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犯罪者(推定)の家族の運命



【悲報】林真須美の娘、長女が死んだ直後次女と自殺

 
20240220-OYT1I50156-1

引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1729136739/

1: それでも動く名無し 警備員[Lv.7][新芽] 2024/10/17(木) 12:45:39.25 ID:417YH6/R0
和歌山市に住む鶴崎心桜(こころ)さん(当時16)が全身打撲による外傷性ショックで死亡したのは、昨年6月9日のこと。心桜さんが救急搬送された約2時間後、母・優子(仮名・37)と次女(4)が関西国際空港近くの海に身を投げ、無理心中を遂げた。

「実は、優子は4人が死亡した和歌山カレー事件で死刑判決を受けた林眞須美の長女でした。その約8カ月後の2月16日、再婚相手の派遣社員・木下匠(40)が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された」(社会部記者)

https://bunshun.jp/articles/-/52490
2: それでも動く名無し 警備員[Lv.24] 2024/10/17(木) 12:49:07.22 ID:Bnq7AbAO0
よっわ
4: それでも動く名無し 警備員[Lv.36] 2024/10/17(木) 12:50:35.27 ID:XpU/K+Zp0
ブログかなんかやってた子か?
6: それでも動く名無し 警備員[Lv.13][新芽] 2024/10/17(木) 12:52:21.54 ID:nte1t26t0
息子も大変なことになってたな
親が逮捕されんかったら普通に生きていけたろうに
8: それでも動く名無し 警備員[Lv.2][新芽] 2024/10/17(木) 12:57:01.50 ID:CdEjVO5G0
親ガチャなんてないから自己責任やな
11: それでも動く名無し 警備員[Lv.14][芽] 2024/10/17(木) 12:59:35.71 ID:CjCpt+U20
しかも林は真犯人かどうか疑わしいんやろ?
あまりに不憫や
12: それでも動く名無し 警備員[Lv.7][苗] 2024/10/17(木) 12:59:56.13 ID:IXaR8QzO0
あっ察し
13: それでも動く名無し 警備員[Lv.31][苗] 2024/10/17(木) 13:01:52.09 ID:+aJA0mTM0
たしか娘もカレー一緒に作ってたんじゃなかった?
14: それでも動く名無し 警備員[Lv.2][新芽] 2024/10/17(木) 13:03:56.97 ID:FgX1HROm0
林真須美の娘とかそらまともな人生送れんわな
娘ですら精神崩壊するのに
18: それでも動く名無し 警備員[Lv.8][新芽] 2024/10/17(木) 13:12:12.01 ID:/vn+kbA0p
袴田さんの姉ひでこさんも言われなき誹謗中傷を受けまくったんだろうな
でも判決後は恨み言言わずすげえわ
20: それでも動く名無し 警備員[Lv.3][新芽] 2024/10/17(木) 13:16:59.99 ID:CdEjVO5G0
>>18
袴田さんの姉ちゃんの気丈さは異常
5: それでも動く名無し 警備員[Lv.17] 2024/10/17(木) 12:51:20.47 ID:87ZvwRac0
これで冤罪やったらほんまどうするんやろ

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夏の名残りのゴーヤー

「夏の名残りの薔薇」という、実に素晴らしいタイトルの曲があり、恩田陸も田中芳樹も、自分の作品の一章の章題にこれを使っている。どんな曲か、気になる人のために言えば、実は昔からお馴染みの「庭の千草」の曲である。スコットランド民謡だったと思う。それを明治時代の人が日本語歌詞を作った時、「薔薇」は当時日本人に馴染みが無かったので歌詞の中では「白菊」にしている。季節も秋の終わりにしている。冷房の無い時代には夏は日本人には暑いだけで、ちっともロマンチックではなかったのだ。冷涼なヨーロッパ中北部やイギリス(スコットランド)とは夏のイメージがまったく異なるのである。

