、煩悩を増すだけの有漏の因です。影が物をかたどっているようなもので、存在はしても実体ではありません。」
帝は言った。「真の功徳とはどのようなものだろうか。」
答えた。「浄智は妙円ですが、その本体はそもそも空です。このように功徳は俗世間で求められるものではありません。」
帝はまた質問した。「聖諦の根本的意味はどのようなものだろうか。」
師は言った。「この世はがらんどうで、聖なるものなどありません。」
帝は言った。「では朕と対座しているのは誰なのか。」
師は言った。「認識できません。」
帝はその意を理解できなかった。師は機縁が合わなかったと知り、この月の19日にひそかに江北に帰った。
後に武帝は後悔し、人を使わして達磨を呼び戻そうとしたができなかった。
達磨は嵩山少林寺において壁に向かって9年坐禅を続けたとされている[7]が、これは彼の壁観を誤解してできた伝説であると言う説もある。壁観は達磨の宗旨の特徴をなしており、「壁となって観ること」即ち「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」のことである。これは後の確立した中国禅において、六祖慧能の言葉とされる『坐禅の定義』[8]などに継承されている。
大通2年12月9日(529年1月4日)、神光という僧侶が自分の臂を切り取って[注 3]決意を示し、入門を求めた。達磨は彼の入門を認め、名を慧可と改めた。この慧可が禅宗の第二祖である。以後、中国に禅宗が広まったとされる。[10]
永安元年10月5日(528年11月2日)に150歳で遷化したとされる[11][注 4]。一説には達磨の高名を羨んだ菩提流支と光統律師に毒殺されたともいう[12][13]。諡は円覚大師[14]。
なぜ自宅で作ったサラダは、しばらくすると「茶色く変色したり」「しなびたりする」のに、市販のサラダは一定の時間がたってもしなびたり変色したりせずに、美しさを保っているのか、不思議に思ったことはありませんか?
『食品の裏側』でも取り上げ、詳しく解説しましたが、市販のサラダ用の野菜は、カットされて、まず「次亜塩素酸ナトリウム」の溶液で洗われます。
「次亜塩素酸ナトリウム」を溶かしたプールで「洗っては移し」を繰り返し、最初は「200倍」、次に「500倍」「1000倍」「2000倍」などと徐々に濃度を低くして、何回かに分けて野菜を洗浄します。それは「次亜塩素酸ナトリウム」の残留を減らすことに加えて、「臭い」を残さないためです。
「次亜塩素酸ナトリウム」は水道水にも添加される「殺菌剤」で、国の定めた基準値以下の低濃度であれば、体内に入っても別に問題はありません。
しかし問題は、洗浄の過程で、「次亜塩素酸ナトリウム」が塩素と反応して「ビタミンC」が破壊され、流出しがちだということです。
「ビタミンC」は水溶性ですから、家庭においても、野菜をカットして水道水で洗えば一定量は流出してしまいます。しかし「次亜塩素酸ナトリウム」を使って何度も洗浄されている市販のサラダは、より多くの「ビタミンC」が失われてしまっている可能性が十分あるのです。
一般的には生野菜には添加物を使ってはいけないのですが、市販のサラダには「添加物」が使われている場合があります。
「いったいサラダに、どんな添加物が使われるのか?」というと、主に次の4種類になります。
【1】「野菜の洗浄剤」(主に「シュガーエステル」)
「界面活性剤(乳化剤)」の一種で、汚れを落とすために使われるものです。
【2】「野菜の殺菌剤」(主に「次亜塩素酸ナトリウム」)
これは先ほど述べたものです。
【3】「シャキシャキ剤」(主に「フマル酸」「乳酸カルシウム」、酸性の「ポリリン酸ナトリウム」など)
野菜を「シャキシャキさせる」ために使われる添加物です。「浅漬けの素」などにも使われています。ただ、私も現役当時はよく使っていましたが、正直あまり効果があるようには思えませんでした。
【4】「切り口の変色防止剤」