で、言うまでもなく、以上は前置きで、「夏の名残りの薔薇」があれほどロマンチックなのに、それをゴーヤーに変えるとまったくロマンチックでなくなる。しかし、どちらも夏が最盛期であるわけだ。
で、ここからが本題だが、私は、老来、朝起きるといつも足が重く感じるのだが、今朝はその足の重さがほとんど無い。その原因となることが何かあったか、と考えたが、昨夜の酒のつまみが、「夏の名残りのゴーヤー」炒めだったことしか思いつかないのである。しかし、ゴーヤー炒めは、この夏も数回は作って食べたはずで、それが翌朝に何か健康回復効果があると感じたことはない。しかし、それ以外の原因もまったく思いつかないのである。(就寝時の足の攣りなどは、ビタミン剤服用でほとんど無くなったが、昨日はビタミン剤を飲んだ記憶はない。)

まあ、鰯の頭の信心ではないが、ここは、「夏の名残りのゴーヤー」には特別に健康効果がある、としておく。なお、隠し味に酢(リンゴ酢)を入れたが、酢の効果という可能性もあるかもしれない。

(10/18追記)

先ほど、目覚めた時に足に重苦しさを少し感じたので、実験的に「やさしいお酢」を少し冷水を混ぜて飲んでみた。その半時間か1時間後には、足の違和感がほとんど無くなっていたので、やはり上に書いたことは「ゴーヤー」ではなく酢の効果のようだ。いい加減な知識で言うと、体が酸性化していたのが、酢を飲むことで中性化(弱アルカリ化)するのではないか。酢は「酢酸」という名前があるように、酸性物質のような気もするが、まあ、体は酸性化で不調になる、ということは昔から言われていたと思う。後で調べてみる。



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She's standing on her own

寝覚めの朦朧思考の中で、なぜか、大昔のポップスで、たぶんビージーズの「マサチューセッツ」のラストの歌詞が頭に思い浮かび、目が覚めてからしばらくそれを考えたので、メモする。
念のために言っておくが、私は特にこの歌が大好きだったわけでもないし、歌詞を調べたこともないので、以下に書く内容は大間違いの可能性が高い。ただ、突然思い浮かぶ思考は、私にとっては何かの意義がある、と思うので、書いているだけだ。
この歌が流行った時、私はたぶん中学生だったと思うので、英語じたいロクに知らないころだった、ということも追記しておく。

さて、この歌のラストは、こういう歌詞だったと思う。「マサチューセッツ」という単語の綴りを調べるのが面倒なので、記憶する内容を私が日本語訳する。

「そして、マサチューセッツではすべての明かりが消え、
そのマサチューセッツに彼女は一人で立っている」

まあ、歌全体は「マサチューセッツに帰りたい」という望郷の歌だが、その理由は「彼女」の存在にある、もしくはそれが大きな要因であるわけだろう。
問題は、この「彼女はひとりで立っている」と訳した部分の英語表現で、私が目覚めてしばらく考えたのがこのことなのである。英語ではたぶん

She's standing on her own

で、この「on one's own」が私の気になった部分だ。まあ、aloneだと曲の音数に合わないという単純な理由かもしれないが、もっと深い意味があるのではないか、と思って英和辞書を引くと、ownそのものに、なかなか深い意味があり、一語では訳出来ない。それは、こういうものだ。

(問題)を受け止めて積極的に向き合う覚悟をする。
問題などを「我が身に引き受けて」、責任をもって対処する、またはその覚悟をする。

もちろん、on one's ownは「独立して、自力で、一人で」の意味で、中学生でも知っている熟語だが、ownそのものにこういう意味があるとは知らなかった。それを知ると、故郷で「風(さまざまな困難)に向かって」(そしてたぶん「すべての明かりが消えた」闇の中で)ひとりで立つ若い娘の姿が目に浮かぶのではないか。

まあ、普遍化する意味はあまり無いかもしれないが、日本中に、そして世界中に

She's standing on her own

という、(社会や制度や状況と戦う)無名のジャンヌ・ダルクは無数にいるだろう。











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「殺人ワクチン」接種が始まった

「大摩邇」から転載。
副作用と周囲への感染拡大が明白で、副作用が起こる可能性70%という、ほとんど明白な「政府による民間人殺傷行為」である。この「ワクチン」を接種される子供より、その家族の中の妊婦、高齢者、病人にとっての危険性が大きそうだ。
岡氏の書いた記事の中でも非常に有益な、日本社会全体への警鐘で、放置したら大量被害がほぼ確実に起こると推測できる。

(以下引用)