「カットした野菜の切り口の変色用」に用いられます。「バナナの黒ずみ防止」にも使われるものです。
余談ですが、昔は変色防止には「コウジ酸」がよく使われたものです。コウジ(麹)は酒やみそ、しょうゆを造るときに使われる、あの「麹」です。誰もが「安全なものだ」と思うでしょう? しかし「コウジ酸」は「発がん性がある」とされて、使用禁止となりました。
添加物が難しいのはこういうところです。「天然由来だから安全だ」として使われていた添加物が、ある日突然「使用中止」になったりするのです。
これらの添加物は「加工助剤」という名目で使われるため、表示をしなくてもいいのです。だから、それらの添加物が使われていても、消費者は知る由もありません。
必ずしも4種類の添加物すべてが使われるわけではなく、野菜によって使い分けられます。添加物メーカーが「うちには、こういう『シャキシャキ剤』がありますよ。使ってみませんか?」と、カット野菜メーカーなどに売り込んだりするわけです。
またサラダやカット野菜のみならず、里芋やごぼう、れんこんなどの根菜類の水煮にも、これら4種類の添加物(加工助剤)は使われます。根菜類の水煮の場合には、それらに加えて、「漂白剤」として「亜硫酸塩」なども使われることもあります。
3つめの残念な真実、これは市販のサラダだけの問題ではありませんが、生野菜は思ったほど「量」も「栄養」もとれないということです。
コンビニで売られている、レタスがいっぱい入った大きなサラダなど、「たくさん野菜がとれる!」と思うかもしれませんが、栄養価で考えると、そうでもないのです。
そもそもレタスは100グラム(一玉の4分の1程度)とっても、「食物繊維」は1グラムちょっと、「ビタミンC」は5ミリグラム程度です。ビタミンCは水に溶けやすいので、それも洗浄の過程で失われてしまっているかもしれません。
それより、「かぼちゃの煮物」や「ほうれん草の煮びたし」などの緑黄色野菜のほうが、はるかに栄養価が高いのです。
野菜は「1日350グラム」を摂取しようと言われます。350グラムをサラダ(生野菜)でとるのはかなり大変です。しかし、煮て「かさ」を小さくすれば、350グラム分などラクラクとることができます。
緑黄色野菜は、もともとの「カロテン(ビタミンA)」や、その他のビタミン類の含有量が多いので、ゆでたり煮たりすることでビタミンが多少流出しても、レタスなどに比べて、問題は少ないともいえます。
そうでなくても、野菜自体の栄養価は一昔前に比べて、減少しているといわれています。1960年代に比べると、「ほうれん草のビタミンC」は4分の1、「キャベツのビタミンC」も半分程度になっているという指摘もあり、大きく様変わりしています。
「測定方法が昔と今は違う」とか「いまはビニールハウス栽培で栄養価の高い旬の時期以外にもとれるようになったからだ」とか、いろいろ意見があり、もちろん栽培方法によっても異なるので、現代の野菜そのものの栄養価については、ここでは断定しません。
しかし、野菜の品質改良が進んで、どんどん「柔らかく」「クセがなく」、そして野菜によっては「甘く」という方向に向かっているのは、紛れもない事実です。
それが「世間のニーズ」なのですが、その代わりに失われてきたのが「風味」です。
みなさん、市販のサラダ、カット野菜を食べるとき、「野菜のおいしさ」がわかりますか?
キャベツの千切りなど、やたらシャキシャキして食感はいいけれど、キャベツ本来の甘さや香りは飛んでしまっているように、私には思えてなりません。非常によく売れているという「カットネギ」など、ネギの風味や香りがしません。
私の子どもの頃は、子どもの嫌いな野菜の定番といえば、にんじんでした。ところがいまの子どもは、昔ほど「にんじん嫌い」がいなくなってきています。いまどきのにんじんは昔のものとは大違い、「クセがなく」「やわらかく」なってきているからです。
でもクセ=「風味」なのです。私のような昭和の農家の生まれの人間にとっては、風味がしっかりした、昔ながらのにんじんのほうがはるかにおいしい。