日本で子どもを対象に接種が始まった「鼻にスプレーするインフルエンザワクチン」の添付文書を読んでみる

地球の記録 - アース・カタストロフ・レビューさんのサイトより
https://earthreview.net/flumist-is-coming/
<転載開始>
フルミスト点鼻液 添付文書より

pins.japic.or.jp


ニュースで、鼻にワクチンを直接吹きつけるスプレータイプのインフルエンザワクチンの接種が子どもを対象に始まったと報じられていました。


以下 NHK の報道の冒頭です。


“鼻にスプレーのインフルエンザワクチン”子どもに接種始まる



インフルエンザウイルスの感染経路となる鼻にワクチンを直接吹きつけるスプレータイプのインフルエンザワクチンの接種が、子どもを対象に今月から始まりました。


新たなインフルエンザワクチン「フルミスト」はスプレーを鼻の中に入れ、直接吹きつけるタイプのワクチンで、去年、国の承認を受け、今月から接種できるようになりました。


血液の中だけでなく、ウイルスの侵入経路となる鼻やのどの粘膜にも抗体を作る作用があり、従来の注射するタイプのワクチンと同じ程度の効果があるとされています。


東京 港区の小児科のクリニックでは今月7日から、このワクチンの接種を開始し、早速、接種を受ける親子が訪れていました。


このワクチンには毒性の弱いウイルスが含まれているため、医師が家族に妊娠中の人がいないかなどを確認したうえで、細い棒状のスプレーに入ったワクチンを左右の鼻の穴にそれぞれ吹きつけました。



NHK 2024/10/12



この製品は、フルミスト点鼻液というもののようで、こちらに添付文書がありますが、これもまた、どうも「リスキー」でして、


「そこまでリスクを背負って接種する(させる)意味があるのか?」


と思わざるを得ない面もないではないです。


添付文書の冒頭は、以下のようになっていまして、「劇薬」の文字が見えます。



最も感銘を受けたのは、冒頭に示しました以下の部分ですね。


添付文書より


本剤は弱毒生インフルエンザワクチンであり、飛沫又は接触によりワクチンウイルスの水平伝播の可能性があるため、ワクチン接種後1~2週間は、重度の免疫不全者との密接な関係を可能な限り避けるなど、必要な措置を講じることを被接種者またはその保護者に説明すること。


この文言は「妊婦と授乳中の人」に言及している部分にも出てきます。


9.4 生殖能を有する者
妊娠可能な女性においては、あらかじめ約1か月間避妊した後接種すること、及びワクチン接種後約2か月間は妊娠しないように注意させること。


9.5 妊婦
妊娠していることが明らかな者には接種しないこと。


9.6 授乳婦
治療上の有益性及び母乳栄養の有益性を考慮し、授乳の継続又は中止を検討すること。 本剤は水平伝播の可能性があるため、ワクチン接種後1~2週間は乳児との接触を可能な限り控えること


「その他の注意」には以下のような記述もあります。


15. その他の注意


15.1 臨床使用に基づく情報


15.1.1 神経系障害(ベル麻痺を含む脳神経障害、脳炎、けいれん(熱性けいれんを含む)及びギラン・バレー症候群)及び血管炎が海外で市販後に報告されている。


15.1.2 海外で実施された経鼻弱毒生インフルエンザワクチンの臨床試験において、 接種25日後にもワクチンウイルスが検出されたことから、 本剤接種4週間以内はワクチンウイルスが残存している可能性がある。


15.1.3 本剤接種後一定期間は、 本剤由来のワクチンウイルスがインフルエンザの迅速検査で陽性反応を示す可能性がある。


副作用(副反応)は、どの程度で発現するかというと、以下のように記されています。国内の臨床試験の結果です。


本剤群において副反応の発現頻度は67.9%(413/608例)であった。主な副反応は、鼻閉・鼻漏59.2%(360/608例)、咳嗽27.8%(169/608例)、口腔咽頭痛17.9%(109/608例)、頭痛11.2%(68/608例)であった。


つまり、7割近くに副反応が出るということになります。


すごいのは、NHK の報道に、副反応として、


> まれにインフルエンザで発熱する人もいたということです。


とあり、「予防とは何か」ということについての形而上的な現象もたまにあるようです。


そして、先ほどの記述にありますように、大変に低い割合ながら、まれに、ベル麻痺や脳炎やギラン・バレー症候群の報告があったと。


さて、これだけのリスクを乗り越えて接種するわけですから、相当予防効果の高いものだと思われますが、それについては以下の通りです。



インフルエンザを発症するリスクが「 28.8%減少した」と。


インフルエンザワクチンには常に抗原原罪の問題がつきまとっているために、基本的に無効性が強いということを別にしても、なんかもう、素直にインフルエンザにかかったほうが、はるかに安全な気もするわけですが、ニュースでは、すでに子どもたちに打たせている親御さんなどがいるわけで、その親たちは、こういうホラーのような添付文書とかを読んでいるのでしょうかね。


くどいようですが、季節性インフルエンザなんてのは、普通にかかって、タミフル等を使わずに自然に治るのが最も強力な免疫を獲得する方法で、それ以外はないはずです。


いずれにしても、水平感染が公に記されている、このようなワクチンの接種が今後も進めば、今年のインフルエンザの流行はかなりのものになるのかもしれません。


しかも、今の日本は免疫の状態が弱い人たちが多いと見られますので、なかなか厳しい秋冬となりそうです。

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「君子は豹変すべし」

「君子豹変(す)」という言葉があるが、あれは「君子は豹変するものだ。そうであるべきだ」というのが本来の意味だと昔何かで読んだような気がするような気がする。まあ、自信は無いが、いい加減なのは私の常だからそのまま書いておく。(一応、手元の国語辞書で調べると「君子はあやまちに気づけば、すぐに改めて心や行いを正しくする」ことだ、と書かれていて、私の記憶は正しかったようだ。)
で、公の場で、自分の過ちを認め、その謝罪をするとか言動を改めるというのは難しいものであるようだ。私は自分の頭の悪さや記憶力の無さには自信があるので、間違ったな、と思ったらだいたい即座に「間違いました、テヘペロ」とするが、これは私が君子だからではなく、そもそも書いたり言ったりしていることの正解率は、平凡人で40~60%、秀才で50~75%程度だと思っているからだ。まあ、だいたいのことは常識的な推移をするから、誰でもその程度の正解率はある。
一番厄介なのは、自分の間違いを誰からも指摘されず、気づかないことで、権力者の破滅の多くはそこから生じるようだ。安倍元総理など、その代表だろう。取り巻きにチヤホヤされ、自分がただの馬鹿だと気付かないで、周囲にも利用され、自分の悪行にも無反省だった。
私は、下の記事(「隠居爺の世迷言」)に書いてあるような、「安倍総理は平和主義者だった」みたいな発言は、それこそ世迷言の最たるものだと思う。「平和主義者」がなぜあれほど軍備拡張を主張し、身近に高市のような超右翼を侍らせていたのか。もちろん、安倍がアメリカに対して面従腹背だった可能性もあるが、それなら心中の推測ではなく、明白な事実を基に論じるべきだろう。(一回目のゲリピー辞任は、「日本独立」を匂わせた結果の気配もある。)
下の記事は、書かれたことの大半が「他人の心内まで推測」し、その推測を基に意見を組み立てるという、論理上超基本的な禁足事項で成り立っている。というわけで、まあ、アメリカ批判は当然としても、単なる傀儡の岸田や石破を「否定する」と最初に立場を決めた以上、その路線で行くしかない、と思っているのではないか、と隠居爺氏の心中を推測するというアホな自家撞着言論を披露しておく。念のために言えば、私は氏の人柄も文章も好きなので、できれば、今後は「あまり自分の過去の主張に固着した、読み苦しい記事」は控えたほうがいいのではないか、と思うが、まあ、余計なお世話だろう。好きなことを好き放題に書くのがネット言論の楽しみなのだから。

(以下引用)



 形勢が悪くなったことから、日本を含めた西側欧米諸国はあわててウクライナへの追加支援をしているところですが、それももはや限界となったようで、先の見通しは立ちません。敗戦を待つしかないというところではないかと思います。

 こんなはずではなかったのでしょうね。ウクライナ戦争に経済制裁を併せることでロシアは疲弊し、プーチンは政権の座を追われ、その後に欧米資本が乗り込んで行って、2000年前後の頃のようにロシアを食い物にする予定だったのでしょう。すっかり当てが外れてしまいました。そればかりではありません。日本では2年ほどの間に主食である米の価格が倍以上になるなどという、敗戦国特有の悲しい現実が生じるようになっています。一番の戦犯は岸田元総理ですね。積極的にウクライナ戦争に加担しましたので。

 私は実のところ安倍元総理を評価していません。利権政治を推進する悪人でしたので。ただし、戦争は嫌っていました。そこだけはいいところでした。まあ、矛盾しているのですけれどね。盛んに戦争のできる国作りをしておいて、内心は戦争をしたくなかったのですから、それならそもそも戦争のできる国にしなければよかったと思います。軽薄といえば軽薄でした。それに加えて、おそらくアメリカに「戦争は良くない」と物申したのでしょう。あっさり消されてしまいました。

 それを見ていたせいなのかどうか、岸田文雄は戦争を積極的に推進する総理大臣になりました。日本から戦争を仕掛けるために、増税、軍備拡張を始めました。とんでもなく独裁的な人で、「ああ、自民党というのはこんなにも独裁性を内包していたのか」と思わせました。

 まあ、日本人というのは元来がそのような民族なのかもしれません。大東亜戦争中は鬼畜米英で凝り固まって、やれ特攻隊だ、やれ竹槍訓練だと意味のないことに熱心になる国民でしたからね。そのようなことが好きなのかもしれません。マスメディアも政府以上の煽りで国民を煽動するのは、大東亜戦争中も、現在も、全く同じです。

 加えて、それに接している国民も " 見猿聞か猿言わ猿 " を決め込んでいて、大東亜戦争中と同じです。いいんですよ、それで無事に乗り切れるのであれば。しかし、大東亜戦争はどうなりましたか? 広島、長崎に原爆を落とされ、東京は大空襲で焼け野原、日本人が全部で300万人以上死んだといわれています。同じことをまた繰り返したいのでしょうか。

 合理性がないというのか、道理に暗いというのか、日本人は救いようがありませんね。それはコロナ騒動でも嫌というほど感じさせられたことで、被害もない風邪に対して、危険なワクチンを打ってバタバタと死んでいくのですから。悲劇といえば大悲劇なのですが、滑稽といえば大変に滑稽な見せ物でした。すでにワクチンで殺された人は30万人程度になっていると私は推測しています。

 ここでもう一つ疑問が浮かんできます。それは、新型コロナ騒動の目的が仮に戦費調達だったとして、ワクチン接種でそんなにたくさんの人を殺す必要はなかっただろうにという疑問です。

 自然な疑問です。副作用の少ないワクチンなどいくらでも作れるのですから、そのようにすれば良かったはずです。どのみちインチキなワクチンだったのですから。なぜ人がバタバタと死んでいくようなワクチンを接種したのでしょうか。

 その答えは難しいのですが、私は「遊びだったから」という解答になるように思います。アメリカ人というのは、あるいはアングロ・サクソン人というのは、あるいはユダヤ人というのは、そのような人種なのですよね。広島・長崎への原爆投下だって、遊びといえば遊びです。瀕死の日本に対して原爆を投下する意味など何もなかったのですから。それでも、実際に原爆を落としたらどのようなことになるのか、それを自分たちの目で見たかった、実験したかったのでしょう。

 今回の新型コロナ用ワクチンでも同じことが起きました。アメリカ人は、アングロ・サクソン人は、ユダヤ人は " お医者さんごっこ " をして遊んだと考えるといいように思います。きっと十分楽しんだと思いますよ。劣等人種とみなしている私たちを騙して殺すことに、純粋な喜びを感じたことでしょう。そうか、ハンティング(狩り)だったのかも。

 そして、日本の場合に深刻だったことは、日本人や日本を守ることが最も重要な仕事であるはずの日本政府や国会議員らが、アメリカ人や、アングロ・サクソン人や、ユダヤ人の手下になってしまい、日本人を殺すことに協力したことです。そういえば、日本の多くの医者も手下になって日本人をたくさん殺しましたね。人の命を救うのが医者の使命であるはずですが、よく平気な顔をしていられるものだと思います。


 


 アメリカ人や、アングロ・サクソン人や、ユダヤ人などが、人を殺して楽しむ様子は、アメリカの「マーズ・アタック!(Mars Attacks!〕」(1996) というSFコメディ映画をご覧になるととってもよく理解できると思います。全員とは言いませんけれど、あれがアメリカ人の本性なのですよね。平和など糞食らえです。現在のイスラエルはあの映画を地で行っています。


 


 さて、新型コロナ騒動とウクライナ戦争の関係について、私のように推測している論は読んだことがありません。同様の推理をしている人はあまりいないのでしょうか。しかし、私が気がついたくらいですから、似たようなことを考えている人は暗数としてたくさんいると思います。




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とある素人評論家の「村上春樹」評

かなり的を射た素人評論だと思う。(ここでは「素人」はけなす意味ではない。今どき、プロの文芸評論家がいるとも思えないので、一応、「素人」と書いただけだ。)
私はフィッツジェラルドの良い読者ではないし、彼の成功作は「偉大なるギャッツビー」だけではないか、と思う。そのフィッツジェラルドを土台として「村上春樹文体」を作り、いわばフィッツジェラルドを現代に蘇らせたのは素晴らしい功績だと思うが、両者とも、実は「書きたいこと」をさほど持っているわけではなかったと思う。だから、村上春樹の長編の中には、「何のためにこれを書いたのか」不思議になる作品が数点あり、私の中では、彼の「打率」は高くない。
彼の一番の傑作は「踊る小人」だと思う。この作品を世界傑作選集のひとつに選んだ外国の編集者は慧眼である。この作品は彼以外の誰にも書けない作品だと思う。ホラーとファンタジーとシニカルなユーモアがこれほど見事に結実した小説はほかにないのではないか。なお、私はこの作品の英語訳を、自分で日本語に訳しながら読んだので、オリジナルは読んでいない。さほど評価が高いように聞いてもいない。英語で読んだから面白かったのだろうか。

(以下引用)

2024-10-14

村上春樹について思うこと数点

追記


ブクマカありがとうございます


冒頭書かせていただいている通り村上春樹を数冊読んだ程度の人間コメントなので、ハルキストの皆さんの春樹評とはもしかしたら乖離があるかもしれません。


現実だと作家作品感想を交換する場はなかなかないので、この投稿への感想含め皆さんで自由村上春樹について話すきっかけになれば幸いです。


―――――――――――――――――――――――――――――


Xで盛り上がっているので便乗。


増田村上春樹好き嫌いがはっきり分かれるタイプ作家だと思う。


全部読んだわけじゃないけど数冊読んだ者として魅力と好きになれない点を書く。


スマホから操作なのではてな記法は使わない


【魅力】


•特徴的な文体


よくネタになってる突拍子もない比喩と気取った語り口の主人公が織りなすおしゃれっぽい会話、そして英文和訳のような文体の作り出す雰囲気の良さが唯一無二


世界観


性にあけすけな人間特に女性)がよく登場する。村上春樹世界に登場する女性孤独を抱える自由人が多くて失踪するパターンが多いと感じる。


Xでも指摘されているように大学生位までに読まないと村上春樹世界に登場する人々の青さに共感したり憧れたりするのは難しいと増田は感じている。


•実は短編面白い


代表作が長編からまり語られないが増田村上春樹は対談や短編集の方が面白いような気がしている。


文章力が高くて大きな出来事がないストーリーでもあっさり読ませる力のある作家なのでコンパクトにまとまってる作品は読みやすさと満足度がかなり高い。


【好きになれない点】


大人になってから読むと気持ち悪い


やはりこれ。性に対する忌避感なんだろうか。自分が通り過ぎた若さを見せつけられている気恥ずかしさなんだろうか。大人ぶって気取った高尚な趣味の会話をする主人公ややたらねちっこい性描写が読んでいてストレスになることが多い。


•あの比喩がダサく感じられる


フィッツジェラルドに憧れていたという逸話を目にして増田フィッツジェラルド作品もいくつか目を通してみた。


結果村上春樹比喩力が圧倒的に安っぽい二番煎じに感じるようになった。


世界観を寄せてるだけで表現力が追いついていないのだ。


英語ならではの言い回し日本語に落とし込んで誰が読んでも村上春樹と言わしめる文体を産んだセンスは間違いなく天才所業


ただ英語を操る天才作家センスまでは真似しきれなかったんだなという印象を増田は受けている。


――――――――――――――――――――――――――――


一般的に言われるのは村上春樹が凄かったのは男らしさ女らしさがステレオタイプ化していた時代に性にあけすけな若い女性や繊細な若者男性主人公として作品に登場させたこと。


多様性が叫ばれる今の時代に読めば目新しさがないのは当然なので今から村上春樹を読む人は単純に文体世界観好き嫌いを決めるのがいいと思って魅力として書いてみた。


村上春樹ユーモアがあって博識でオシャレな人だし村上春樹と同じ系統趣味で固めている層にはど真ん中で刺さると思う。


最後まで読んでくださった皆さんの読書人生が豊かになりますように。


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「仁」と「人」、「理」と「里」

かなり前に新古書店で宮崎市定の新訳による「論語」を買ったので、気が向いた時に、気が向いたページを少し読んでいるが、宮崎市定という人はかなり自信家で、その新訳も強引な印象が強い。好きな学者ではあるが、信頼できる発言ばかりとは限らないので、半分は眉に唾をつけて読んでいる。
で、「里仁編」を少し読んで、「仁」という概念についてあれこれ考えたことを思いつくまま書いてみる。読むのが面倒な人は、赤字部分だけでも読むといい。これは、儒教とは無関係な、「世界の思考的把握」に関する私自身の創見による画期的思想である。

先に「仁」という「儒教の最高善とされる倫理思想」についての私の基本解釈を書けば、これは「ヒューマニズム(人間尊重主義)(→必然的に「平和主義」)」であり、「仁」という漢字を偏と旁に分ければ、「人偏(ニンベン)」に「二」である。つまり、人が二人存在すれば、そこに必然的に生まれる、あるいは生まれるべき感情が「仁」だ、というのが私の解釈だ。

「里仁編」の冒頭、「子曰里仁為美」を宮崎市定は「子曰く『里は仁なるを美と為す』」と書き下し、「里」とは村の一区画の意味だとして「『家を求めるには人気のいい里がいちばんだ』という古語がある。」と訳しているが、これはかなり呆れた解釈だろう。宮崎は「論語」の意味不明箇所の多くは古語の引用だ、としているが、これはその暴走だと私は思う。この解釈だと、続く「択んで仁に居らずんば、焉(いずく)んぞ知なるを得ん」が実に俗臭に満ちた「どんなに骨を折って探しても、人気の悪い場所に当たったら、それは選択を誤ったと言うべきだ」と解釈している。まるで、孔子の時代の人間(主に農民)が自分の居住区を勝手に選べたような言いぐさである。ただし、「仁」が「人」の意味に通じるという根幹は正しいとは思う。

私の解釈は「里」は「理」だというものだ。里の原義が村の一区画だというのなら、「頭の中を区画整理するのが『理』だ」というわけである。
そこで、「里仁為美」とは「理は仁を美となす」となり、「合理的に考えれば、『仁』であることがもっとも賢明(至高)なのである」、という思想になり、これは孔子の思想、つまり「原始儒教」が「仁」を道徳の根本に置いたことと一致するだろう。

ついでに言えば、西洋哲学の根本的欠陥は、「神と人間」、「思考自体」、「政治」については考えたが、「人間対人間(社会道徳)」についてはほとんど考えず、ただ「神への服従」か「神への反抗」かの二者択一だけしか考えなかったことである。それがあの西洋人の「他者(他人種、他民族、他階級)への酷薄さ」「闘争性」「侵略主義」の根本原因なのではないか。知識人は「哲学」によって、考える内容が規定され、それ以外の思考法ができなくなるわけだ。そして、「知識人」の意見や発言が社会をリードし、社会を洗脳するのは昔も今も同じである。

これもついでに書いておけば、幼児は知性が未発達だから、周囲が教えて「人間化」する必要がある。つまり、「生まれつきの善」というのは基本的に不可能であり、周囲の教化によって人は善性を身につけるのである。これを荀子は「偽善こそ善の本質である」という意味のことを書いており、「偽」とは、分解すれば「人為」なのである。何も、心からの善意が自分には生まれない、と嘆く必要はない。善とは「習慣(訓練)で身に付ける」ものなのである。




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